第一章 覇者の列席と世界の渦 1 東方諸島とギルドマスター一行
――アルベイン王国暦二千三年 天裁神(てんさいしん)の月
――アルベイン東部 港町シーファスト近くの上空
元の世界に戻ってきたあと、飛行戦艦で待機していたグラスゴールと連絡を取り、シーファストの町の付近まで来てもらって合流した。
甲板に生えた樹林の中で、バニングは肉などの餌を食んでいる。戦艦内の備蓄だけで二十人くらいなら半年以上は過ごせるのだが、鮮度の高い食材を得るためには戦艦内で生産なども行えるといい――と、木々に混じっている果樹を見て思う。
「ディック殿、無事に戻られて何よりです」
「マスター、私は信じておりましたわ。たとえどのような状況下にあっても、あなたがたは必ず戻ると」
出迎えに来てくれたグラスゴールとシャロンは、跪いてまで挨拶をしてくれる。
船内で働いているというカルウェンは、船の操舵まで任されるようになっていた。この二人がここにいられるのも、優秀な部下ができたからというわけだ。
「ああいや、そんなに畏まらなくてもいい。こっちこそ、待機していてくれて助かった。向こうの世界と二週間もずれてるとはな」
俺たちが飛ばされたもう一つの世界から帰還したとき、向こうで過ごした以上の日数が経過していた。
世界間を転移するというのは、予想のつかない事象を伴う。そんなやり方で向こうに送られたことについて思うところはあるが、結果としてはあのタイミングで向こうに行けてよかったと思っている。
ディノア・シルバー。もう一人の俺もまた、王都アルヴィナスで仲間と共に戦っていた。
彼女がいるといないとでは、もう一つの世界の今後は大きく変わるだろう。自分が世界に影響を与えるなど、そんな大それたことは考えていないが――ミカドには世界の頂点に立つと言われたが、実感はまるでない。
「この世界には、まだ私の知らないことが数多くあるようですわね……もうひとつの世界があるなんて、考えたこともありませんでしたわ」
「お話を聞く限りでは、並列して存在する世界は他にも複数あるのかもしれません。その全てにおいて、ディック殿は……」
「どんな生き方をしてるかは分からないが、それほど変わらないのかもな。裏通りでギルドをやってることも変わらないかもしれない」
そう言うとグラスゴールとシャロンは微笑む。そして二人して立ち上がると――なぜか、さらに一歩距離を詰めてきた。
「こういった言い方は不謹慎かもしれませんが、女性のディック様はどのようなお姿だったのか、興味を持たずにはいられませんわ」
「さぞ美しい女性なのでしょう。ということはディック殿も、コーディ殿の逆の扮装をなさった場合、とてもよくお似合いになるのでは……」
「お、おい……そういう方向の趣味には付き合えないぞ」
目を輝かせる二人――堅物だと思っていたグラスゴールまで生き生きして見える。シャロンの方は今にも俺を着替えさせたいと言わんばかりだ。
「……あ、あら? そちらにいらっしゃるのは……スフィア様……?」
シャロンとグラスゴールは俺の後方に視線を送り、目を見開く。少し頬が染まっているのは何故なのか、振り返る前に想像できてしまった。
「お父さん、ディノアさんってこういう姿だったよね?」
「ス、スフィア……姿を変えられるからって、それはサービス精神が旺盛すぎないか」
俺は向こうの世界でディノアの姿を客観的に見ていなかったが、こうして見ると――男の俺より小柄で、何というか、近接戦闘に差し障りがありそうなほど胸が大きい。
「スフィア様がこのようなお姿に……ディック様本人というより、兄と妹に見えますわね」
「えへへ、そうですか? お父さん、私お父さんの妹みたいって」
「そりゃ、その姿をしてればな……」
「ふふっ……ディック殿も、愛娘には敵わないといったところでしょうか。この衣装では少し胸元が開いていますので、気をつけなくてはいけませんよ」
「あっ……お、お父さん、見てない?」
「見てないよ、見てない」
父親として娘の信頼を失う行為だけはしてはいけない。そして何より、パーティの皆の信頼にも関わる問題でもある――いつも見られていると思って行動するべきだ。
そう思いつつ振り返ると、木々の陰から魔王討伐隊の面々、そしてヴェルレーヌと師匠がこちらを見ていた。
「……ディノアのことを見たとき、可能性として考えはしたのだけど」
「女の子のディックがあんなに可愛かったら、ディック自身もその……ねえ?」
「ば、馬鹿を言うな。どこまで行っても俺は俺だぞ、別の世界の自分でもな」
「ディックさんが慌てていらっしゃいます……神はどのような形の愛でも寛容に受け入れてくださいます。何も遠慮することはありません」
「ははは……ええと、僕が男だったらディノアをどう思っていたかと言われたら、それはちょっと答えにくい問題だね」
「スフィアちゃんがディノアちゃんの姿をしてくれてる今なら……」
皆に気をとられているうちに、師匠がそろそろと近づいてきていた――何をするのかと身構えた時にはすでに遅く。
「――えいっ!」
「っ……し、師匠……っ」
「あはは、リムお母さんあったかい。身長が高くなると、いつもぎゅーってしてもらうのとちょっと違う感じがするね」
俺から適切な距離を取ろうとばかりしてきた師匠だが、どうも俺とディノアの姿をしたスフィアを見ると我慢できなくなったようだ――と、冷静に分析しても恥ずかしい。
「あぁっ……ディックとディノアちゃんの両方とハグなんて、リムセさんずるい! あたしも混ぜてもらってもいいよね?」
「うむ、見ているだけというのは寂しいものだ。ご主人様とスフィアを愛でる機会は大切にせねばな」
「もう愛でてしまっていますけれど……ああ、お二人の魂の波動を両方間近で感じられて、私は幸せです……」
アイリーン、ヴェルレーヌ、ユマとさらに抱きついてきて、スフィアも逃げる気がないのでなすがままだ。
ミラルカとコーディはパーティの自制心なので、遠巻きに見ている――二人に助け舟を出してもらえるとありがたいのだが。
「……次の目的地に向かうまでの間は、息抜きも必要ね。私も参加しようかしら」
「そうだね。これまでで最大の難敵が待っているとしても、僕らはいつもの僕らでないと」
「は、薄情者……っ、というか二人まで参加したら……っ」
「あ、それだったら順番にしようか。みんなで集まってるとお団子みたいになっちゃうから」
こういうときの決断の速さと、俺の意見を聞かないあたりは、我が道を行く師匠が帰ってきたと感じる。
しかしミラルカは自分で言っておいて、いざディノアの姿をしたスフィアと俺を抱きしめるとなると、耳まで真っ赤になって葛藤していた。
「やはり正妻はミラルカ様なのでしょうか……初々しさも極まりますわね」
「そのようなことは茶化してはいけない。本人たちの歩みを見守るとしよう」
「あ、あなたたち……随分と仲が良いようだけど、ちゃんと進路は取れているの? 明後日の方向に向かったりしたら、お仕置きをするわよ」
ミラルカがシャロンとグラスゴールに釘を刺す。グラスゴールに限ってそんな手落ちをするわけもなく、彼女は楽しそうに微笑んでいた。
◆◇◆
――アルベイン東方諸島 中央州 宿屋『満月の人魚亭』
スオウとミカドは、彼ら『覇者の列席』の本拠地である『世界の渦』について、俺たちに情報を残していた。
彼らはもう一つの世界での顛末を報告する許可を俺に求めてきたが、それについては了承した。スオウとミカドも何も知らされずにもう一つの世界に送られたのだから思うところはあるだろうし、結果的に共闘したのだから、彼らの意志は尊重したかった。
スオウにとって『覇者の列席』を創った存在である『盟主』の命令は絶対だったが、そう盲目でもいられないように感じているという。
それは『列席』の頂点に近いスオウとミカドの二人でも、果たして『盟主』がその目的のためにどのような手段を使おうとしているのかが見えていないからだ。
『異空の神は確かに俺たちの世界を脅かそうとしている。九頭竜を倒すことができていなければ、並列する世界の一つは滅ぼされていた。俺たちの世界も同じように狙われているのは間違いない』
『しかし、盟主様がなぜそれを知り得たのか。なぜ世界を越えるような転移魔法を発動させることができたのか……それは「星の遺物」によるものか、それとも盟主様の力なのか。私たちはそれを知り得ていない。列席の三番と四番と言っても、そんなものなんだ』
スオウの言葉を受けて、ミカドは少し寂しそうに言った。
彼らほどの強者ですら立ち入れない『盟主』という存在は、一体何者なのか。もう一つの世界から戻ってきた俺たちを、どう見ているのか――。
『盟主』とスオウたちを仲介する存在と、スオウたちは霊脈を通じて対話することができる。そう聞かされても、俺は『その人物』とも『盟主』とも直接話すことを選んだ。
カルウェンの件があってから、俺たちは常に後手に回っている。『世界の渦』に近づいていることを事前に伝えたりなどしたら、そのまま『盟主』が接触を許すかどうかは分からない。
『なあ、ディック……いや、ディックさん。あんたは盟主様に会ったとして、どうするつもりなんだ』
『こちらの思惑に巻き込んだこと、君たちの力を試そうとしたこと……いずれも、私たちを敵であると断じるには十分だ。私たちもまた、これから罰するというのなら甘んじて受けよう』
『いや、やめておく。この大陸の中だけで俺の世界は十分だと思っていたが、海の向こうにも興味が持てた』
今までは、世界の全てを見てみたいと思ったことはなかった。それ自体は、これからも大きく変わることはないだろう。
だが、俺たちの知らないところでアルベインまで巻き込むような事件が起きるというのは困る。『覇者の列席』が接触してきたことをきっかけにして、視野を広げておくことの必要性に気づいた。
「ねえ、ディックってどうして東方諸島の偉い人と知り合ったの?」
東方諸島はその名の通り、五つの島からなる国家だ。中央州の総督府によって統治されている。
俺たちがいるのは、その中央州でも知る人ぞ知る隠れ宿というやつだ。少し離れた場所で飛行戦艦が隠密結界を展開し、空中停泊している。
スオウとミカドとはシーファストで別れたが、彼らが向かった先がこの東方諸島だった。『世界の渦』とは文字通り、この東方諸島の近くにある、船舶が立ち入れない渦潮だらけの海域のことだったのだ。
その情報は中央州の冒険者ギルドで得ることができた。東方諸島を経由して、シーファストの町に届けられる荷物をそれなりにいい値段で買い付けたのだが、それがきっかけで東方諸島の商人組合で『銀の水瓶亭』の名が伝わり、ぜひ一度商談をしたいと持ちかけられていたのだ。
東方諸島の商人ギルドに顔を出した俺は、『世界の渦』についての情報を手に入れた。しかし『覇者の列席』のことを知る者は、この東方諸島にもいなかった――それは、世界の渦の海域に騎竜で潜入した者がいないこと、もし通りがかったとしても何も見つけられなかったということを意味している。
しかし『世界の渦』――歴戦の船乗りを寄せ付けもしない海域に、何かがあることは間違いなかった。周辺の霊脈から魔力が吸い上げられた形跡があり、その魔力の流れをたどると、一点に集約されていたからだ。
目的地は決まった。今すぐにでも乗り込みたいところだが、もう一つの世界から帰ったばかりで仲間たちをすぐに戦わせるというのは、さすがに俺でも酷なことだと分かっていた。
そして紹介されたのが、この『満月の人魚亭』だ。売りになっているのは、十人以上で宿泊するときに使用することのできる専用の露天風呂――東方諸島の富豪の気分を味わえると人気らしいが、そんな大層な宿に泊まることになるとは思っていなかった。
それも皆を労うには悪くないと思っていた俺だが、それは入浴の時間が来るまでのことだった。
◆◇◆
「もー、ディックったら返事くらいしてよね。ずーっと石像みたいに考え事してるけど、そろそろ覚悟を決めたら?」
俺の愛すべき仲間たち――と言うと皮肉に聞こえるかもしれないが――は、タイミングをずらして一人で風呂に入ろうとしたところ、せっかく専用の風呂があるのだから一緒に入れば良いと提案してきた。
「……いいのか、俺はこんなことをしていて」
「そうは言われても、招集を受けて来てみれば、この状況で……シャロンはまだしも、私は正直を言うと、少々困惑気味です」」
グラスゴールはそう言いながら、鎧を脱いで普通に入浴している。グラスゴールだけが常識的なわけではなく、ミラルカは湯浴み着を来た上から胸を手で隠し、俺をじっとりと見て警戒していた。
「ほ、ほら、ミラルカも緊張してるみたいだし、俺はやはり遠慮させてもらって……」
「そんな言い方をされたら、私が追い出したみたいでしょう。パーティでの決め事は多数決なのだから、私の一存では決められないわ」
「そうそう、ディックもパーティの決定に従わないと。放っておくとどんどん存在感出さなくなっちゃうもんね」
「そんなつもりはないが……ま、前をもう少し隠してだな……」
俺は顔を覆って直視しないようにするが、アイリーンの隠し方は甘いままだった。全く俺を男として意識していないわけではないらしいのが、如何ともしがたい。
「……そうね、一緒にと言っておいて警戒するのも筋が通らないわね」
開放的なアイリーンの姿を見て思うところがあったのか、ミラルカの警戒が緩められる。いや、緩めてもらっては困るのだが。
「今さら恥ずかしがることはありませんわ、一度戦った仲であれば、全てを見せ合ったも同然ですもの……そうですわよね、スフィア様」
「え、えっと……私もお父さんと一緒にっていうのは、だんだん恥ずかしくなってきたっていうか……お母さんたちと同じような気持ちなのかな……?」
シャロンはスフィアの背中を流したりと終始べったりだった。ラトクリス魔王国では伯爵家の当主のシャロンだが、およそ彼女は俺に見られることを全く気にしておらず、堂々とした姿を見せていた。
はしたない――いや、この大胆さこそが貴族の証明か。アルベインでも貴族は裸で風呂から上がってきて人の手で着替えさせてもらうというし、どこの国でもそう変わらないのかもしれない。
「だんだんと、ディックさんの魂の色が変わって……いけません、その色は……っ、アルベインの神に見初められてしまいます……!」
「ユマ、もうのぼせてないか……?」
「そんなことはありません、私はいつも落ち着いています。ディックさんが一緒にお風呂に入ってくれたからといって、平常心を乱すことはありません……っ!」
そう言うわりには、ユマは皆の仲で一番露出の少ない湯浴み着を着ている。そのまま湯に入れるように貸し出されているが、濡れると微妙に透けてしまう――夜の露天風呂で明かりがそれほど強くないとはいえ、直視できないものがある。
「……ディー君なら分かってるでしょ? みんなだってお年頃の女の子なんだから、男の子と一緒にお風呂っていうのは、覚悟が必要なことなんだよ?」
師匠はユマと同じくらい肌を隠している――まるで保護者のように皆を見ているが、彼女ともあろうものが、後ろから接近している気配に気づいていない。
「し、師匠、後ろ……っ!」
「え? きゃぁっ……!」
反射的に目を逸らす――師匠の後ろに回ったヴェルレーヌが、あろうことか師匠の湯浴み着の襟を引っ張り、危ういことになってしまったからだ。
「ヴェ、ヴェルちゃんっ、そういうのはお姉さんちょっと感心しないっていうか……っ」
「こんな時くらいは、女として対等でありたいものだ。少し前までは、どう皆を出し抜くかを考えていたのだがな……どうやら、そうも言っていられなくなったようだ」
皆の視線が俺に向かう。
こんな時いつもの俺なら、ヴェルレーヌの言うことを冗談と受け流して、彼女はつれない主人だと口を尖らせていた。
しかし、今だけは誤魔化してはならないと思う。五人のパーティから始まり、今は多くの人と関わりあって、無くてはならない存在がこんなにも増えた。
「……この戦いが終わったら、その後のことを考えさせてくれ。皆で一緒に」
「ふふっ……それは、期待しても良さそうな答えだな。ここまで尽くしてきた甲斐もあったというものだ」
「……えー、それだけでいいの? せっかくだし、もうちょっと……ねえ?」
「それは駄目よ、シェリーやロッテもいるのだから。というより……ディックは行く先々で、女の子にちょっかいを出しすぎたわね。マナリナやティミスだって……」
「なかなか耳が痛いな……でも、ちょっかいを出したというかあくまでも依頼を受けただけだからな」
「やっぱり……ディックにはそういう意識しかないんだね。でも、君のそういうところが、僕は得難い美点だと思っているよ」
「あ、最後はコーディ君がまとめちゃった。そうやっていつも美味しいところを持っていっちゃうんだから、妬けちゃうよね」
タオル一枚で胸と腰を隠しているコーディが、あろうことか隣に座ってくる。湯気の中で上気した顔は、多くの女性を恋に落とした騎士団長のものではない――一人の女性だ、と言ってしまうのは気恥ずかしくてならないが。
「お父さん、今日は一緒のお部屋で寝られるんだよね?」
そして最後にスフィアが笑顔で爆弾を投下する。なぜか皆の視線が交錯し、火花が散ったように見えた――世界の命運を賭けた戦いの前に別の何かを賭けた戦いが始まってしまいそうだと他人事のように考えながらも、スフィアは意味が分かっているのかそうでないのか、俺の手を取ってしっかり逃げ道を塞いでいた。
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