エピローグ1

 卒業パーティーを終えた私は、王宮に呼び出された。それも今最も近付きたくない、お父様の執務室に、だ。

 家に帰って深紅のドレスから王宮に相応しい服装に着替え、馬車に乗った。行き慣れた道が、やけに長く感じる。王宮の門をくぐり、奥の入口で降りる。お父様の執務室は、王宮の三階の奥だ。

 私が一人で王宮を歩いていても誰も止めないし、当然のように挨拶をされる。いつもは気楽に感じるそれが、今は悔しい。誰か呼び止めてくれないか。面倒な手続きができるのならば、今は嬉しい。スムーズに進めてしまって、階段を上る足が重い。


「──……うう。行きたくない」


 私は三階の廊下を歩きながらぽつりと零した。この先の角を曲がると、もう執務室に着いてしまう。お父様はパーティーが終わってすぐに学院を出ていった。私が家に帰って支度をしている間に、すっかり普段の調子を取り戻しているだろう。


「そうだろうな。俺も嫌だ」


 独り言にある筈の無い相槌に驚き、私は足を止めた。そして全く周囲を気にする余裕もなかったことに気付く。こんなにきらきらしく目立っている人を見逃すなど、まずあり得ないことだ。それどころか、彼は私の婚約者で、愛する人なのだから。


「ジョエル殿下」


 驚いた顔の私に気を良くしたのか、ジョエル殿下はふふんと鼻で笑った。


「なんだ。この俺に気付かないなんて、お前、随分ぼーっと歩いてんのな」


「殿下には関係ありませんわ」


「それが、関係ある。……俺も、呼ばれているからな」


 ジョエル殿下は心底嫌そうに息を吐いた。私はそれを見て、少し溜飲が下がる。私を散々悩ませた分くらいは苦労してほしいと思うこの気持ちは、おかしいものではない筈だ。


「そうでしたか。では、行きましょう」


「ああ、そうだな」


 ジョエル殿下が自然な仕草で私に手を差し出した。エスコートの姿勢に、私は目を瞬いた。


「──……なんだよ」


「いいえ。……久しぶりでしたので」


 私は本当のことを言う。

 ジョエル殿下にエスコートされるなんて、半年以上無かった。特にここ最近はオデット様の側にいたから、余計にだ。


「悪かった。……お前が悪役令嬢なんて突拍子もないことしたのは、元はといえば俺がちゃんと伝えてなかったからだ」


 ジョエル殿下がくしゃりと髪を混ぜた。


「父上と母上は、今、私室で大喧嘩中だ。……俺は、ああいうのはごめんだ。リュシエンヌ──お前一人でいい。いや、お前一人がいい」


「殿下……」


「これからはちゃんと伝える。俺はお前が好きだ。……婚約者なんだから、エスコートするのは当然だろ」


 私は、真っ赤な顔でそう言うジョエル殿下の手に、そっと右手を重ねた。





「リュシエンヌ、来たね? ──おや、殿下もいらっしゃったのですか」


 お父様は私達が入って来たのを見て、目を細めた。その視線がちらりと繋いでいる手に向かったのは、見なかったことにしよう。

 だって、恥ずかしいけど、離したくないんだもの。


「私もこちらに呼ばれましたので。婚約者と共に呼ばれたのだと思ったのですが……」


「別にお望みでしたら、こちらはいつでも無かったことにいたしますが?」


「宰相、ご冗談を。私にはリュシエンヌしかおりません」


 ばちばちばち、と、二人の間にない筈の火花が見える。私は身の置き場に困って、視線を彷徨わせた。そして、執務机の上のあるものに目が留まる。


「──お父様。そのハンカチーフは?」


 それは古いハンカチーフだ。元は白かったらしい生地は黄色く変色し、刺繍も所々解れている。お父様のものではないであろうそれが、私は妙に気になった。

 ジョエル殿下も私の視線を辿って、それを見た。それまで言い争いに使われていた口が、ぽかんと開く。お父様がにやりと笑った。


「殿下はご存知だったようですね。こちら、オデット嬢の私物です。卒業パーティーの後、本人から借り受けました。オデット嬢には、一旦、王宮の客間に入ってもらっています。……エミリア嬢に子供がいるのは知っていましたが、まさか、こんなに分かりやすい特徴が出るとは……」


「お父様?」


 首を傾げた私に、お父様は優しい目を向ける。それを見て、私は今日怒られるために呼ばれたわけでないことが分かった。やっと少し安心する。


「私は陛下と幼馴染のようなものだからね。当然、知っていたんだよ。当時、どんなに諌めても聞こうとしなかった……陛下の我儘の結果だね。いくら平民だったとはいえ、エミリア嬢は元男爵令嬢だ。そんな女性が、なんの支援もなく陛下から身を隠すなんて不可能だろう?」


 私は息を呑んだ。


「まさか、お父様が!?」


「そのとき生まれていなかった子供と、今になってこんな形で会うとは思っていなかったけれどね。ちなみに、ミレーヌもエミリア嬢のことは気にかけていたよ。──ラマディエ男爵が偶然オデット嬢を社交界に引き入れたりしなければ、隠れて自由に過ごせたと言うのに。男爵にも事情を聞いたが、本当に気付かなかったようだよ。貴族にとって、あの髪色はあまりに印象深いと思うんだけどな」


「お母様まで……」


 改めて考えると、実家が裕福な伯爵家であったお母様が、若い頃から王宮に出入りしていてもなんの不思議もない。それどころかお母様は、かねてより女性に憧れられる美貌を持っているのだ。隣国に嫁いだ王妹殿下とも仲が良いというのだから、知っているのも当然だ。それに、お母様とお父様は子供の頃からの許嫁だったのだから。

 お父様は一度深く嘆息して話を続けた。


「ああ。──……だから、最初に編入生の噂を聞いたときから私はこうなるのではないかと思っていたよ。陛下と王妃様には悪いが、あの容姿が貴族に知られてしまっては、隠し通すことも、捨て置くこともできない」


 私の隣でジョエル殿下が首を捻る。


「でしたら、宰相は何故放っておかれたのですか? ご存知でしたら、もっと早く動かれても良かったのでは」


 言われてみれば不思議だ。私もお父様を見つめて、返事を待った。

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