明かされた真実と断罪イベント2
◇ ◇ ◇
「ああもう、またなの? いい加減にしてよ!」
私は階段の途中にある窓から外の池を見下ろした。
ルヴェイラ学院には、それはそれは美しい庭園がある。それは王宮の庭園のミニチュアとも言われるもので、薔薇の迷路庭園もそのひとつだった。それ以外にも優雅な石造りの橋が架けられた池や、急速にぴったりの木陰とベンチなど、充分過ぎるくらいの設備がある。
私に言わせれば、お金の無駄遣いだ。
今、私はその優雅な筈の池に落ちている筆箱を拾おうと身体を伸ばしていた。水面に映る夕日と共にぷかぷかと浮かんでいる革製のそれは、ラマディエ男爵から貰った物で、別に思い入れはない。それでも粗末にするなど考えられないことだった。
「なんて陰湿な虐めなの。本当、貴族ってのは性根まで腐ってるわけ? 最悪」
この前は階段から突き落とされそうになった。下町仕込みの俊敏さで手すりを掴んで事無きを得たけど、もし落ちていたらどうしてくれる。というか打ち所が悪かったら死んでもおかしくないことが分からないのか。
橋に掴まって、ぐいと身体を伸ばす。反対の手には木の枝を持ち、筆箱のベルトにその端を引っかけようと何度も振った。しばらく格闘して、ようやっと筆箱に手が届いた私は、一気に体勢を戻そうとする。瞬間、足場が滑って池に落ちた。
「うわー……ったく、こんなことしたのは誰なのよ!? 正々堂々とタイマン張る方が楽なのにっ!」
まったく、他の学生達には聞かせられない。イメージは大切なのだ。今は周囲に誰もいないから大目に見てもらいたい。
「王子様の相手が自分だったって、本気で思ってたの? ふふん、王子様ってのは、ヒロインと結ばれるに決まってるんだから」
私は池から出て、濡れてしまった制服を絞った。どうせ後は帰るだけだ。制服は代えの物もあるから、とりあえず大丈夫。迎えの馬車に乗れば、家までは毛布にくるまっているだけだ。
「帰ろっと」
お姉様の小説が読み途中なのだ。これからの私自身の人生のために、あれを読みきって、パーティーに備えなければ。
でもあの話は、私が悪役令嬢に虐められることが前提だ。今のところ、私は王子様の婚約者であるリュシエンヌ様には嫌みを言われるくらいで(その嫌みもどちらかというと私の行動を諌める程度だ)、虐めとは言い切れない。いっそ私を階段から突き落とそうとしたのが、リュシエンヌ様なら良かったのに。
そうしたら、卒業パーティーの断罪イベントで裁くことができる。そして私が王子様の婚約者の座を手に入れるのだ。
そう思ったとき、橋の上に人がいることに気付いた。こんなところを見られるなんて──そう思って顔を上げると、そこには一人の令嬢がいた。逆光で、顔がよく見えない。
誰かしら……? 目を眇めて見ると、その令嬢が誰だか分かった。
「──オデット様、大丈夫ですか?」
前に空き教室で私に喧嘩を売ってきた──いや、虐めようとしてリュシエンヌ様に止められた令嬢だ。確か、アシャール伯爵家のミラベル様。
今はとりあえず、思い出せたことに安心した。
貴族というのは、とにかくそういったことに煩いのだ。名前を忘れただとか、家格が違うとか。どうでもいいじゃないか。面倒くさい。
「ええ、ミラベル様。お気遣いありがとうございます。ですが、もう帰宅しますので……」
こういうところは、庶民の方がずっと楽だ。じゃあ戻りたいかと言われると、そういうわけでもないのだけど。
「あら、そうですの? オデット様も苦労されますわね。本当……あの方は、我儘で仕方ないのですから」
──あの方? 私は首を傾げる。ミラベル様は私を虐めている人を知っているのだろうか。
あのときは知らなかったけれど、後になって、ミラベル様がシリル様の婚約者だと知った。婚約者がいるのに私にすぐに気を移したシリル様は酷いと思うけれど、ミラベル様自身の責任もあるだろう。飼い犬の手綱はしっかり握るべきだ。
今は私に同情的な視線を向けている。私が王子様に夢中になっているから、シリル様のことはもう良いのかしら。
何かを知っているような態度が気になった。
「どういうことですか? 何か知っているのですか」
「あら。皆言っていますのよ。バルニエ侯爵令嬢が、貴女に嫌がらせをしているって。殿下に近付く令嬢が気に入らないからって、階段から突き落とすなんて……恐ろしいですわ」
「バルニエ侯爵令嬢……」
誰だったか。ええと、バルニエ侯爵家は宰相をしている当主がいて……ああそうだ。リュシエンヌ様のことだ。
「そうですのよ。本当、以前から恐ろしい方だとは思っておりましたが、最近はいつにも増してご機嫌が悪くていらっしゃる」
王子様の婚約者、か。それは、私のことを気に入らないだろう。最近嫌みを言われると思っていたけれど、そのせいなら納得だ。
『貴女、同じ人と二度踊る意味をご存知ではないのかしら』
『こんなことも分からないの? まったく、男爵家ではどんな教育をしているの。ああ……貴女は一夜漬けで編入したのだものね』
『人のものにばかり手を出すなんて……人の心はお持ち?』
扇で口元を隠した笑顔は、完全に物語の中の悪役令嬢のそれだった。リュシエンヌ様が私を虐めて──または虐めさせていたのならば納得だ。そうするだけの充分な権力もあるだろう。
「ふふふ……そう。あのお高くとまった女……どうしてくれよう……」
私はぐっと両手を握り締めて、苛立ちのままに地団駄を踏んだ。そうしている間に、ミラベル様がご機嫌よう、と言って帰っていく。
「卒業パーティーよ。そこで、悪役令嬢には退場してもらうわ。──あんな女に、王子様は似合わないんだから」
だって、王子様はヒロインと結ばれるのだもの。私は少し晴れやかになった心で、荷物を纏めて帰路についた。
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