それぞれの思惑とすれ違い9

 好きだから以外に、男女が抱き合う理由があるのならば教えてほしい。少なくとも、私は、それを知らない。


「──……はぁ……」


 沈んだ気持ちのまま家に帰り、自分の部屋に逃げ込んだ私は深い溜息を吐いた。

 部屋にはジョエル殿下から貰った花がたくさん生けられているのだ。当然だが、逃げられるものではなかったことを、ここにきて思い知らされる。

 花なんていらなかった。こんなものが無ければ、私の心はもう少し穏やかだったのに。ジョエル殿下の心変わりを誤魔化すように利用された美しいそれらが、可哀想になる。


「婚約破棄、か……」


 涙は出なかった。私は本棚から一冊の本を取り出した。ソファに腰掛け、頁を捲る。物語の終盤で、悪役令嬢がこれまでのことを断罪され、婚約破棄を突きつけられていた。


「……そう、よ。これを利用して、婚約破棄をしてしまいましょう」


 ジョエル殿下には、皆に認められる幸せな結婚をしてもらいたい。しかし今のままでは、私との婚約を破棄、または解消してしまうことでの周囲からの批判は免れないだろう。それはバルニエ侯爵家の力ゆえであり、同時にこれまで私自身が積み上げてきた努力の成果でもある。

 しかしこれが、私が断罪された上での婚約破棄ならば話が変わってくる。悪役令嬢とされた私は未来の国母には相応しくないと考えるだろう。

 だけど断罪といっても、大それたものはお父様達にご迷惑になってしまうわ。もっとどうでも良いような……大事にならずに済みそうな、それでいて破棄されても仕方がないと思われるような。

 そこまで考えて、私ははっと手元の本の挿絵を凝視した。それは地面に膝をつかされた、悪役令嬢の後ろ姿。


「──だから、彼女はヒロインを虐めたんだわ」


 大それた傷害ではいけない。ちゃんと取り返しのつくレベルの、嫌がらせ。心に大きな傷を作るようなものはいけない。ヒロインには王子と幸せになってもらわなければならないのだから。性格が悪く見えるような、ヒロインと王子が心を通わせる障害として丁度良い程度のもの。

 それならば、大人の貴族社会では大して責められるものではない。大人同士の足の引っ張り合いよりずっと可愛らしいものだ。それでも、王子の婚約者には相応しくないという声は出るだろう。そのくらいが良い。

 物語のように、追放されたり、恐ろしい男に嫁がされたりするのは、まっぴらごめんだ。私はこの婚約が破棄になっても、幸せな結婚がしたい。

 この恋愛小説の悪役令嬢は、婚約破棄の描写こそあったが、その後、酷い目にあったとは書かれていなかった。つまり、そういうことなのだろう。


「ここを目指しましょう。それに、丁度良く──」


 丁度良く、私がオデット様を虐めているという噂が広がっている。上手く嫌がらせなんてできるか不安だったけれど、現状、私が虐めをする必要すらないようだ。これまで通り、見かけたものは注意して、ついでに直接オデット様に嫌みの一つくらい言ってあげれば良い。状況からして、私が虐めの主犯だと勘違いをしてくれるだろう。

 あまりに簡単だ。簡単過ぎて、拍子抜けしてしまう。

 こうなったら、完璧な悪役令嬢を演じてやるわ。

 かつて藤の花を贈ったくせに、いざとなると適当な花を贈って誤魔化して、心を放り出した殿下。憧れた恋愛小説のように愛されると夢見た日々は、さっきの光景でもうすっかり消えてしまった。

 だからこそ。


「この世界で、恋愛小説のような純愛を、必ず実現してみせる……!」


 ヒロインはオデット様、ヒーローはジョエル殿下。悪役令嬢は私だ。取り巻き役の男は何人もいるし、ヒーローの側近役はレオンス様がいる。オデット様はシュヴァリエ公爵の娘だし、殿下と結ばれるのになんの支障もないわ。


「心を決めてしまえば、後は実行するだけよ!」


 断罪イベントは卒業パーティーというのが定番だ。私は傷ついた心を誤魔化すように、ぐっと握った拳を天に向かって突き上げた。




   ◇ ◇ ◇




「リュシエンヌが足りない……」


 俺は両手を組み合わせて、背中を伸ばした。目の前に座っているレオンスが苦笑する。


「別に、避けることなどありませんよ。普通に話せば良いじゃないですか」


「それができたら苦労しないんだが」


「本当、顔に似合わず奥手ですよね」


 俺はレオンスをひと睨みして黙らせ、頭を抱えた。

 以前レオンスと話した通り、俺がオデット嬢に好意を抱いていると勘違いさせるため、また宰相への情報制限のために長くリュシエンヌとの接触を控えていた。校内では勿論、王宮での講義のときも、最低限の会話と世間話程度しかしていない。会いたい気持ちを堪える代わりに、そして同時にリュシエンヌにまで勘違いされないように、こまめにバルニエ侯爵家に花を届けさせている。一日おきに手ずから花を選んでいるのだが、伝わっているだろうか。聡明なリュシエンヌのことだから、きっと言外の意味まで察してくれていると思いたい。

 あっという間に季節は移り変わり、もうすっかり秋になっていた。次の春がやって来ると、俺達はこの学園を卒業し、大人の仲間入りをする。勿論緊張もあるが、何よりリュシエンヌとの結婚に向けて一つ前進することが嬉しかった。

 予定では、卒業と同時に結婚の準備を始めて、卒業から一年後には挙式だ。リュシエンヌの花嫁姿は、きっと誰より綺麗だろう。


「──ところで、調査の件ですが」


 レオンスが一度咳払いをして、話題を変えた。

 これまでの調査で最も大きな進展は、オデット嬢の母親が、かつて王宮で使用人として働いていたと分かったことだった。名前はエミリアというらしい。


「出会いは仕事を通して、ということだろ。だったら、やっぱり母親の所属していた部署を調べるのが良いよな?」


「名前が分かっているのです。やはり、このまま最後まで名簿を調べきるのが良いでしょう」


「そう言って今月はずっと書庫だっただろ。王宮の使用人なんて山ほどいるんだ。それも、『エミリア』なんてよくある名前……もう三人いたぞ」


 書庫に保管されていた過去の名簿。こっそりと忍び込んで調べたが、丁度オデット嬢の母親が働いていたと思われる時期に勤務していた同名の女性は、半分調べた現時点で三人いたのだ。ファミリーネームが分かれば絞れるところだが、オデット嬢はそれを知らないらしい。

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