それぞれの思惑とすれ違い8

「……私の世界は、ジョエル殿下とほとんど同じなのよ」


 ジョエル殿下に新たに提供できるものは、私には殆どない。それは私が一番よく知っている。だって、一緒に育ったようなものなのだから。

 下町を知るオデット様は、もしかして、私よりもよく世界を知っているのではないかしら。

 私は思い当たった事実にどきりとして、痛んだ胸をそっと抑えた。





「もうっ! 皆、勝手なことを……リュシエンヌ様はそのような方ではないのに」


 私の隣でらしくもなく憤っているのはレアだった。引き金は、いつからか続いているオデット様への嫌がらせだ。

 嫌がらせの内容は稚拙なものだった。教科書を破かれたり、ドレスを汚されたり、机に落書きをされたり。子供のいじめのようなそれは、貴族社会に生きる令嬢達であれば、あしらい方も静め方も分かっていて当然のようなもの。それができなかったのは、オデット様が貴族社会に慣れていないからに他ならない。


「レア。私は大丈夫だから、少し落ち着いてくださいな。殿下は私を気にかけてくださっておりますし、噂のようなことはありませんわ」


「ですが、あの方達、リュシエンヌ様がいじめの犯人のような物言いをして……っ! 


 私は小さく嘆息した。そうなのだ。私は何もしていない。それどころか、オデット様への嫌がらせを見かける度に影で注意していた。それなのに、いつまでも終わらないどころかエスカレートしているように見える。そして、それら全てが、私が主犯のように言われているのだ。

 不自然極まりなかった。誰かが、私に罪を擦りつけようとしている。


「きっと、何か思惑があるのよ」


 私は溜息と共にその言葉を吐き出した。ジョエル殿下と婚約破棄をするかもしれないという噂、オデット様をいじめているという噂。そのどちらも、意図的に広められたものだ。きっと、オデット様がこの学園内で優位になるように。私が、権威を失うように。

 ジョエル殿下がオデット様の側にいる以上、オデット様が虐められていることは、好意的に受け止められる。まさに恋愛小説のヒロインのように。可憐でか弱いヒロインと、高飛車で強い悪役令嬢。


「だけど、これはオデット様が主導のものではないと思うわ」


 オデット様にこんなに大それたことをするほどの狡猾さはないと思う。その存在を利用しているのだろう。バルニエ侯爵家の力を削ぎたい者は、いくらでもいる。


「とはいえ……今なら、きっと婚約破棄だってできるわね」


「そんな、何を仰っているのですか……っ」


 レアはそう言っているけれど、これは私にとって、たった一度の好機だった。幼い頃から、ジョエル殿下が好きだった。最初は嫌なやつだと思ったけれど、いつからか恋に落ちていた。だから離したくないと思った。

 何かを誤魔化しているのか、日課のように花を贈ってくる必要なんてないのだ。だって、いつだって、私はジョエル殿下のことなら、一番に想っているのだから。そう──それは、殿下の幸せを一番に望むほどに。

 この機を逃せば、私がジョエル殿下を諦めることはできないわ。殿下は、私から逃げられない。

 そこまで考えて、私は自分の思考に驚いた。こんなことを考えていたのね。恋しているような顔をして、殿下のためだと言いながら、結局、手を離す気なんてなかった。

 初めて見つけた愚かな心に混乱する。


「今日は……先に帰らせていただきますわ。ご機嫌よう」


 侯爵令嬢として、動揺を悟られるようなことがあってはならない。染みついた教育が、どうにか挨拶の言葉を絞り出させた。


「はい。ご機嫌よう、リュシエンヌ様」


 レアは私の心情を察して微笑んでくれた。

 こういう日は、家に帰って本を読むに限る。でも、今恋愛小説を読むと引きずられてしまうような気がするから、逆に勉強をした方が、集中して心を乱さずに済むかしら。

 早く馬車に乗ってしまいたい。はやる気持ちを抑え、前を見据えて廊下を歩く。


「──……あ」


 そのとき、私は丁度通りかかった空き教室の窓から見えた光景から、目が離せなくなった。教室の廊下側の窓は曇りガラスなのに、今は少しだけ開いていて中が見える。それが災いした。

 その教室では、雑に置かれた棚の影で、男女が座って抱き合っていた。きっと扉を開けて入ったら、気付かないような場所だ。棚に背を預けた男性の上に、女性が前のめりに身体を預けるようにしている。その腕は、確かに男性の背に回っていた。

 太陽の光が、二人の髪に当たって反射する。流れるように広がった女性の長い銀髪が、光が当たって独特の桃色に光る。その髪の持ち主は、私が知る限りこの学園に一人しかいない。息を呑んだ私の目の前で、女性の下にいた男性の髪が、さらりと揺れた。そのプラチナブロンドを見間違える筈がない。


「そう、だったのね」


 幸い、二人ともこちらには気付いていないようだ。男性の右手が、女性を支えるように背中に回る。

 私はそれ以上見ていられなくなって、令嬢らしさなどかなぐり捨てて廊下を駆け抜けた。頭の中が滅茶苦茶だった。さっきまで冷静に考えていた婚約破棄という言葉が、私の頭の中に何度も浮かんでは消えていく。すれ違う人達が驚きの目で見ている。それでも、とても冷静ではいられなかった。

 ジョエル殿下は想ってもいない女性を抱き締めるような人ではないもの。きっとオデット様は、王弟殿下であるシュヴァリエ侯爵の隠し子だったのね。国王様の子なら、ジョエル殿下とは兄妹になってしまうもの。従兄妹なら、問題ないわ。

 バルニエ侯爵家の馬車はいつもの場所で待っていた。私は慌てて乗り込んで、腰を下ろす。揺れる馬車の中、頭の中に溢れる情報を整理するのに必死だった。

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