それぞれの思惑とすれ違い7
◇ ◇ ◇
花が届いた。
「リュシエンヌ様。こちら、ジョエル殿下からの贈り物だそうですよ」
侍女が、小さなカードがついた贈り物を私の部屋へと持ってくる。カードには慌てて書いたような雑な文字で、『愛しいリュシエンヌへ』と書かれていた。
「──まあっ。これを、殿下が?」
私は声を上げて、受け取ったそれをまじまじと見た。
可愛らしい鈴蘭の花だ。白いそれは他の花と一緒に束ねられたりせず、ただ一輪だけが控えめな黄色の包装紙にくるまれていた。
こんなものが届いたのは、婚約してから初めてだ。
爽やかな香りが、持っている私にしか分からないくらい微かに香る。控えめにすうっと吸い込むと、夏の直前の頃の野のような、甘く涼やかな心地がした。
「こちら、届けてくださった方はまだいらっしゃるのかしら?」
まさか最近私を避けているジョエル殿下が、直接持ってきたということはないだろう。使者がいるのならばお礼の手紙を持たせたいところだ。
「申し訳ございません。あの……使者の方なのですが、お引き止めはしたのですが、お急ぎでいらっしゃるとのことで、既にお戻りになってしまわれました」
「……そう。でしたら仕方がないわね。明日、直接殿下にお礼を申し上げるわ」
本当は、手紙ででも聞きたいことがあったのに。
ジョエル殿下は徹底して私を避けることにしたらしい。挨拶こそするものの、共に昼食をとることは殆どなくなり、別棟の部屋にも滅多にいない。いや、正確には私が行くと逃げるように出ていくのだ。
正直全く良い気はしない。
家では侍女にも家族にも心配をかけたくなくて、明日お礼を言うと言ってみたけれど、本当に言える機会があるかは謎だった。
「──まさか、本当にオデット様に気が向いた訳でもない……わよ、ね?」
独り言は誰にも聞かれないまま、ぽつりと落ちた。
少なくとも花を贈ってくるということは、ジョエル殿下は私に気を遣っているということ。スキャンダラスな噂として学院内で語られ始めた『婚約破棄』をするつもりはないという意味だろう。
そうでなければ、贈り物などしない。
私は花を侍女に託し、椅子に腰掛けた。侍女は清楚な印象の一輪挿しの花瓶を持ってきて、鈴蘭を生けてテーブルの中心に置く。よりによって、こんなに目立つところに置かなくても良いのに、と思ったけれど、これはきっと、ジョエル殿下から花を贈られた私が喜んでいると思ってのことだ。むしろ部屋の端に置いてしまったら、屋敷中に変に思われてしまうに決まっている。
どうしても気になってしまうのは、我慢するしかない。
私は鈴蘭の花を指先でつついて揺らし、小さく嘆息した。
「どうしてこんなことに……!?」
私は部屋をぐるりと見回し、呆れてしまった気持ちそのままに声を上げた。
初めて花が届いてから一か月。ジョエル殿下は、一日おきに花を贈ってきた。チューリップ、薔薇、カーネーション、アザレア、ピオニー、などなど。
最初こそ鈴蘭の花を選んだことには何か理由があるのだと思って書庫で花言葉の本を読んで顔を赤くしたけれど、これだけ色々贈られると、最早花の種類に意味など無いのだろうと思えてきた。
問題は花だ。日によって届く本数は違うが、バルニエ侯爵家の優秀な侍女達は、王族から贈られる花を丁寧に扱わなければならないという使命感から、完璧な管理をしてくれた。結果として、一か月でこの色とりどりの雑多な花に埋もれた部屋ができあがった、という訳だ。最初こそ華奢な花瓶を使っていたが、今ではもう侍女達がその腕を競うように様々な花瓶にそれぞれのアレンジで生けている。
「──あら。でも、流石に最初にいただいた鈴蘭はそろそろ限界かしら?」
花はまだ可愛らしいが、傷んだ葉が取られ、他の花の引き立て役にされてしまっている。むしろよく一か月も保たせたものだ。
私は鈴蘭をそっと花瓶から抜き取って、茎を短く折った。本棚にある、あまり読まない辞書に薄紙と一緒に挟み込む。こうすれば、きっと押し花になってくれるだろう。後で栞にでもすればいい。
「だけど、オデット様、ねぇ……」
辞書を本棚に戻して、私はほうっと息を吐いた。そして、その横にある恋愛小説を手に取る。
宰相の隠し子だった下町育ちの少女と王子の物語だ。王子の婚約者は高位貴族の令嬢で、王子との婚約を盤石なものだと思い込み、少女に嫌がらせをする。そして婚約者はパーティーの日にそれを断罪され、少女と王子は結ばれる。『いつまでもしあわせにくらしました』は恋愛小説の基本だ。
「本当に、物語のヒロインみたいな方」
最初こそ軽薄なところがあると思ったが、今ではすっかり『王子様のご学友』になってしまった。ジョエル殿下はオデット様といることが増えたし、レオンス様まで一緒に話していることもある。騎士団長の息子であるセドリック様とオデット様は長く仲良くしているようで、オデット様を通してジョエル殿下もセドリック様と語り合うようになったようだった。
新しい出会いは貴重だ。それは人だけではなく、世界も視野も。
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