それぞれの思惑とすれ違い4
「ジョエル、どこに行くのだ?」
廊下を歩いていた俺は、背後からかけられた声に大袈裟なほど驚いてしまった。ぎぎぎ、と音を立てそうな不器用な動きで振り返る。相手は今一番会いたくなかった人だ。
「ち、ちちち、父上。お疲れ様です」
父上は、縁に白い毛皮があしらわれた見るからに豪華な丈の長い上衣の裾を、惜しげもなく引き摺っていた。表面には細かな刺繍で建国神話の一場面が描かれているそれは、謁見時に着る衣装だ。途中で抜け出してきたのだろうか、一体、何のために。
そこまで考えて、俺は焦る気持ちを必死で隠した。影に渡す予定の依頼書はまだ懐にある。これが見つかってしまっては今日の努力が水の泡だし、母上の機嫌はより悪くなるだろう。そもそも俺が父上の不興を買ってしまう。
「今日はもう帰っていたのか、早いな。それで、どこに行こうとしていたのだ?」
「す……少し、花でも見に行こうかと思いまして」
嘘だった。ただ、目的地である影と落ち合える場所が庭園の中にあるため、都合が良かったのだ。
父上はきらりと目を光らせた。ま……まさか、もう既にばれているのか? ばくばくばくと心臓が煩い。血液の流れが分かるほどの極度の緊張を押し殺そうと、冷静になれ冷静になれと頭の中で繰り返す。
「花か。お前にそんな風流があったとは、今初めて知ったが」
「リュ、リュシエンヌに贈る花です。彼女は花が好きですから」
そういえば、リュシエンヌに花を贈ったことは殆ど無い。今度、選んでやるか。場違いにもそんなことを考えると、少し心にゆとりができた気がする。あくまで気がするだけだが。
「そうか。……早く帰ってきたのなら、着替えて謁見室に来なさい」
「はい。すぐに伺います」
「よし、よし。花は後日にするといい」
父上は上機嫌なのがありありと分かる表情で、来た道を引き返して行った。俺はその背中を見えなくなるまで見送って、ふう、と深い溜息を吐く。
きっと俺の目的に気付いていたのだろう。だから衣装を替える暇すら惜しんで、庭に行くのを妨害しに来たのだ。さすが、耳が早い。
「──……これは、ますます怪しいな」
俺が庭で影に仕事を依頼するのを阻止したということは、調べられると困ることがあると言っているようなものだ。母上に呼び出された時には半信半疑だった『オデット嬢が国王のご落胤説(俺の腹違いの妹説)』が、今回のことで現実味を帯びる。
「嘘だろ。良い歳して何やってるんだよ、父上……」
とりあえず明日、オデット嬢に誕生日を確認しよう。俺はそう決めて、衣装を整えるために自室へと引き返した。
◇ ◇ ◇
「レオンス、ちょっと良いかしら?」
その日、私が自宅であるシュヴァリエ公爵邸へと帰ると、自室に辿り着く前に母上に呼び止められた。
私の父上であるシュヴァリエ公爵は王弟だ。ジョエルがルヴェイラ学院を卒業するまでは、王位継承権第一位となっている。余計な争いを避けるため、国王になる意思がないことを示そうと臣籍降下をしたとはいえ、王位継承権があるうちは周囲が煩いと、父上がよく文句を言っている。
そんな父上と兄である国王は仲が良く、シュヴァリエ公爵邸は王宮の隣にある。それどころか塀が繋がっていて、隠し扉を抜ければ王宮の敷地に入れるようになっていた。これは、一族しか知らない秘密だ。まだ幼い頃にこっそりジョエルと遊ぶために何度か使ったきり、最近は使っていなかった。
「何ですか、母上」
母上はこの国貴族女性にしては珍しいショートヘアの毛先を左手で弄びながら、口を開いた。
「オデットさんのこと、貴方はどの程度知っているのかしら?」
「オデット嬢ですか? 話をしたこともありませんので、よく知りませんが」
私は内心の焦りを隠して、事前に用意しておいた答えを口にした。これは危ない質問だ。ジョエルから明言がないとはいえ、オデット嬢は国王か父上のどちらかの隠し子に決まっている。あんな髪色、話題にならないほうがおかしいのだ。
そして王妃様も母上も、夫の浮気を許すほど寛大な人間ではない。
「あら、そう。貴方のことだから、もう何か調べているかと思ったわ」
「調べてはいますよ。ですが、思うように情報が集まらなくて」
私だって、このことに気付いてから何もせずにいたわけではない。ジョエルにも内緒で集めてきた情報は、かなりの量だ。それなのにオデット嬢の両親についての情報だけが、ポッカリと穴が空いたように手がかりがないのだ。
これは、私よりも力のある者が妨害しているのだろう。となると、父上か、国王か。やはり最初の二択から変わることなく、オデット嬢の父親を確定できずにいる。
「……誰かが邪魔をしているってことね」
母上はそう言って笑った。
「そう、分かったわ。私、これから王妃様にお会いしてくるから」
母上はくるりと背を向け、迷いなく歩き始めた。
「ですが、王妃様にお会いできるか……」
「大丈夫よ。しばらくはお時間があると聞いているし……正面から正直に行くわけないでしょう?」
呼び止めた声に対して悪戯に笑った母上は、玄関とは違う方向に向かっていく。
隠し扉を使っていくのだろう。それならば来訪記録も残らないし、誰にも邪魔されることはない。翻ったスカートの裾からちらりと覗いたズボンの裾が、母上の本気を示しているようだった。
女性の噂話には恐ろしいほどの力がある。もしかしたら、王妃様と会うことで何かが掴めるのかもしれない。そして、私は。
「ジョエルに聞いてみますか……」
気は進まないが、母上が動き出してしまったということは、何かしらの動きがあるだろう。先に情報を共有しておきたい。
俺は一度部屋に戻って動き易い服に着替えると、母上と同じ方向へと向かった。
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