それぞれの思惑とすれ違い2

「ならば手を出して良いという法はありませんわ。それに、ミラベル様は何か誤解していらっしゃるようですわね」


 私はチラリとオデット様を見て、はあっと息を吐いた。

 ミラベル様は間違っている。オデット様はジョエル殿下と話をしていただけで、まだ何かをしたということはない。確かにシリル様をミラベル様から奪おうとしていたのかもしれないけれど、だからと言って手を上げることを正当化できるものではない。それどころか、もしもそれがシリル様の耳に入ったら、ミラベル様はかえって嫌われてしまうだろう。

 動揺を見せない私に、ミラベル様はじりじりと後退った。


「──ジョエル殿下は私の婚約者です。それは、たった数回他の令嬢とお話したくらいで、簡単に揺らぐことではございませんの。貴女が他の令嬢に構うほどご不安なのでしたら、首に紐でもつけておいた方がよろしいかと思いましてよ」


「何を──」


「……まぁ! 私に、言い返そうとしていらっしゃいますの? 貴女が?」


 言葉を切ってそう続けると、ミラベル様は悔しそうに口をひき結んだ。そうよね、アシャール家のことを考えると、バルニエ侯爵家の令嬢である私には逆らわない方が賢明だもの。

 私はずるい。こうやって家の名前を笠に着なければ、この程度の騒ぎを抑えることもできないのだから。これが恋愛小説のヒーローなら、もっと格好良く助け出せるのに。


「い……いいえ、なんでもございませんわ。──あ、私、用事を思い出したので失礼させていただきます。皆様、行きましょう」


 ミラベル様はそう言って、まさにヒロインに意地悪をした後の悪役令嬢さながらに逃げていった。他の令嬢達もその後を追う。私はそれを見送って、ポツンと座っているオデット様に向き直った。

 ゆっくりと歩み寄って、右手を差し出す。せめて最後くらい、ヒーローのように振る舞いたい。


「大丈夫でしたか? お怪我はないかしら」


 この後スマートに手を取って、立たせてあげれば完璧……と思っていたのに、オデット様は驚いたように私の顔を凝視して固まった。

 それから怒っているのか、慌てているのか、顔を真っ赤にしたオデット様は、私の手を無視して自力で立ち上がった。


「え?」


 何か失礼なことをしてしまったかしら。私が唖然としているうちに、オデット様は何も言わずに走って行ってしまった。空き教室には、私一人が残される。私はいたたまれない気持ちのまま、行き場がなくなった手をぽとりと落とした。

 嫌われるようなことをした覚えはない。これまでに経験したことがない種類のオデット様の振る舞いに、私はどうして良いかわからなかった。好意、悪意、尊敬、好奇心、羨望、嫉妬、害意。オデット様から向けられたものは、そのどれでもない。


「──……そう、そうだわ。ジョエル殿下と、お話をしに行くのでした」


 私は制服に乱れたところがないか確認してから、空き教室を後にした。

 別棟は相変わらず静かで、学生達の噂話も聞こえてこない。私はやっと肩の力を抜いて、特別室の扉を叩いた。


「失礼いたしますわ」


「ああ、リュシエンヌですか。お疲れ様です」


 部屋の中にはレオンス様がいて、ソファに座って紅茶を飲んでいた。テーブルの上には教科書が置かれているあたり、どうやら私が来るまでは勉強をしていたようだ。


「お邪魔でしたかしら?」


「いや、ちょうど暇を持て余していましたので、構いませんよ。リュシエンヌも紅茶で良いですか?」


 レオンス様はそう言うと、立ち上がってティーポットの準備を始めた。私は鞄を置いて、レオンス様が座っていたソファの向かい側に腰を下ろした。室内を見渡すが、ジョエル殿下の姿はない。


「ありがとうございます、レオンス様」


 レオンス様が淹れてくれた紅茶を飲んで、ようやく私は落ち着くことができた。レオンス様は教科書を閉じて、淹れ直した紅茶を口に運んでいる。


「──ジョエルには困ったものですね。今日は、こっちにも顔を出していないのです」


「え?」


 まだ何も言っていないのに、レオンス様は何を言っているのだろう。私は思っていたことが口をついて出てしまったのかと、首を傾げた。


「いえ……ジョエルが今日、オデット嬢と話をしていましたから。噂になっていたでしょう?」


「ええ、まぁ……それで、ジョエル殿下からお話を伺おうと思っておりましたのですが」


「それなら、無駄足でしたね。ジョエル、今日は一度もこちらに顔を出していませんよ」


 私は驚いて目を丸くした。


「まあ、一度もですか!?」


 普段、ジョエル殿下は授業の合間の小休憩や、選択していない授業のときなどにもよくこの場所で過ごしている。明らかに一年生の頃よりも私物が増えて過ごしやすくなった部屋は、その利用者が過ごしてきた時間を物語っている。快適を追求してきたからこそ、部屋は整えられていくのだ。


「そうなのですよ。──オデット嬢のことがあったので、私も話したかったのですが」

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