それぞれの思惑とすれ違い1

「あれは……一体どういうことかしら」


 私は渡り廊下の窓から見えた光景に、自身の目を疑った。

 ジョエル殿下が、オデット様と二人きりで話をしていたのだ。庭は校舎の窓ならどこからでも見える。オデット様の髪が日の光を受けて桃色に輝く。ジョエル殿下の弟である第二王子と同じ色だ。

 ジョエル殿下とオデット様は本当に二人きりで、何かを話している。レオンス様も連れていないし、いつもはオデット様の側にいる他の貴族令息達も殿下に遠慮したのか、側にはいない。個室などではないからやましいところはないと言いたいのかもしれないが、これでは全校の学生に『二人きりで会話する仲』であることを公にしているようなものである。


「リュシエンヌ様。きっと、何か事情がおありなのだと、思います。だって、オデットにどうこうできるような方ではありませんから……っ」


 隣を歩いていたレアが慌てたように言う。以前にオデット様が男子学生を連れているのを見たのもここからだったわね、なんてどうでも良いことを考えた。

 私はレアの方を一度振り向いて、首を左右に振る。


「ええ。大丈夫だから、そんなに心配なさらないで、レア」


 私は今すぐジョエル殿下を問い詰めに行きたい気持ちを堪えて、なんでもないように笑って見せた。私はリュシエンヌ・バルニエ。バルニエ侯爵家の令嬢で、ジョエル殿下の婚約者だ。こんなことで心が揺らいで取り乱すようでは、この地位は務まらない。

 だから、たった一回、ジョエル殿下が他の令嬢と話しているのを見かけたくらいで、狼狽える訳にはいかない。そんな必要はないのだ。

 私は一度しっかりと息を吸い込んで、口を開いた。


「後でお会いするのだし、聞いてみますわ」


 後で別棟の特別室に行ってみよう。そうして、そのときに直接聞いてしまえば良い。そう気を取り直して、私は前を向いた。





 授業を終えて、今日はレアと図書館に行くのを断り、私は別棟の特別室に向かった。

 途中ですれ違う学生達の視線を感じる。入学してから落ち着いていた筈のそれが、今日は急に強く感じられた。それは、もしかして今日のジョエル殿下とオデット様のせい? こんなことで仲が壊れたりしないわよ。……それにしても、急に始まったその視線に、あまり良い気持ちはしない。

 私は別棟へと急いだ。あそこは一階が教職員室だから、あまり学生が近付かない。早く、早く。私は私を見ている人達から怪しまれない程度に早足になる。

 そのときだった。


「──貴女、何様のおつもりかしら? シリル様では飽き足らず、ジョエル殿下にまで近付くなんて……分を弁えなさいよ!」


「きゃっ」


「ふふふ、かわいそーう」


 どんっという音とともに、小さい悲鳴が聞こえた。音がした方には、使われていない空き教室がある。私は嫌な予感がして、閉じ切っていなかった部屋の扉から中を覗き込んだ。

 声から予想した通り、中にいたのは複数の──十人くらいの令嬢達だった。壁を背に座り込んでいるのはオデット様だ。それを囲むように立っている令嬢達の中心にいるのは、私と同じクラスの学生だった。確か、アシャール伯爵家の令嬢──ミラベル様だ。アシャール家というと、領内に鉱山を複数持つ、伯爵家の中でも特に力がある家だ。そして、以前食堂でオデット様といちゃついているのを見かけたシリル様の婚約者、だった筈だが。

 シリル様の実家であるドゥブレー伯爵家の領地では金属への精緻な彫刻が盛んで、特産として売り出している。原材料となる金属を多く産出するアシャール家との縁談は家同士が決めたものだった。

 自分の婚約者がぱっと出の女に夢中になっているのだから、それは当然良い気がしないだろう。しかしだからといって、直接的に手を出すのは間違っている。

 空き教室の中では、ミラベル様を中心に、令嬢達が罵詈雑言をオデット様に向けて吐いていた。私は思い切って、扉を開ける。


「──何をしているのかしら?」


 第三者の声がしたことで、中の空気がぴしりと固まった。ああ、重い。放っておくという選択肢がなかったとはいえ、ここに飛び込んでしまったことに後悔する。

 令嬢達は悪いことをしていた自覚があるのか、私から目を逸らす。オデット様まで目を逸らしたのは、どうしてかしら? こういう状況は慣れていないのだけれど。

 そうだわ、こんな時は、恋愛小説を参考にすれば良いのよ。だけれど、あら? 困ったわね……ヒロインが囲まれているのを助けるのは、ヒーローの役目だわ。ヒーローに相応しい人は、ここにはいないし。仕方ないわね。

 私は少しでも大きく見えるように胸を張って、不敵に微笑んで見せた。


「使われていない空き教室で、令嬢ばかり集まって……そちらの方は、転んでしまっているようですけれど」


 かつかつかつ。踵を鳴らして、教室に入る。そうして、ミラベル様と向き合った。


「何をなさっているのですか」


 誰も何も言えずにいる中、流石と言うべきか、ミラベル様がつんとすました顔をした。おそらくこの場の主導権は、ミラベル様にあるのだろう。他の令嬢達はアシャール家よりも格下の家柄のようだから、取り巻きかしら。


「あら、リュシエンヌ様、ご機嫌よう。こちらの方が、貴族の振る舞いを存じていらっしゃらないようでしたので、教えて差し上げておりましたのよ。──そうですわ! リュシエンヌ様も、思うところがおありでいらっしゃるのでは?」


 ミラベル様は、それが当然というような顔で、恋愛小説の悪役令嬢のように笑った。

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