三度目の春と編入生3
◇ ◇ ◇
「はーあ、本当に疲れる! 貴族がこんっなに面倒なものだったなんて知らなかった。詐欺よ、詐欺!! なーにが『一緒においで、これまでの苦労の分幸せにしてあげるよ』よっ」
私は誰も見ていないことを確かめて、思いっきり身体を伸ばした。
ここはルヴェイラ学院の庭園だ。薔薇の庭園迷路の中は、意外と人がいない。不用意に入り込んでしまえば迷子になって授業に遅れてしまうのだから当然だ。そういうこともあって、逆に休日の方が生徒達が迷路に挑戦して混雑するようだ。迷路の先にあるものが美しい王宮の『天使の庭』を模した庭園だと知っていればこその混雑だろう。私には関係ないけど。
勿論私だって、迷路の中は把握していない。それでも人目を避けたいときにはここが一番丁度良かったのだ。だからあまり奥には入らない。入り口からまっすぐ進んで、突き当たりを右に。その次の突き当たりを左に折れた行き止まりが、私の定位置だ。
「授業さぼっちゃったけど、一回くらい良いよねー」
息が詰まって仕方なかった。勿論私だって褒められれば嬉しいし、男子にちやほやされるのは気分がいい。だけど、私は幸せになりたいだけなのだ。
ただのオデット改め、オデット・ラマディエ『男爵令嬢』となった私は、お義父様となったラマディエ男爵の指示で勉強し、学院に入学した。
生まれた場所は郊外の村にある寂れたアパートメントだった。おんぼろで、家賃が安くてもあまり住む人が多くないアパートメント。私はそこで生まれ育った。ママは村では一番の美人だったから、私の自慢だった。パパがいなくても大丈夫、だってママは私を大好きでいてくれるから。ママは村で摘んだ花を王都の近くまで売りに行っていて、私は日中一人でいることが多かった。そうすると、村の大人達は私に、ママは言わないことを聞かせてくる。
『おまえのママはどこのお偉いさんの愛人なんだ』
とか、
『父親がいないのはおかしい』
とか。
私のママは村の出身じゃなくて、私を身篭ってから村に住み着いたから、余所者だったんだって。そういう差別、ばっかみたい。
だけどママはすごく綺麗だから、きっと会ったことがない──いるのか分からないパパは、とっても素敵な人に決まっているわ! 身分とか世間とか、きっとそういう問題があって、仕方なくママは一人でここにやってきたのよ! だから、私はママが大変な分、いっぱい良い子でいるの。
そう思っていたのに、ママは私が十歳になる前に、流行病であっけなく逝ってしまった。勿論私に身寄りなんてあるわけがなくて、更に少し田舎にある教会に併設された孤児院で暮らすことになった。
孤児院での暮らしは、思っていたよりも快適だった。ママがいなくなって寂しかったけど、その分歳が近い子が大勢いたし、ここではパパが分からなくてもママがいなくても、誰も私に何かを言ったりしなかった。だってここにいる子は、皆親がいないのだから。だから教会での奉仕活動も、孤児院での仕事も、大変だったけど楽しかった。たまに珍しい髪の色で虐められることがあったけど、喧嘩をして倍返しにしてやった。ママの髪は茶色だったから、この髪はパパのもの。だから絶対、綺麗なんだから。
私が十三歳のとき、孤児院にとても綺麗な服を着た男の人が来た。これまで私がいないときに来ていたらしいその人は、この辺りを治める領主様らしい。ラマディエ男爵という人だと、先生から教えてもらった。男爵は私を見て一瞬驚いたような顔をして、それからとても優しそうに笑った。
『ああ、君はなんて可愛いんだ』
『ありがとうございます、男爵様』
優しい人なんだろう、私は素直にそう思った。それから男爵様が来てくれると嬉しくて、私はよく懐いた。だから数か月後、その申し出があったとき、私は心から嬉しかったのだ。
『──オデット、私の家の娘になるかい?』
それは孤児院にいる子供にとって、パパを知らなかった私にとって、夢のような言葉だった。それから、男爵様は言ったのだ。
『一緒においで、これまでの苦労の分幸せにしてあげるよ』
と。
引き取られて連れて行かれた先は、王都にある立派なお屋敷だった。初めて見る王都、初めて見るお屋敷。ラマディエ男爵家は、男爵と奥様、娘と息子が一人ずつの、四人家族だった。初めてのメイドと侍女、それから家庭教師。家族は皆優しくて、歳の近いお義姉様は物静かで話しかけづらかったけど、教えてもらった文字の勉強にと連れて行かれたお屋敷の図書室で、お義姉様の本を見つけた、こっそり読んだら、きらきらしたお話でとても面白かった。だからきっと良い人なんだと思う。
勉強は大変だったけれど、面白い本と、新しい優しい家族と、これまで経験したことがなかった豪華な生活のためだと思えば頑張れた。それにお義姉様と同じ学院に編入するためだ。学院なら、きっと、今はいない友達だってできるに違いない。だって、家では本を読んでばかりでどこか退屈そうなお義姉様だって、学院に行くときはとても楽しそうだから。
それなのにお義父様は、編入が間近に迫ったある日、私を呼び出してこう言ったのだ。
『おまえはとても可愛らしい。その美貌で、少しでも高位の貴族令息を誑かしてこい。折角引き取ってやったんだから、この家のために働いてくれるよな?』
村で一番の美人だったママに、この頃の私はよく似てきていた。まだまだ子供っぽいけど、それはそれで愛らしいと言えると思う。孤児院では虐められる原因になった銀髪も、綺麗なドレスを着ればよく映えてくれる。村で一番だったママの美貌は、村を出てもきっと一番だ。
その容姿を利用してこいと言われているのだと、少しして気が付いた。もしかして、お義父様──ラマディエ男爵は、そのために私を引き取ったの……いや、それは考えすぎでしょ。そうだよね、だって、新しい家族……だもの。疑うなんてしちゃいけない。
そして、私はルヴェイラ学院に編入した。私の容姿はここでも充分通用してくれるみたいで、男子は皆優しくしてくれた。最初は気軽に話してくれる人から。次に、私を気にしている中位貴族。そうしてひと月もすれば、高位貴族の令息からちやほやされるまでになっていた。
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