二人きりのデートと髪飾り8
「ところで、噂についてはお二人ともご存知ですか?」
ボードゲームを片付け、代わりにテーブルには今日の授業で出た課題が並べられた。それを見るともなしに見ながら、レオンス様は唐突にそう言った。
「ああ、あの……私が浮気をしていたというものですよね」
相手はジョエル殿下なのだから、浮気も何もない。私はそう思って苦笑したのだが、殿下は私とは異なる受け止め方をしたようで、むすっと唇を小さく尖らせる。
「俺も聞いた。……と言うか、わざわざ俺に聞かせにきた奴が何人もいたからな」
「それは……」
私の失点だと喜んだ人がいたということだろう。とはいえ私には、そう驚くようなことだとは思えなかった。何せ私は、まだ第一王子が九歳のときに決められた婚約者だ。私のお父様が宰相だから、娘を王族に嫁がせようと無理を言ったと考え、そこにジョエル殿下の意思はなかったと推測する人がいてもおかしくはない。
実際のところ婚約は国王陛下と王妃様からの提案で、ジョエル殿下が(当時は思惑があったとはいえ)積極的に話を進めたのだから、その憶測は外れているのだが。
しかし娘を少しでも上位の男性に嫁がせたい貴族達や、未来の王妃という立場に憧れる令嬢達、そしてきらきらしい魅力を振り撒くジョエル殿下に恋をし夢を見ている女子達にとっては、私は邪魔な存在以外の何者でもないだろう。
「そういうものなんだろうな。ったく、伝えに来るだけ愚かだってのに」
「そうですね。この噂を嬉々として受け止め広めるものは、本人か両親にバルニエ家に対して二心があるか、または権力にとても貪欲であるということの証明になりますから」
レオンス様が唇の端を吊り上げるようにして笑う。私は広がる噂よりもその笑顔の方が恐ろしかった。だって、目が全く笑っていないのだもの。
「レオンス」
ジョエル殿下がそれを見て、嗜めるように名前を呼ぶ。しかしレオンス様は止まらない。それどころか、なおもその笑みを深めた。
「昨日の出来事ですよ。こんなに早く噂が回るなんて不自然です。ある程度力のある誰かが、故意に広めたに違いありません」
「──……っ」
私は息を飲んだ。つまりそれは、明確な悪意を持った人がいるということだ。有象無象ならばともかくとして、行動に出ているというのはあまり気持ちの良いものではない。
「本当に、可哀想な人です。そもそも相思相愛の二人の間に割って入れるはずがありませんのに」
「レオンス様、何を──」
「今更誤魔化すこともないでしょう。ジョエルはようやく気持ちを伝えたのですね。長い両片想いでした」
「「な……っ!」」
私だけでなく、ジョエル殿下も突然の言葉に顔を赤くしている。レオンス様は今度は穏やかな顔で、私達二人に目を向けた。
「幼馴染みとして、素直に祝福させてください。側で見ている立場としては、焦ったくてたまらなかったのですよ」
確かにレオンス様は、誰よりも私とジョエル殿下の側にいた。一番近くで見られていたのだ。まさか隠していたはずの恋心に気付かれていたとは思わなかった。私は慌てて口を開く。
「いつからご存知でしたの!?」
「最初から。ジョエルは私に直接相談してくれていましたし、リュシエンヌは聞かなくても分かりましたよ」
最初にレオンス様に出会ったのは、ジョエル殿下と婚約して数ヶ月が経った頃だった。あの頃は、まだ気持ちに名前をつけることもできなくて──ということは、私よりも早く気付いていた?
恥ずかしさに頭を抱えた私に対して、ジョエル殿下は真っ赤な顔のままレオンス様に抗議した。
「ちょ、お前っ! 言わないって言ってただろ!?」
「もう想いが通じたのだから良いではないですか。リュシエンヌも嬉しいと思いますよ」
「そんな……っ」
言い返そうとした私は、しかし言葉を呑み込んだ。つまりジョエル殿下は、随分前から私を想ってくれていて、しかもそれを、レオンス様に相談していたということだ。
嬉しい。嬉しすぎる。
「──ジョエル殿下?」
「……なんだよ」
不機嫌そうな声音だ。しかしその顔色を窺うと、私に負けず劣らず真っ赤なままで、それが照れ隠しだということはすぐに分かる。はっきりと指摘してしまったら不躾かしら。それでも溢れ出る笑い声は隠しきれない。
「ふふ……っ。いいえ、なんでもありませんわ」
私だけではなかったのだ、これまでもやもやとした想いに悩んでいたのは。そう思うと心が暖かくなって、ふわふわとした気持ちになった。
それに水をさしたのはレオンス様だ。
「──噂の男が黒髪ということは、エルの格好で行ったのですね?」
「ああ。だからまずいな」
なにが『だから』なのだろう。不思議に思っていると、レオンス様が説明してくれた。
「『エル』の変装は、私とのお忍びでも使っているのです。それも、割と様々なところに入り込んでまして……」
レオンス様はそこまで話して、何かを誤魔化すように咳払いをした。
「っ……とにかく、ジョエルのお忍び姿に気付かれるわけにいかない以上、噂を打ち消すにも限度があります。リュシエンヌは周囲に気をつけてくださいね。二人とも、良いですか。もし真実を問われたら、男はバルニエの親戚で、馬車で王宮にいるジョエルに会いに行ったことにしてください。──本当は、親戚だというのもあまり使いたくない手なのですが……仕方ありません」
私は一度素直に頷いてから、首を傾げた。
「どうして親戚ではいけませんの?」
良い言い訳だと思うのだが。レオンス様が苦笑して、ジョエル殿下まで溜息を吐く。
「良いか、リュシエンヌ。貴族が隠れて会った異性を親戚だと言うのは、大抵が公にできない恋人のことなんだ」
「まあ、勿論、本当に親戚であることもありますのでなんとも言えませんがね」
それを聞いて納得した。思い出せば、読んだことがある恋愛小説にもそんな描写があったような気がする。確かに今回は『人には言えない恋人』で間違ってはいない。
私ももっと丁寧に変装すれば良かった。これまで私の見た目を知らない人が多かったから、油断した。今だって社交界に顔を出したりはしていないから、私の外見を知らない大人は大勢いるけれど、同級生とは学院で顔を合わせているのだ。
今後変装して外出するときは髪の色まで変えよう。私は内心でそう決意した。
打ち消そうとした努力が実ったのか、それとも高貴すぎる身分であるジョエル殿下と私のスキャンダルを大声で吹聴するのが憚られたのか。それからひと月も経つと、もう噂は聞こえなくなっていた。消えてしまった噂の元を辿るのは難しく、分からないままだ。
ジョエル殿下と想いが通じ合っても、では関係が進展したかというとそうではなく、甘い空気になるような機会など一度もないまま。気付けば、あっという間に私達は三年生になってしまった。
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