二人きりのデートと髪飾り7

「なんだよ……まったく。リュシエンヌ、次はお前がやるか?」


 ジョエル殿下は勝負がついた状態のままだった盤上の駒を一つ摘んだ。そうして、上目遣いに私に不敵な笑みを向ける。


「……殿下は私になら勝てるとお思いなのですね。負けませんわよ」


 改めてジョエル殿下と二人きりで(レオンス様も同じ部屋にはいるのだが)残されると、どうしても昨日のことを思い出して気恥ずかしさが勝る。私は目を合わせられないままその勝負を受けた。

 ジョエル殿下とボードゲームをするのは久しぶりだ。さっきまでレオンス様が座っていたソファに座り、盤上の黒い駒を集めて手元に並べていく。ジョエル殿下もそれを見て、白い駒だけを並べることにしたようだった。

 お互い無言のまま、駒を並べていく。しかし狭いボードゲームの盤の上だ。当然のように互いの手が触れ合い──私は咄嗟に勢いよく手を引いてしまった。倒れた駒が、かたん、と軽い音を立てる。思い出したのは、昨日繋いでいた掌の熱だ。


「も、申し訳ありませんわ。私──」


「いや、大丈夫だ。始めるか」


 ジョエル殿下は気にしていない素振りで、素早く残りの駒を並べた。そして、そのまま断りなく自分の駒を一つ先に進める。


「ああー! どうして殿下が先攻なのですか!?」


「煩いっ、ぼうっとしてるからだ」


 私の不満をジョエル殿下は軽くあしらう。しかも手を戻すつもりはないようだ。さっさと次の手を出せとばかりに、ソファの背凭れに身体を預けている。頭の後ろに腕を回し手を組み合わせて、余裕の表情だ。

 さすがにこれは少し腹が立つ。分かりやすい挑発に、私は全力で乗った。


「そういうおつもりですか……」


「お、良い顔じゃん」


 ジョエル殿下がにぱっと笑う。私は最初の駒を一つ動かした。久しぶりに私とこのボードゲームで遊ぶ殿下は知らないだろうけれど、私だって、これはそんなに苦手ではない。男性が好むゲームではあるが、家でいつもお母様のお相手をさせてもらっていたのだから。

 お父様がこのボードゲームを好きで、お母様がそのお相手をするために特訓をしているのだ。宰相を務めるお父様だもの、お強いに決まっているわ。お母様だってそんなお父様のお相手を務めているのだから、弱いはずがない。そのお相手をしていた私だって、レオンス様ほどではないだろうけれど、充分戦えるはずだ。

 レオンス様が淹れた紅茶を私の側に置いてくれた。私は軽くお礼を言ってそれに口をつける。公爵子息が淹れたとは思えないほどに美味しいのは、ジョエル殿下の息抜き(という名の我儘)にいつも付き合っているからだろうか。私は昨日が初めてだったが、ジョエル殿下とレオンス様は二人で変装してお忍びで街に行くことも少なくないらしいから。

 ソファを私が取ってしまったので、レオンス様は近くにあった椅子を持ってきて腰を下ろした。

 しばらくゲームを進めていくと、ジョエル殿下が眉間に皺を寄せて難しい顔で唸り声を上げた。


「んんん。リュシエンヌ、お前……強くなったか?」


 私は口角を上げる。弱いなんて、最初から言っていない。


「いつもお母様のお相手をしておりましたから。以前の私よりは戦えますわ」


「お前の母上って、宰相の奥方だろっ! それ狡くねぇ?」


「狡くありませんわ。特訓の成果ですもの」


 ただ、ジョエル殿下に言わずにいただけだ。狡く……はない。勝つ気満々だった殿下には悪いが、この勝負、簡単に負けるつもりはない。


「おや、リュシエンヌにまで負けてしまったら、『殿下』も形無しですねぇ」


 レオンス様も面白がって、ジョエル殿下を煽っている。殿下は首を勢いよく捻って、レオンス様を恨めしげに見た。


「レオンス、言ったな」


 それに対してレオンス様は飄々としている。私はいつも通りの二人のやり取りに楽しくなって、湧き出るままに笑い声を上げた。ジョエル殿下はそれを見て、安心したように息を吐く。


「ふふふっ、楽しいですわね」


「良かった。──お前は、構えずいつも通りが良い」


「──……っ」


 目を見張った。恥ずかしくていつも通りにできずにいた私を、ジョエル殿下は気にしていてくれたのだ。殿下も私と同じくらい、気恥ずかしいはずなのに。

 レオンス様がそれに同意して頷く。


「そうですね。リュシエンヌは元気が一番です」


「レオンス様まで」


 私は苦笑した。ああ、この二人は、これから先何があっても変わらずにいてくれる。どう関係が変わっても、きっと、こうして側にいてくれるのだろう。


「俺はリュシエンヌが笑ってるのが好きだ。だから、無理しないでいつも通りでいてくれ」


「ええ……ありがとう、ございます」


 素直にお礼を言えたことに安堵して、私は次の手を指した。少し考えてから、ジョエル殿下もまた駒を動かす。

 しばらくの間、互いに無言で盤上をみつめていた。そして──


「まぁ、私が勝ってしまいました」


「嘘だろ……」


 ジョエル殿下の白い王を、離れたところから狙う三つの黒い駒。がっくりと項垂れる殿下は、昨日とは別人みたいだ。

 レオンス様が、決着がついた盤上を興味深げに腕組みをして見ている。


「いつか宰相とも手合わせしてみたいですね」


 その言葉に、私は笑った。お父様は、こういった戦略ゲームは本当に強いのだ。


「お父様には勝てないと思いますよ」


「勝てる勝てないではないのですよ。きっと勉強になると思うので」


 それでもいつかと期待に顔を輝かせるレオンス様に、私は、ではいつか、としか言うことができなかった。

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