二人きりのデートと髪飾り5
しかし次にジョエル殿下がくれたのは、言葉ではなかった。
ポケットから何かを取り出して、つっけんどんに腕を伸ばしてくる。私が反射で両手を揃えて受け皿を作ると、殿下はそれをそこに置いた。見ると、それは小さな透明の袋に入れられた、薄い紫色の髪飾り。
「これは」
日の光を受けて揺らめく、淡い輝き。それは屋台で見た、藤の花の髪飾りだ。花の一つ一つが貝殻でできていて、色が少しずつ違う。それがふわりと飛び出すように、櫛の土台についている。
信じられなくて、髪飾りとジョエル殿下を交互に見る。その耳は真っ赤に染まっていた。
「今日、これを贈るのには、そういう意味があるんだろっ!?」
そういう意味、とは。私の心は、期待に膨らんだ。
そう、ジョエル殿下の言う通り、今日藤の花をわたすことには特別な意味がある。恋の成就を願い、想いを伝える花だから。花言葉に想いをのせて、恋に酔う、という想いを伝え、決して離れない、と誓う。それを理解しながら、この髪飾りを──もしかしてあのカフェテリアにいた間に、わざわざ戻ってまで買ってくれたのか。
きっと今、私の顔はジョエル殿下よりも赤くなっているだろう。
「……どうして怒っていらっしゃるのです」
「怒ってない!」
怒っていないのか。ならばこの態度は、もしかして照れ隠し?
私は袋を開けて、中から髪飾りを取り出した。本物の藤の花に囲まれていると、この髪飾りの藤の花は特に目立って見える。私はそれを、おずおずとジョエル殿下に差し出した。
「つけて、くださらないのですか」
「やったことないから上手くできないぞ」
「構いませんわ」
私の返事を聞いて、ジョエル殿下は髪飾りを受け取った。私は麦わら帽子を脱いで、微かな不安と共に両手に抱えて胸元に引き寄せる。一歩前に足を踏み出して私に近付いたジョエル殿下は、私の髪に手を伸ばし、一度躊躇して引っ込めて、それからまた、今度は思い切ったように髪に触れた。
くすぐったいような甘酸っぱいような疼きが背筋を走る。耳の高さで二つに束ねた髪の左側に髪飾りを差し込もうとしてくれているようだ。上手くできないと言ったのは本当のようで、差し込むだけなのに、迷って手がうろうろしている。ついに場所を決めたのか、結び目の内側にゆっくりと差し込まれた。瞬間、ジョエル殿下の指が、私の耳を掠めた。
「──……っ」
ほんの一瞬だけ感じた熱に身体が震える。ジョエル殿下は気付いていないようで、髪飾りを身につけた私を満足げに見つめていた。
「どうだ」
「だ、大丈夫ですわ。あの……似合っていますか?」
特に髪がひきつれているところなどはない。自分では見えないが、きっとおかしなところはないだろう。そんなことよりも、ジョエル殿下にどのように見えているのかの方が気にかかる。
上目遣いで窺うと、ジョエル殿下は困ったように笑った。
「ああ。お前の瞳の色が引き立って……き、綺麗だ」
綺麗、なんて。他の人達からは言われ慣れているのに、ジョエル殿下からは言われたことがなかった。いや、正確には、演じていないときのジョエル殿下からだけは、言われたことがなかった。
今日はなんだか夢みたいだ。これまでに欲しかった言葉が、想いが、全部詰め込まれた宝物みたいな一日だ。本当に、夢じゃないわよね。
「ありがとうございます」
私は恥ずかしさを堪えて精一杯顔を上げた。ジョエル殿下のサファイアの瞳は、見慣れない黒髪のせいで、伊達眼鏡越しでもより強い存在感を放っている。この瞳に吸い込まれてしまいたい。そんなあり得ない欲求がぽっかりと浮かんで、動揺する。
そんな私の心の内を知ってか知らずか、ジョエル殿下はすうっと視線を逸らした。
「遅くなるとまずいだろ。家まで送らせよう」
そうして、夢の終わりを告げる言葉を口にする。確かに藤棚のせいで太陽を直接見ることは叶わないが、先程より薄暗くなってきているようだった。そろそら帰らなければ、本当にお父様に叱られてしまうだろう。それにこれ以上王宮にいたら、本当に知り合いに見られてしまうかもしれない。
貰った髪飾りにかからないように、そっと麦わら帽子をかぶり直す。ジョエル殿下が私の右手を握った。
「はい、あ──」
私は残念に思いながらも頷いた。そして、大切なことをまだ言っていないことに気付く。
「ん?」
ジョエル殿下が振り向いて、私を見た。
「ありがとう、ございました。この髪飾りも、今日も……とても、嬉しかったです」
ジョエル殿下は王族が使っている馬車の一つを貸してくれて、私はそれに乗り込んだ。窓から手を振って、殿下に別れを告げる。
初めてのデートだった。こんなに心満たされるなんて、思ってもいなかった。
恋愛小説なんて比べ物にならないくらいどきどきして、どうにかなってしまいそうだった。夢のようだった。それが現実であったことを確認するように、私は髪飾りに手を伸ばす。想いが込められた藤の花は確かにそこにあって、一人乗っている馬車の中でも、これまでで一番、ジョエル殿下を近くに感じた。
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