二人きりのデートと髪飾り4

 食事を終え、私達はまた屋台を見て回ることにした。相変わらず通りは華やかで、途中、レアへの土産に屋台でオルゴールを、自分用にエカルラートの店舗でショコラの詰め合わせを買った。

 楽しい時間はあっという間に過ぎて、もう、日が斜めになり始めている。今日はお父様とお母様が藤見の宴に行く前に帰ってくるようにと言われているから、刻限まではもう一時間とすこし、といったところだろうか。

 ジョエル殿下が不意に私の手を引いた。


「リュシア、この後用事はあるか?」


「いえ。遅くならなければ、問題ないけれど……」


 怒られない時間に帰れば問題ない。ジョエル殿下は、どこか寄りたい店でもあるのだろうか。そう思っていたのだが、殿下から提示されたのは、予想外の場所だった。


「じゃあ、ちょっと城に寄ってくれ」


「王宮に?」


「ああ」


 今日はお忍び用に町娘のような服装で来ている。こんな格好で、王宮に入れるのだろうか。しかし落ち着いて考えれば、同行者はジョエル殿下である。問題はないだろう。──うっかり知り合いに会わなければ。

 まだ夜会には早いし、学院の生徒達は今日は王宮には寄り付かないだろう。今日は祝日なので、出仕している人も少ない。


「構わない、わ」


 ジョエル殿下は私の了承を確認すると、近くにいた貴族のような男性に声をかけた。どうやらその男性は護衛だったようで、すぐに路肩に馬車が用意される。

 馬車は王族が乗っているためか、普段使っているところよりも王宮のずっと奥まで乗り入れた。先に降りたジョエル殿下が当然のように差し出した手に自らの手を重ね、馬車から降りる。思えば、エスコートをされることもこれまでほとんどなかった。

 その手を繋いだまま連れて行かれたのは、王宮の裏にある庭園だった。薔薇の庭園迷路を通り過ぎた、その先。そこにあるのは、立派な藤棚だ。手を引かれるがままに中に入ると、日の光を透かした藤の色がいっぱいに広がっていた。


「う、わぁ……っ!」


 思わず歓声を上げる。藤の花が咲いているのを見たことはあるが、庭師の腕も良いのだろう。王宮の庭園に似つかわしく、それはあまりに立派で華やかだった。世界の全てが、染まってしまったかのような錯覚に陥るほどに。


「綺麗だろ。夜になると大人達が独占するんだけど、今はまだ昼だからな」


 ジョエル殿下が言う。ここは藤見の宴で使われる場所らしい。殿下は、いつかのようにまた私に綺麗なものを見せようと、私に知らない景色を教えようと、連れてきてくれたのだ。自然と顔に笑みが広がる。


「はいっ。ありがとうございます、殿下」


 しかしジョエル殿下はどこか不満そうに、一際大きな藤の房に触れた。


「──もう戻すのか」


「え?」


 なんのことかと首を傾げた私に、ジョエル殿下は小さく嘆息する。


「言葉」


 そして、私は納得した。今日はずっと崩した言葉を話していたから、そのことを言っているのだろう。


「それは……ここは、王宮ですから。私だって、どうしても背筋が伸びますわ」


 そう、ここは王宮の中なのだ。この国で一番敷居が高いであろう建物の中。通い慣れた場所とはいえ、やはり入るだけでも緊張する。

 ジョエル殿下にとっては家だろうが、本来、デートのついでのように立ち寄る場所ではない。それどころか、いつもならば登城用に身嗜みを整えて来る場所だ。そして私は今、よりによって町娘のような服装なのだ。言葉くらいはしっかりしておきたい。


「そういうものか。まあ、そうだな」


 ジョエル殿下はそう言って、興味無さげに藤の房を揺らして小さく口角を上げた。


「そういえば、婚約したばかりの頃も、こんなことがありましたね」


「そうだったか」


「ええ」


 あれは、王宮での授業の後だった。まだ慣れていなくてついて行くのに必死だった私に、自室から庭園を見せてくれた。無理に連れて行かれて少々不満だったし、あの後ジョエル殿下と二人でお父様にこっぴどく叱られたのだけれど、とても嬉しいことだった。

 好きな人がいたなら悪いことをした、と謝罪してくれた殿下は、私に、今日のことを約束してくれたのだ。いつか藤祭りに行く、と。叶ったことが、とても嬉しい。


「それで、な。リュシエンヌ、俺……」


 ジョエル殿下が、何かを迷うように視線を彷徨わせた。そして何かを決意したかのように、私の顔を正面からまっすぐに見る。目が合った。そのサファイアの輝きの瞳が、藤の隙間から差し込む光で、風と共に揺らめく。私はその真剣な表情に息を呑んだ。


「殿下?」


 何事かと問いかけた私に向けられた言葉は、それまでの考えを全てひっくり返すものだった。


「俺、お前との婚約を破棄するつもりはないからな?」


「はい?」


 突然のことに、間抜けな声が出てしまった。ジョエル殿下は、一体何を言っているのだろう。この婚約に理由をつけてきたのは、他でもない、殿下自身だ。


「ですが、確かに殿下は見せかけの婚約者だと──」


「ああ、言った。言ったよ。本当に悪かったと思ってる」


 ジョエル殿下はばつが悪いのを紛らわすように、投げやりな言葉を吐き出した。

 悪かったということは、ジョエル殿下は、今は、あの頃と気持ちが変わったと言うこと? 鼓動が早くなってきて、耳元で煩く鳴っている。私はどうしたら良いのか分からず、息を詰めてジョエル殿下の次の言葉を待った。

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