二人きりのデートと髪飾り3

 昼食を兼ねて入ったカフェテリアで、私はジョエル殿下と向かい合って座った。窓際の席からは街の賑わいがよく見えて、目を飽きさせることはない。普段は個室やもっとかしこまった店を使うことが多いため、とても新鮮だった。

 新鮮といえば、この状況もだ。王族がこのように外で食事をするのも珍しい(平和な国でも命を狙われる危険がないわけではない)のだが、それが、外からも目立つ窓際の席だ。変装しているお忍びで、かつ隠れて護衛がいるからだろう。店も混雑していて個別に何かを仕掛ける余裕はなさそうだ。そこまで確認して、私もほっと息を吐く。私だって心配するのだ。まあ、変装してきている以上、個室をお願いするわけにもいかないから、こうするのが正しいだろう。


「エルとこういう風に食事をするの、初めてね」


 少しずつこの言葉遣いにも慣れてきた。ジョエル殿下だと思わずに、王族ではないエルと会話していると思えば良いのだ。それでも違和感はあるが、まあ、仕方のないことだろう。

 ともあれ私はこれまで、ジョエル殿下と二人きりで食事をしたことがなかった。王宮で食事をすることもあったがそういうときはどちらかの親が一緒だったし、私が外出するときはお父様かお母様と必ず一緒だった。


「学院に入るまで、お前はあまり人前に出ないようにしていただろう」 


「お父様の意向でしたから。──何だか、本当に婚約者みたい」


 私は不思議な幸福感にくすくすと笑った。ジョエル殿下とこんなに気軽に過ごせるなんて、夢のようだ。

 実は私はジョエル殿下の婚約者という立場でありながら、公的な場で殿下のパートナーを務めたことがない。それは、お父様が子供のうちは必要がないと言ったからだった。お母様曰く、お父様が寂しいからとのことだけれど、私は悲しかった。それこそが、私が一時的な婚約者であると、周囲に示しているようで。


「婚約者だろ?」


 ジョエル殿下が食事をする手を止めて、私を凝視してくる。しかし驚いたのは私の方だ。


「え? あの、私はお飾りでしょう?」


「は!? ……っと、失礼。やっぱり、そう思うよな」


 思わずといったように大きな声をあげたジョエル殿下は、少しして、深く息を吐いた。


『この縁談が成立すれば、もう面倒な女の子に言い寄られることもないし、断ることもできるだろ? その分自由な時間ができる。本当に助かるよ』


 あれは婚約の後、ジョエル殿下と初めて二人きりになった場で言われたことだった。私の中の王子様というものへの幻想を粉々に砕いた言葉だ、忘れるはずがない。それを今更何をいっているのだろう。


「どうして驚いているの? エルが言ったことよ」


 勿論、本当の婚約者になれたら一番嬉しいのだけれど。いや、正式に婚約して文書を交わしているということは、本当の婚約者ではあるのか。そういう意味の本当ではなくて、心が伴った、将来は夫婦となる、婚約者に。


「え? あ、ああ……そう、だったか」


 ジョエル殿下はそう言って、食事を再開した。私は少し残念に思いながらも頷く。


「ええ」


「そうだな」


 ジョエル殿下はそれから、食事が終わるまで、一言も喋らなかった。

 食後の紅茶がケーキと共に運ばれてきた頃、ジョエル殿下が急に立ち上がった。


「少し外して良いか? すぐに戻るから」


 その表情が妙に真剣で、私は首を傾げる。何か問題があったのだろうか。


「エル?」


「いや、ちょっと用があって。本当に、すぐに戻るから」


 そう言う様子からは、少なくとも切迫した印象は感じない。ならば、何か忘れ物だろうか。それぞれの護衛が近くにいるのだから、別行動をしても問題はないはずだ。


「構わないけれど……」


「助かる」


 私が頷いてすぐに、ジョエル殿下は店員に一声かけて店から出て行ってしまった。


「──……どうしたのかしら?」


 窓の外までその姿を目で追うが、すぐに人混みの中に紛れて見えなくなる。私は諦めて、紅茶とケーキを味わうことにした。

 小さくカットされた色違いのシフォンケーキと、その横にふわりと盛られた生クリーム。見るからに美味しそうなそれを一口食べて、私は思わず顔を綻ばせた。繊細な甘さが口の中でほろりととろけて消える。生クリームの甘さは控えめで、紅茶の味を邪魔することもなかった。


「あ、ケーキも美味しい。このお店、殿下は適当に入ったように見えたけれど、素敵だわ」


 内装も素朴な花や緑が多く、派手すぎない。私好みの店内だった。偶然入ったのだとしたら、とても運が良かったと思う。機会があればレアも連れてきてあげたい。この前読んだ恋愛小説に、こんな雰囲気のカフェテリアで王子様と町娘がお忍びデートをする描写があったから。

 あら、でも私は今ジョエル殿下とお忍びデートをしているのだから、まるであの小説みたい……って、違う違う。あの小説では、相思相愛の二人の甘いデートだったのだ。

 私が妄想の世界に浸りながらゆっくりと紅茶を飲んでいると、ジョエル殿下が戻ってきた。


「お待たせ……っ。急にすまなかった」


 殿下は息を切らして、うっすら汗までかいている。外はあまり暑くもなかったから、相当急いだのだろう。


「いいえ。大丈夫……ですか?」


「あ? ああ、気にするな」


 私の質問に、ジョエル殿下はひらひらと手を振って軽く答えた。それから椅子に座って一息つくと、すっかり冷めているだろう紅茶を一気に飲んで、店員におかわりを頼んだのだった。

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