二人きりのデートと髪飾り1

「うわぁ。私、あれに声をかけるのよね……」


 私が待ち合わせ場所にしていた乗合馬車の小屋の前に行くと、ジョエル殿下は既に着いていて、壁に背中を預けて立っていた。以前にも何度か見たことがあったが、今日の殿下は変装をしていた。毛先を遊ばせた短髪の黒髪の鬘を被って、茶色い縁の眼鏡をしている。シャツにスラックスというシンプルな服装だが、襟元の釦を開けて着崩しているせいで、まだ十三歳の少年なのにどこか色っぽく見えた。ジョエル殿下はさらさらの金髪とサファイアブルーの瞳だから、瞳の色は変えられないまでも、その印象は全く違う。これなら知っている人が見ても、きっとすぐには気付かないわ。

 問題は、ジョエル殿下に向けられた様々な視線だ。護衛はついてきているだろうが隠れているようで、一人きりだ。ぱっと見、裕福な商家の息子くらいに見える。周囲にいる近い年頃の女の子達が、ちらちらと見て気にしている。それはそうよね、だって、あんなに素敵なんだもの。それどころか、見目麗しい男の子として、大人の目まで集めていた。

 うう、声をかけづらいわ。私だって見た目なら悪くないはずだけれど、なんだかとても緊張する。最近は可愛いよりも美人だと言われるようになった。ただ貴族の言葉だから、本当かどうかあまり自信はないのよね。

 今日の私は、ちゃんと殿下に揃えてお忍び用の服で来ている。藤色のリボンが腰や袖にあしらわれた、膝にかかる丈の白いワンピース。髪は軽く巻いて、耳の高さで二つに結えた。日差し避けの麦わら帽子を被って、日傘は置いてきている。護衛には離れたところにいてもらっているし、これなら良いところのお嬢さんくらいに見えてくれるはずだ。

 私は気合を入れて、ぱたぱたと軽い足取りでジョエル殿下の元に駆け寄った。


「殿下、お待たせいたしましたわ」


「いや、俺もさっき着いたばかりだから」


 ジョエル殿下はそう言って、私の姿をまじまじと見た。それから私の足元を見て、耳を赤くして目を逸らす。


「似合ってるじゃん。でも、そのスカートは──」


 私もそう思ったわよ。だって貴族女性は、普段ふくらはぎを隠す丈のスカートしか着ないもの。でも町娘はこのくらいが普通だって、お母様の侍女のマリーが言うのだ。少し恥ずかしかったけれど、街に出てしまえばマリーの言う通り、貴族は長いスカートだったけれど、それ以外は皆このくらいの丈のスカートを着ていた。皆と同じだと思えば、あまり気にならない。


「皆このくらいですわ」


 ジョエル殿下は私の言葉を聞いてきょろきょろと周囲を見た。そしてもう一度私を見て、納得したように頷く。


「そう、だな。でもお前のは見慣れないから、なんか……恥ずかしい」


 恥ずかしいって、そんなことを言われたら私まで恥ずかしいじゃないの! どうしましょう、でも、嬉しい、のかしら。どうせなら、可愛いって言ってくれたら良いのに。

 それに、見た目を気にするのなら、ジョエル殿下の方こそ気にするべきだ。シャツを着崩したりなんかして、無駄に煽らないでもらいたい。


「ふふ。殿下こそ、見られていらっしゃいますよ」


「ああ、気にするな。お前といる時点で充分目立つし、今の俺を見ても俺だと分かる奴はいないだろ」


 気にするなって言われて気にしないでいられるわけがないじゃないの。それは勿論、その正体に気付く人は私とレオンス様くらいでしょうけれど。あ、お父様も気付くかしら。でも、きっとそのくらいだ。ジョエル殿下は、気付かれなければ目立っても良いというつもりらしい。ならば、私もそのつもりで楽しまないと。


「あと、今日は殿下じゃなくて、エルって呼んでくれ。ああ、今日だけは言葉も崩してくれると助かる」


 少し考えれば分かることだ。折角変装しているのに、殿下と呼ぶのは駄目だろう。しかしどうしても、これまでそんなに親密な呼び方をしていなかったので、妙に緊張する。


「分か……ったわ。エ、エル。では私のことはリュシア、と」


「ああ。リュシア、行こう」


 ジョエル殿下はさらりと呼んで、私の右手を掴んだ。

 ど……ごうしてこんなに自然に手を繋ぐの!? 私の心の中は疑問とときめきで一杯になってしまった。私が殿下のことを好きだと知ってやっているのだろうか。それとも、殿下が私のことを、あの頃よりも好きになってくれたということ?

 歩きながら、私とジョエル殿下は華やかに彩られた街に視線を巡らせる。今いるのは商業地区の中でも特に高級店が並ぶ、富裕層向けの通りだ。ここにも屋台が並び、多くの人で賑わっていた。藤祭りの日は通りへの馬車の乗り入れは規制されているため、貴族も商人も、徒歩で祭りを楽しんでいる。


「祭りの日ともあれば、やっぱり賑やかだな」


 ジョエル殿下はそんな光景を嬉しそうに見ていた。その嬉しさは、王族としての誇りから来るものかしら。その気高さに、私はまた恋心を募らせる。


「そうね。きっとお父様達が頑張ってくれているのですわ」


「ああ。これは、そういうことなんだろうな」


 宰相である私のお父様。仕事をしているときのお父様は少し怖いけれど、それは真剣さから感じる怖さだ。だから、私はお父様を尊敬している。

 ジョエル殿下も同じようなことを考えているのか、顔つきが変わった。そう、こういうときの殿下は、殿下のお父様──国王陛下に、とてもよく似ているのだ。

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