新たな出会いと果たされた約束8

「そんな……こと、ないわよ」


 だって、レアはこんなにも良い子なのだ。可愛いし、優しい。だから、レアが幸せな恋愛を見つけられないはずがない。

 それなのに、レアは首を左右に緩く振った。


「いいえ、私は──」


 言わせてはいけない。口にすると、それは呪いのように自身の心を縛るのだ。レアがそう思い込んでしまうほど、言葉を繰り返させてはいけない。私は瞬間的にそう思って、間を置かずに励ましの言葉を口にした。


「そんなことないわよ! だって、婚約者がいないってことは自由があるということだし、期待をされていないってことは相手が選べるということですわよっ。きっとレアはこれから、素敵な恋愛をするの。焦ることじゃないわ」


「そう、でしょうか」


 良い感じね。レアの表情が、少しずついつものように戻ってきたわ。私は、ここぞとばかりに言葉を重ねる。


「勿論よっ! それに、ほら。容姿を見込まれて男爵家に引き取られるなんて、まるで恋愛小説のようですわ。一番近くでそれを見られるなんて、素晴らしいじゃないっ!」


 私は言ってからその意味に気付いた。

 孤児院にいた少女ということは、きっと平民出身で、両親を何らかの理由によって失ったのだろう。そこを、ラマディエ男爵が可愛らしい容姿を理由に引き取り、養子にした。本当に、考えれば考えるほど恋愛小説のヒロインのようだわ。こんな話が本当にあるということが驚きだ。


「そう……そう、ですね。そう考えると、何だか素敵なことのように思えてきました」


 レアも私と話していてそう思ったのか、夢見る瞳に戻っている。


「そうですわよ」


「ふふっ。でしたら、私は意地悪をする義理の姉でしょうか?」


 大体の話では、レアの言うような悪役が登場する。でも、だめよ。意地悪な義理の姉は、最後、幸せになれないもの。


「あら、レアにはそんなことできないわ」


 それに、レアが虐めてもそんなに怖くないと思うわ。もしかしたら、レアよりも妹の方が強いかもしれないくらい。


「──ありがとうございます、リュシエンヌ様」


「いいえ、私は何もしていないわ。それより……私もいつかお会いしたいわ、その妹さんに」


「そうでございますね……教育中ですので、お父様は数年後には彼女をこの学院に編入させるつもりのようです」


 編入……? この学院に編入するなんて、本当に恋愛小説のような話だ。ルヴェイラ学院に入学するということは、つまり、貴族に囲まれたどっきどきの学院生活が始まってしまうということではないの。

 私は内心で上がりきったテンションを必死で隠した。いくらなんでも、バルニエ侯爵家の令嬢としてこの衝動を表に出すのは躊躇われる。


「では、楽しみにしておりますわ」


 言葉と共に、精一杯作った優雅な笑みを浮かべた。

 レアは頷いて、ジョエル殿下が来たときに一度閉じた本を改めて机の上に広げた。私もそれに倣い、本を広げる。しばらくそれぞれ静かに本を読んでいたが、レアはふと思い出したように机に両手をついて立ち上がった。


「そんなことより、今は目前の藤祭りのことです!」


 最近レアが最初の頃よりも随分打ち解けてくれたように思う。顔の左右の低い位置で結んでいる落ち着いた色合いの茶色い髪が、その印象に反してぶんと揺れた。

 私はその勢いに押されて、きょとんと瞬きをする。


「ふ、藤祭り?」


「リュシエンヌ様は、殿下とデートなんですよね」


 デート、という単語に頬が染まった。男女が二人きりで出かけることをデートというのなら、これは間違いなくデートだ。


『──べっ、別に俺が行きたいとかじゃないけど、お前はああ言うの好きなんだろうし、俺と婚約したままなら、他の男と行くわけにいかないだろ。だから、お前が親と行くのを卒業したら、その後は、俺が一緒に行ってやっても構わないって言ってるんだ』


 あれはいつかのジョエル殿下の言葉だ。思い出すのは、夕刻、茜色を藍が少しずつ侵食している空と、薔薇の庭園迷路と、拗ねた表情をした天使のような男の子。


「え、ええ」


 私はもう、親と行かなければいけない歳ではない。そして、ジョエル殿下とは婚約したままだ。あの約束の条件は満たされた。ならば、これはそのお誘いなのだろう。


「楽しみですね。後でお話聞かせてくださいねっ」


 レアが笑う。私は頷いて、もうすぐ来る藤祭りの日を思った。

 初夏に行われる藤祭り。王都には藤の花が溢れる。並ぶ屋台。藤の装飾品の、恋のジンクス。ジョエル殿下は藤の飾りを、私にくれたりするのかしら……なんて。

 わたしとジョエル殿下は、契約上の婚約者のはずだ。想い合っている恋人とは違う。でも、だからこそ夢見てしまう。私の気持ちは決まっている。だから、もしも殿下が私を好きになってくれたなら、きっと幸せな恋人同士になれるのに。

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