新たな出会いと果たされた約束7

   ◇ ◇ ◇




 その日も私は、レアと一緒に図書館二階の奥で読書に耽っていた。初めてできた同性の友達と過ごす時間は、これまでの日々と全く違って、刺激的だった。──主に趣味の面において。読んだことがなかった本を勧めてもらったり、新たなジャンルを覗いてみたり……この話は、ジョエル殿下やレオンス様には黙っておこう。

 ここにやってくる人は本当に少なくて、私とレアがひそひそと話をしている程度では、誰の迷惑にもならなかった。だから突然名前を呼ばれて、私は飛び上がらんばかりに驚いた。レアも驚いて、気まずそうな顔をしている。


「リュシエンヌ」


 声変わり前でまだあまり低くない声は、よく通るアルトの音色だ。否応にも意識を持っていかれるのは、王族の気品ゆえだろうか。それとも、私が恋をしているから?


「まあ、ジョエル殿下」


 私は広げていた本をぱぱっとまとめて、殿下に背表紙が見えないような角度で置いた。ジョエル殿下には私が恋愛小説を読むことは知られているけれど、流石に読んでいる本のタイトルまでは知られたくない。これは婚約者としての、好きな相手への意地のようなものだ。

 学院では教室以外であまり顔を合わせなくなった(それでも週二回、王宮での勉強会で会っている)ジョエル殿下は、本の山を見ないようにして私の前に立った。


「お前、放課後はいつもここにいたのか」


 ジョエル殿下が、ちらりとレアに目を向ける。レアは肩を揺らして、突然の第一王子の登場に慌てているのが分かる。私は申し訳なく思いながら、殿下の注意をこちらに向けるべく頷いた。


「ええ、そうでございますわ。ご用があれば伺いますから、なんでも言ってくださいませ」


 こんなところまでやってきたのだから、何か重要な用件があったのではないか。しかしジョエル殿下は少し俯きながら、何か言い辛そうにしている。


「いや、そうでは……そうではないんだ」


 用事があるのではなかったのか。首を傾げていると、ジョエル殿下は思い切ったように顔を上げた。


「──リュシエンヌ、もうすぐ藤祭りの季節だ。私と、共に見物に行ってくれないか?」


 なんだ、そんなことか。

 昨年まで、私は両親と共に藤祭りに参加していた。今年は学院に入学したから、どうするのだろうと思っていたのだ。大体の家では、学院入学とともに準大人のように扱われ、特に藤祭りのような場所も、親とではなく友人同士などで行くことが多い。


「私でよろしければ、喜んで。レオンス様もご一緒ですわね。馬車は王宮のでございますか?」


 うちの馬車でも良いけれど、ジョエル殿下が行くのなら、王宮の馬車の方が良いわよね。それとも、お忍びの視察も兼ねるのかしら。それなら、逆に馬車は借りることになるかしら?


「リュシエンヌ様っ、これ、多分そういうのじゃないです……」


 思いを巡らせる私を窘めたのは、まさかのレアだった。レアに分かって私に分からないなんて、なんだか悔しい。これでも、殿下とは九歳からの仲なのに。レアは、近過ぎると分からないのかも、なんて言いながら首を傾げている。私は正解を求めて、ジョエル殿下のサファイアブルーの瞳を見つめた。

 ジョエル殿下は仕切り直すように咳払いをして、口を開く。


「──いや、婚約者として、あなたを誘っているんだ」


 ジョエル殿下は、きらきらの王子様顔で言った。婚約者として。それはつまり、一人の男として、私を誘っている、という意味で。理解した瞬間、私の頬は熱くなる。

 作った王子様顔はやっぱりわざとらしいけれど、それでもときめいてしまうのは仕方ない。私だって女なのだ。


「──……っ、はい……喜んで」


 でも、どうせなら、素顔のままの殿下に誘って欲しかったなあ、なんて。


「四年前の約束、今年こそ果たさせてもらうよ」


 ジョエル殿下はそれだけ言い残して、颯爽と図書館を出て行った。

 残された私は、嵐のような出来事に戸惑うことしかできなかった。四年前の約束? それは、もしかして、あの日の──


「はあ、どういう風の吹き回しかしら」


 ぽつりとつぶやいた私の手を、レアががしっと両手で握り締めた。その瞳には、まるで恋愛小説を読んでいるときのように、きらきらと星が浮かんでいる。


「そんなの決まっているじゃないですかっ。殿下は、リュシエンヌ様を想っていらっしゃるのですよ! お二人のようなご関係は羨ましいです。──私には……縁遠いことですから」


 話すにつれて、レアの表情は曇っていった。

 縁遠いなんて、そんなはずがない。レアだって貴族の娘だ。今は婚約をしていなくても、これから縁談があるかもしれないだろう。それに、物語のような運命的な恋に落ちる可能性だってある。


「レア……?」


「申し訳ございません。急にこのような」


「良いのよ。どうかなさったの?」


 私が先を促すと、レアは話し辛そうに、おずおずと口を開いた。


「実は……父が街の孤児院から、私と同い年の女の子を引き取ったのです」


「女の子を……?」


 知らなかった話に、思わず目を見張った。ラマディエ男爵にはレアという立派な令嬢がいる。わざわざ引き取る理由は何だろう。まさか、懐かれたからなんて理由ではないはずだ。そんな理由なら、レアがこんな顔をする理由がない。


「はい。私はこの通り、地味で特徴のない姿ですから。容姿端麗な彼女に、有力な家との縁を期待しているのでしょう。物語のように素敵な恋愛も、想いを通わせていく婚約も、きっと私には無縁なのです」

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