円満な婚約と初恋3

「あ、あなたが、王子、さま……ですの?」


 嘘。嘘に決まっている。王子さまは、かっこよくて、優しくて……こんな初対面でわたしをお前なんて言ってくるような、突然手に触れてくるような、なかなか名乗らないような、失礼なやつが王子さまなはずがない。

 確かに、その……見た目は、美しく整っていることは認めるけれど。

 ジョエル殿下(認めたくないけれど仕方がない)は、仏頂面で頷いた。


「ああ。今日お前と会うことになってるんだってな」


「え、ええ。わたしは、今日、王子さまとお会いするために、こちらに伺いましたけれど……」


 頭の中に描いていた王子さま像が、がらがらと音を立てて崩れていく。絵本のようなお城にいるのは、完璧な王子さまのはずなのに。かっこよく愛を囁いて、わたしを幸せにしてくれるんじゃなかったの。


「まったく、父上と母上は気が早いったらないよ。俺、まだ九歳だよ。お前は? 何歳?」


「九歳、ですわ」


「はあ、同い年なの? ふうん」


 同い年だったらなんだと言うのだ。さっきから、失礼極まりない。そもそも同い年と言ったって、どう見ても……あら?


「王子さまなのに、わたしより、小さいですわ」


 そう。しゃがんでいるときは分からなかったが、こうして向かい合っていると、目の前にいる王子さま──ジョエル殿下は、わたしよりも小さかった。何がって、顔の大きさとか手の大きさとか、そういうのじゃない。わたしだって小顔だが、ジョエル殿下の顔の大きさは同じくらいだ。男の子のくせに、ずいぶんスタイルが良い。さっきちょっと見た感じだと、手もわたしより大きかったようだ。

 じゃあ何が小さかったって、言うまでもない、身長だ。わたしより拳一つ分くらい小さいようだ。


「う……うるさいっ! なんだよ、会っていきなり、小さいとか。し、失礼だろ!?」


 ジョエル殿下は顔を真っ赤にして喚いた。


「ちょっと! 大きい声出さないでくださいませ!」


 お父さま達に気付かれたら怒られてしまうじゃない。黙ってここに入ってきたんだから……って、あら?


「リュシエンヌ……何をしているんだい?」


 既に遅かったようだ。わたしの後ろから低い声で話しかけてきたのは、紛れもなくお父さまだ。怒っているのが分かるその声に、わたしはぎぎぎと音が聞こえてきそうなほど、ゆっくりと首を動かして振り返った。


「お、父さま。お話は、もう終わりましたの?」


 お父さまは笑顔だけれど、引きつった顔で、眉間に皺が寄っている。わたしはこの顔を知っていた。ここは王宮だから優しいけど、きっと家に帰ったらもっと強く叱られるわ。来月の藤祭りは城下町を歩きたいと思っていたけれど、無理かしら。勝手なことをした反省にと、外出禁止にされてしまいそう。


「随分と待たせてしまったみたいだね。知らない場所をふらふらと歩くのは、レディとして感心できることではないよ」


「ごめんなさい……」


 素直に謝るしかできない。ちょっとだけ見てすぐに戻ろうと思ったのに、長い時間を過ごしてしまったし、静かにしていようと思ったのに、ジョエル殿下と話して煩くしてしまった。良くないことをしたことは分かっている。素直に頭を下げた、瞬間、背中にあったかい手が触れた。

 はっと顔を上げて振り返ると、そこには、あの天使のように綺麗な顔。初めて見る真面目な顔は、王子さま然として、きらきらと輝いて見えた。


「──宰相、私の責任だ。叱るならば、私を」


「殿下、何故このようなところにいらっしゃるのです」


「なに、定刻まで時間があったからな。少し出てきたのだ。今日は宰相の娘に会う約束だったのだから、良いだろう」


 驚いた。ジョエル殿下は、わたしを庇ってくれているのだ。初対面で、失礼なことを言った、わたしを。大人みたいにしっかりとした言葉遣いで、お父さまと話をしている。


「そうでしたか。では、殿下の顔を立てて、私がここで娘を叱るのはやめておきましょう。殿下を叱るのは……私の仕事ではなさそうですね」


 お父さまはそう言って苦笑し、中庭の向こう側に目を向けた。つられてそちらを見たジョエル殿下は、それまでの大人の顔がまるで嘘のように、泣き出す直前のような表情で、顔をくしゃっと歪めた。


「げ」


 わたしもそこにいた人物を見て、思わず飛び上がった。え、どうして、こんなところにこの方がいるのだろう。どうしてって、そうか。息子が中庭にいるから、迎えにきたのだ。どうしようもなく自問自答して、それどころではないと慌てて頭を下げた。

 すぐ側でお父さまも礼の姿勢をとっている。


「王妃殿下、お久しぶりでございます」


「は、母上! 何故……」


「侯爵、いつも夫が世話になっています。うちのやんちゃ息子を迎えに来ましたの。それに、ミレーヌも今日は来ているのでしょう?」


 艶やかな波打つ髪を背中に流し、年齢不詳の美貌を惜しげもなく日の下に晒している。上品なドレスを身に纏ったその姿は、わたしが絵姿で見たものよりも、ずっと綺麗で。どきどきと鼓動が高鳴った。

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