1-5 春峰芽吹と刹那の冒険 5
昼休みの体育館は静寂に満ちていた。
曇天ゆえか、暑苦しさも昨日に比べればいくらか緩和されている。相変わらず窓は全開ではあるものの、湿気に覆われた空気は循環することなく停滞を続けている。苦ではないが爽快でもない。
「みんな揃ってるわね」
私は二階部のキャットウォークに集まった顔ぶれを確認する。野次馬根性でついてきた倉橋さんに加えて、バスケ部からは同じクラスの久慈君、備後君、市ノ瀬君を呼んでおいた。
「あれ、肝心の渡合さんは?」
久慈君から予想通りの質問が来る。それは倉橋さんも予期していたようで、私に先んじて返答を述べた。
「美咲なら部活の用事があって来れないってさー」
「そうか……なら仕方ないな」
あからさまに肩を落とす久慈君に、バスケ部の他の二人は満面のにやけ顔。しばらくすると、備後君が突然に疑問を口にした。
「あれ、でも本人がいなければ答え合わせができないんじゃない?」
「心配ないわ。ちゃんと証拠を掴んでいるもの」
通常の学校生活ではほどんど聞くことのない『証拠』の語に、空気が張り詰めるのを感じた。大した話ではないが誇張しすぎただろうか。けれども再び訪れた静寂は推理を披露するにはうってつけなので、訂正を入れないでおく。
深呼吸を挟んで心を落ち着かせる。
この謎が解けた暁に、『女傑』のあだ名に対する疎ましさに変化はあるだろうか——まあ、それもじきに分かることだ。
「では、始めましょうか」
春峰芽吹の謎解きが、幕を開ける。
手始めに、ことの概要を今一度確認する。
改めて振り返ると、あまりの馬鹿馬鹿しさに脱力しそうになる。こんなしょうもない、事件とも呼べない事件に夢中だった自分が恥ずかしくなる。けれども今更あとには引けない。
「一週間前の水曜日。私の友人で美術部の渡合美咲は、バスケ部の練習風景を一枚の絵画にした。それに描かれているモデルが誰なのかバスケ部のみんなは気になっている、という話で合ってるかしら?」
「意義あり」
すかさずスマートに手が上がる。またしても備後君だった。
「気になっているのはエースだけだよ。僕ら他の部員は単なる興味本位さ」
「そうか? それにしては、ここにいる全員が全速力で昼飯を平らげていなかったか?」
的を得た指摘に、思わず下腹部を左手で抑える。
使用許可を貰っているとはいえ体育館を使える時間は有限だ。昼休みが終われば授業に戻らなくてはならない。そのために極めて原始的な方法でもって、昼食時間を最小限に抑えたのだった。
突如として激務に追われることになった胃が、今しがた小さく悲鳴を上げた。誰にも聞かれていないことをひたすら祈る。
久慈君の言葉に誰も反論はない。
「じゃあ続けるわね。けれどもモデルの特定は困難だった。その場にいた全員が坊主頭だったことと、キャットウォークから見たのではあり得ない画角で描かれていたことがその理由ね」
久慈君が現像していた写真を私たちの中心に置く。
やはり描かれている選手の頭部には黒々とした頭髪が生え揃っている。その上、ゴールのリングにぶら下がる選手の背中やふくらはぎを仰ぎ見るアングルは何度見ても変わらない。
全員が観察を終えるのを待って、私は再び口を開いた。
結論から話すことはミステリの世界では稀有だ。けれども時間は限られている。例外的とは知りつつも、私は先に自分の考えを述べた。
「当初、美咲は本当にキャットウォークの上からの画角で部員を描こうとしたんだと思う。けれども彼女はそれを実行しなかった。なぜなら——」
誰かの唾を飲む音が、静閑な体育館に響く。
「体育館の外に、格好のモデルを見つけてしまったのだから」
この結論に至った最たる要因は何だろうか。
見せてもらった写真、体育館での現場検証、倉橋さんとの会話など手がかりは随所にあった。けれども、それらの根幹にあったのは全て『体育館内にいたバスケ部員は全員坊主頭だった』という事実だ。一応、関係者への確認は済んでいるため、それは紛れもない真実だろう。
しかし肝心なことを私は知らない。
「思えば、最初からずっと不思議だった。あなたたちはなぜ全員坊主頭で揃えているのか。昨日ここで一度聞いたけれど、その時は上手いことはぐらかされてしまったわ」
バスケ部三人をちらりと見やる。黙ってはいるものの、額には数滴の脂汗が浮かんでいた。蒸し暑い気候でもないのに、運動部だから代謝がいいのだろうかという冗談はさておき、推理に戻る。
絵画のモデルを突き止めるにあたって、坊主頭である理由は重要事項だと私は踏んでいる。そのために本筋から一度脱線し、そちらを先に紐解くことにする。
「はっきりと理由を明かさないのは、何か後ろ暗い要因があることの裏返し。そして一年生の頭髪は残っているのなら、それはおそらく昨年度に起きた何かしらの出来事に起因している。違うかしら?」
相変わらずバスケ部三人は黙秘を続けている。
顧問が坊主を強要したり部の結束のために髪型を揃えることも、運動部ならあり得る話かもしれない。けれども今回の件は違う。上の二つが理由ならひた隠す必要はないはずだ。
そして生憎と、私は今年度の転入生であるため昨年起きた事件に関しては詳しくない——ただ一つを除いて。昨年度では唯一、校内の掲示板に注意喚起の張り紙が出されるほどの事件があったことを、倉橋さんから聞いている。
「不法侵入」
その単語を口にした瞬間、バスケ部三人の形相が変わった。
「それがことの発端だとするなら、全て辻褄が合うわ。第一、真相が第三者に対して有耶無耶にされていることからして共通点だもの」
ならば、次に考えるべきは不法侵入事件の実態。
その詳細は生徒や保護者にさえ伝えられていないという。しかし、手がかりはゼロではない。
「不法侵入を諌める張り紙は、昇降口の掲示板にあった。でもこれは不自然極まりないわ。校内への侵入を拒むなら校門や校舎の外に貼るべきでしょう?」
黙って聞いていた倉橋さんが頷く。いつもなら落ち着きのない彼女も、今はいくらか場を弁えてくれているらしい。
「だからこう考えた。それは外部から学校の敷地内に侵入した事件ではなく、学校の敷地から外部の私有地への侵入だったのではないか、とね」
おー、と倉橋さんが感嘆の声を上げた。
これなら張り紙が昇降口にあった理由も説明がつく。カンニングやケータイ持ち込みを咎める張り紙は登校してきた生徒に、そして不法侵入の張り紙は上履きから外靴に履き替える生徒に向けたものだったのだろう。
「一つ質問いいかな。あ、僕じゃなくてシティから」
手を挙げた備後君の耳に、隣の市ノ瀬君が何かを耳打ちする。備後君は首肯に加えて力強いウィンクで市ノ瀬君に応えた。彼が肉声を発さない理由に関しては未だ謎に満ちている。
「もしそれが正しいなら、『不法侵入』じゃなくて『脱走』という表現で張り紙を作るんじゃないかな……ってことで合ってる?」
市ノ瀬君は繰り返し頷いている。
代弁のくだりは無視して、とりあえず質問に答えることにした。
「そうとも限らないわ。もし私が通報者なら、おたくの生徒がうちの敷地に『侵入』してきましたって学校に連絡するだろうから」
「なるほどね」
市ノ瀬君も納得したようで、笑顔のサムズアップが返ってきた。やはり彼の一挙一動はご当地ゆるキャラのそれにしか見えない。
いよいよ坊主頭の理由に関しても大詰めだ。
「最後にその経路に関して。登下校の時間外に校門から出たなら、それこそ『不法侵入』ではなく『脱走』を咎める張り紙が貼られるはず。だから校門ではなく別の場所ということになる。けれど学校の周囲は防球ネットで覆われてるわ」
「それじゃあどこから……?」
「一箇所だけ、ネットのない場所があるの」
昨晩兄さんと確認した事柄を思い出す。あの時は不鮮明だった質問の理由が、今ならはっきりと分かる。それと同時に、私は兄さんに対して畏怖の念を抱いた。
彼は昨晩の時点で真相に辿り着いていたのだ。
つくづく規格外な兄だと思いつつ、私は全開になっている窓から外を指し示し、推理をひとまず締めくくった。
「話をまとめるわ。昨年度、男子バスケ部はここから見える体育館裏の石垣を登り、その上のステンレス製のフェンスを超えて丘の向こうに侵入を果たした。それが何者かによって通報された結果、ややあって反省の意を剃髪によって示すことになった——これで合ってるかしら?」
バスケ部三人の反応をじっと伺う。
彼らはしばらく顔を見合わせていたのちに、やがて久慈君が自らの頭をつるりと撫でながら照れ臭そうに口を開いた。
「正解だ」
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