第15話 14


アイシャにボディ子という強烈な存在を理解してもらってからは、アイシャの表情が穏やかになり、事なきを得た。


確かに弁当作ってもらうなんて普通に考えたらやり過ぎなのだが、ボディ子だから仕方ないね。


「安心したらお腹空きました」


そう言ってアイシャが自分のお腹に手を当てる。


そりゃ昨日あんなきっついコルセットつけてたんだから、反動で胃が元気になっちゃうよな。


「兄貴、うちには米しかないぞ」


「oh・・・」


料理作れない兄弟の家に食材など無い。


「出かけるか」


「じゃあギター借りてくぜ。今日ビエンでライブあるからアイシャさんと来てよ」


そう言って俺のギターを背負ったリュウ。ビエンというのはライブハウスのことで、俺の店からは近い。


「出番は何時からなんだ?」


「前座だから六時半」


「悪いが営業中だ」


「大トリになっても同じこと言うだろ!」


大トリだとしたら八時からとかか?


「いっつも急すぎるんだよ。二ヶ月前に言え」


「へいへい。じゃあアイシャさん、またね」


手をヒラヒラさせて出て行くリュウにニコニコしながら手を振り返すアイシャ。


玄関からリュウが出て行くのを確認。ふう、これでゆっくり話せる。


「アイシャ、あのさ。とりあえず俺の彼女ってことでみんなに通すけど、いいか?」


今更である。リュウやボディ子に付き合ってると言った後なのにこの対応の遅さ。


普通の会社ならクレームものだ。


「むしろ彼女がいいです」


きっぱりと言われてしまった。その言葉とは裏腹に、彼女は少し不安そうにもじもじしている。


「アイシャ、あのさ・・・」


「はい」


「俺前に付き合ってた人がまだ好きみたいでさ・・・」


「・・・」


ここまで言ってそこから先の言葉が行き詰まる。


まだ舞が好きなのに見せかけの彼女を演じてくれとか言うのか?違う。そうじゃない。そういうことを言いたいんじゃない。


全身全霊で俺と向き合おうとしてくれてるアイシャに対して、失礼じゃないか。うん、それはそうだけど、大事なのはそこじゃない。


心を読まれるのはちょっとズルイけど・・・それ込みでも受け止めるのが男ってもんじゃないのか?


まぁ色々言い訳はできるのだが、


要は俺の問題なわけで・・・


「アイシャはすごく可愛くて、魅力的な女性だと思うし、守ってあげたくなる。でも、すごく情けない話なんだけどさ、昔のことを清算してから、ちゃんとアイシャと向き合いたい」


「ん・・・」


アイシャがうなずく。


とりあえずだけど、納得してくれたかな?


「今は、それでいいです。昔のことを清算する気があることを聞けたので」


「へ?」


大事なとこ、そこ?


「ハルト様が辛そうに、意識を切り替えて考えないようにしていたことがわかるんです」





あ・・・




「『寝取られた』『悔しい』ってずっと心が叫んでましたよ?」






禁じられたワードを言われ、ガツンと殴られたように目がチカチカしてくる。


それは周りがみんな気を遣っていたことであり、触れなかったことだ。


元カノに支えられていた部分のこと。


行き場の無い優しさ。


自分のために生きるという責任感。


そういったものがぐちゃぐちゃになって、自分が独りなんだってことを改めて思わされる。


ーーーきっとこれからも続いていく未来があった。


確かにあったんだ。


でも、それが壊れた。


俺の知らないところで、簡単に。


「やり返しましょうよ」


「ふあっ?」


変な声が出た。


「ハルト様の心の痛みをーーーそのまま彼女に、もちろん奪った男にもーーー」


俺の心に黒い渦が巻く。


「ーーーお返ししましょう」


黒く染まったモノはその濃さが変わるだけで白くはならない。


「復讐しましょう?昔の女のことなんて、すぐ忘れさせてあげます」


アイシャの言葉は、極上の甘みがあった。味わいたく、なってしまった。


それまで考えないようにしていたどす黒い後悔の蓋が開く。


醜くて、持っていても不快で、それでいて、アイシャを傷つけてしまうかもしれないモノ。


これは、俺の怒りだ。憎しみだ。


「ハルト様?もっと、もっとです。でも、自分からそうしてくれないと、やっぱりダメですね。感情の消化不良を起こして、体がついていかないでしょう?」


アイシャが手を伸ばしてくる。俺はぐらりと体がアイシャの方に傾く。


ぽすん、と。俺の顔はアイシャのおっぱいに着地した。


頭を撫でられた。とても優しく、一瞬で眠くなりそうな撫で方だ。


「いいこ、いいこ。まずはいっぱい泣いてください。わたしに当たってください。全て受け止めますから」


「うわあああああああ!!!!」


何か、大切なものが砕け散った気がする。何を守っていたのかも、わからないほど微睡んでいた。


涙でよく見えなくなった目で、アイシャを見る。


彼女の表情は、慈愛に満ちた、とても優しい微笑みだった。


「ご、べん。胸、かりるわ」


「どうぞ、お好きなように」


瞬間、全てが涙でぐしゃぐしゃになった。だけど、アイシャが側にいるだけで、頭を撫でられて、おっぱいに抱きしめられるだけで、心の黒いデブリみたいなやつが消えていく。


ありがとう、アイシャ、ありがとう。

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