part5 もっと強く

 目の前に存在しているのは、これまでよりも遥かに異質な、ここ一週間非日常に身を置き続けた舞ですら、創作物でしか見なかった存在。


 身長は舞たちのいる建物よりも大きい、五十メートルほど。

 全身は、空間を塗り潰したかのような逆立った漆黒の棘で覆われている。

 四本指の手を持つ腕には鋭い刃が、逆手に持った鎌を二本束ねたように生えている。

 リクガメのような足の先には、グリズリーのような鋭く太い爪が五本。

 舞の知るどんな生物とも違う禍々しい貌。辛うじて近いと感じるのは、人間のそれだろうか。


「何だよ、これ……⁉」


 舞は、そびえ立つ赤黒い肉の壁を認識した時と同じように、それを見た時よりも困惑した声をこぼした。


〈あれが、ヴェノンコーヴィル本来の大きさ……! この星の命を喰らって、その情報を使って全く違う形に変わってる!〉


 ウィリアムが言った。口調から、舞にはウィリアムが険しい表情をしていることが伝わった。


 巨大怪獣形態へ変貌したヴェノンコーヴィルが雄叫びを上げ、世界を揺るがした。


 至近距離で轟音を浴びた舞は、思わず耳を塞いで下を向いた。

 その音を浴び、宇田川は叩き起こされた。上体を起こし、見上げるよりも早く何が起きているかを把握した。


「なっ……ぐああ⁉」


 眼前の存在に驚愕し、遅れてやって来た激痛に悶絶した。


 ヴェノンコーヴィルは雄叫びを止め、右腕を振り上げた。狙いは──


「ヤバイ!」〈マズイ!〉


 舞とウィリアムは同時に予測し、宇田川へ飛びかかるように抱き着いた。

 直後、ヴェノンコーヴィルが舞たち目掛けて右腕を振り下ろした。

 ビルがケーキのように削り落とされ、倒壊していく。


 瓦礫に紛れ、倒壊していくビルから離れるように、赤い光が地面に降り立った。

 光が収まり、中から宇田川を抱き抱えた舞が姿を見せた。


「真野君、あれは」

「ヴェノンコーヴィルです。宇田川刑事逃げてください。時間は稼ぎますから」


 舞は宇田川を降ろしながら、矢継ぎ早に告げた。


「ウィリアム、私たち飛べる?」

〈出来る! やり方は──〉

「──判った!」


 舞は頷き、ビルの破壊を続ける怪獣を睨んだ。


「真野君、アレに勝てるのか⁉」

「分かりません、でも行きます!」


 舞は啖呵を切り、ふわりと浮き上がり、ヴェノンコーヴィルへ突撃した。


「うっ……、真野君!」


 突風に煽られながら宇田川が叫んだ。




                   §




 ヴェノンコーヴィルのミサイル攻撃で荒廃した街を彷徨う、三人の人間がいた。

 一人は、テレビ番組の撮影に使うようなカメラを両手で持ったニュースキャスターの女性。

 一人は、ヘリコプターのパイロットだった男性。顔色が悪い。

 残る一人は、パイロットに肩を貸して歩くカメラマンの男性

 全員、ヴェノンコーヴィルに撃墜された報道ヘリコプターに乗っていた面々だった。


 三人は病院に向かおうとしているのだが、目印になるような建物が更地と化してしまった結果、道に迷っていた。


「もー、何でコレ持ってきたのよ……」


 カメラを持ち直しながら、女性が不満げに言った。

 カメラマンの男性は呆れ気味に言い返した。


「だからぁ、文句言うなら適当に投げときゃ良かったじゃないですか、何かヤバイデータある訳でもないし」

「そうはいかないでしょ、備品なんだし……」

「まあ、重いと感じれるのも生きている証で、いいんじゃないですかね」

「簡単に言うねホント……」

「んじゃ代わります? 肩貸すのと交換ですけど」

「私じゃ背ぇ低くてバランス悪くなっちゃうじゃない。お構いなく」

「さいで。しっかし、俺たちよく生きてますよね。ヘリ墜落したのに……」


 カメラマンの男性が呟くと、黙っていたパイロットの男性が力なく笑って見せた。


「へへっ……パイロットの腕と、全員の運が良かったのさ……痛ッ……ああかっこつかねえ」

「あー、あんまり喋んないでください……」

「そうする……」


 パイロットの男性がそう言った瞬間、これまでよりも大きな爆発音が轟いた。


「痛っ……あぁ……」


 パイロットが苦しみ出し、カメラマンは慌てた。


「ちょ、大丈夫スか⁉」

「大丈夫じゃない……傷に響いて……」


 そう言いかけて、パイロットの男性は、女性が、口を開けたままどこかを見ている


「どうした……ん、ですか?」

「……何……何アレ⁉」


 女性が叫びながら指差した方向に、それはいた。

 怪獣、という表現が真っ先に浮かぶような、巨大な黒い影。遠くて詳細な造形は分からないが、異物であり、危険な存在であると一目見て直感するような禍々しい姿。背丈は隣の商業ビルよりも大きい。


 三人は今になって自分たちがどこにいるのか何となく把握出来たが、それどころではなかった。


 怪獣は雄叫びを上げると、ビルに腕を叩き付け、破壊し始めた。


「何だよアレ、デカいぞ⁉」

「アレヤバイでしょ、逃げなきゃ……ちょっと?」


 ニュースキャスターの女性は走り出そうとして、


「ちょっと、何してるの⁉」


 カメラマンの男性が逃げようともしないことに気付いた。


「……あれ、何とか放送して、皆にヤバイって事伝えられないですかね?」

「何言ってるの……⁉」

「もしかしたら、オレたちが墜とされて誰も現場に近付けないみたいな雰囲気になってるかもじゃないですか。だからやるんです。正確な情報として伝わってくれるか、分かんないスけど」


 カメラマンは空を見上げながら言った。報道ヘリコプターも、災害救助用のヘリコプターも見当たらない。


「どっちか、スマホ持ってないですか? オレの、墜落した時に壊れちゃったみたいで」

「あるけど……まさかライブ配信する気?」

「他に何があるんですか! 出して! アカウント新設からでもいいですから早く!」

「マジ……⁉」

「マジです! 逃げたいんならこの人と一緒に逃げてください!」

「うう……」


 女性は迷った。スマートフォンは壊れていないが、ここで情報発信をする余裕があるのか。

 距離を考えると、自分たちにとっては遠いが、巨大な怪獣にとってはすぐ近くだろう。もっと遠くへ逃げないと自分たちが危ない。何より怪我人がいる。


「おい、逃がす前提で話してるけど、俺も残るぞ」


 パイロットの男性はそう言うと、カメラマンの男性から離れ、その場に座り込んだ。


「ちょっと⁉」

「何となく分かるんだ。理由も何もないけど……アレは俺たちを墜落させたヤツだ」


 パイロットは、遠くに見える黒い異形を睨みながら、静かに言った。


「アレが⁉ 大きさ変わり過ぎでしょ⁉」

「俺は、アレが何をするのか知りたい。撃ち落とされて何も知らないままなんて……冗談じゃない」

「…………」


 ニュースキャスターの女性は不安げな表情で、カメラマンとパイロットを交互に見て、


「……ああもう! 私もやればいいんでしょ⁉」


 自暴自棄になって叫び、スマホを取り出し、諸々のロックを解除してカメラマンに渡した。


「ホントにいいんスね⁉ 別に逃げても文句言わないッスよ!」

「怪我人置き去りに出来る訳ないでしょ⁉ あと個人情報スマホも!」




                   §




 舞はヴェノンコーヴィルの首の真横を翔け抜け、すれ違いざまに右腕を振り抜いた。

 閃光が瞬き、火花が散る。それでもダメージを与えた様子はなかった。


〈く、効いてない! 大きさが違い過ぎるからか⁉〉

「大きさが何だああああああああああッ!」


 ヴェノンコーヴィルへ届くように、恐れを振り切るように、舞が叫んだ。右手で拳を握り、引き絞るように振りかぶる。


 ヴェノンコーヴィルは舞を視認すると、左腕を大雑把に振った。

 舞は怪獣の手の平に激突し、ビルへ墜落した。その様は羽虫が叩き落とされるようだった。


「げほっ……うわっ⁉」


 舞は怪獣を見上げようとして、その右手が自分たちへ向かってくるのを見た。

 咄嗟に腕を突き出し、床を巻き込むように光波防壁バリアを球体状に展開した。

 途方もない衝撃と重さ、ミサイルを防いだ時とは違う強烈な圧迫感。

 光波防壁より先に床が限界に達し、六階、五階と崩落していく。


「く、ウィリアムもっと出力上げて! このままじゃヤバイ!」

〈やってる! 飛んで!〉

「うぅ……、っ⁉」


 舞が飛んで逃げようとした瞬間、押し潰そうとしていた右手が光波防壁を包み込んだ。

 ヴェノンコーヴィルは舞を光波防壁ごと掴み上げると、振り向きながら地面に叩き付けた。即座に舞が無傷であることを見ると、全体重を乗せて何度も踏みつけた。

 それでも光波防壁すら破れないと気付くと、ヴェノンコーヴィルは口から青白い火球を発射した。

 火球が光波防壁に激突し、爆発を起こした。爆炎が爆音を伴って広がり、舞の姿を覆い隠す。


「──おおおあぁっ!」


 爆炎の熱エネルギーを光波防壁で包み右手に集約しながら、舞が飛び上がった。ヴェノンコーヴィルの左側に回り込み、下顎へ飛び込み、攻撃エネルギー反射リフレクトを直接叩き込んだ。


「どうだッ⁉」〈どうだ⁉〉


 舞が視界を確保するために距離を取ろうとした瞬間、爆炎の向こうからヴェノンコーヴィルの左腕が伸びてきた。


「うわ⁉」


 回避が間に合わず、舞は掴まれてしまった。

 ヴェノンコーヴィルは雄叫びを上げながら、舞をバスのロータリーの向こうにある超高層ビルへ投げ飛ばした。


 舞は体勢を立て直しきれず、超高層ビルの二十三階、科学館の展望台に叩き込まれた。床を猛烈な勢いで転がり、駅周辺のジオラマの近くで止まった。


「ぐ……まだだ……」


 身体がまだ動くのを確かめ、舞は立ち上がった。僅かにふらつきながら、自分たちが突っ込んできた穴へ向かう。

 地上を見下ろすと、ヴェノンコーヴィルが超高層ビルを睨んで吠えている姿が見えた。


 ヴェノンコーヴィルと目が合った気がした舞は、


「ウィリアム」

〈どうした?〉

「アイツと同じくらいの大きさになれないかな」

〈…………〉

「知ってるよ私。ウィリアムに最初に会った時見たもん。あなた、アイツと取っ組み合いしてたじゃない」

〈本気か?〉

「本気だよ。たぶんそうしないと勝てないでしょ、アレ」

〈……いいんだね?〉

「うん。出来ることは全部やりたい」

〈そうか……分かった、やろう〉


 最後に舞は、力強く頷いた。

 ウィリアムは一呼吸置き、本来の大きさに戻る準備を始めた。


〈──物理法則、偽装・解釈拡大。実在身長、巨大化・回帰。限界時間、延長・三分!〉


 詠唱に合わせるように、舞の肉体発光器官の輝きが強くなっていく。

 身体の芯から暖かいちからが湧き上がるのを感じ、舞は生体外骨格皮膚の下で不敵に笑った。


「……いいね、何だか必殺技みたい」

〈必殺技さ。さあ舞、飛び出して!〉


 舞はジオラマの近く──展望台の端まで下がり、一度深呼吸し、


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 絶叫しながら全力で走り、穴から外へ飛び出した。

 その瞬間、青い光が螺旋を描く赤い光の空間が舞を包み込んだ。

 舞は、自分の身体の感覚が、どこまでも大きく広がっていくのを感じた。

 まるで、自分が光になったかのように──。

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