part3 決/戦
冰山駅周辺、舞が病院から姿を消す少し前。
宇田川が目を覚ますと、薄暗い日陰──瓦礫と瓦礫の間に出来た三角形の空間に倒れていた。立ち上がれる程の空間ではないが、目の前には、自分が這い出すことが出来そうな穴が開いていた。
「っ……」
身体のどこかが挟まれていないかを感覚のみで確認すると、宇田川は目の前の隙間から外へ脱出した。
次に宇田川が目にしたのは、
「────」
まるで幼き日の記憶の片隅にあるテロ事件の報道や、空爆後の市街地を撮影した画像・映像、古い資料映像でしか見たことがないような地獄の光景。
世界──空気が灰色がかっている。建造物の多くは瓦礫と化し、駅構内からは炎と黒煙が空へ立ち上っている。
負傷した警備課の同僚や機動隊員が幾つかの塊になって座り込んでいる。中には地面に転がり、身じろぎ一つしない者や、身体のどこかがなくなっている者が何人もいた。
数メートル先にある瓦礫の山。その下から助けを求める声が聞こえる。聞き覚えがある声、今年配属されたばかりの後輩だ。その後輩の同僚が瓦礫越しに声を掛け続けている。周囲を見渡すと消防隊が救助活動を行っていた。間に合うのだろうか?
宇田川は瓦礫の山から下りて数歩だけ歩き、膝から崩れ落ち、咳き込んだ。咄嗟に口を塞いだ手の平を見ると、黒く煤けた痰が付着していた。
「…………」
数秒間それを見つめ、スーツの右ポケットからティッシュを取り出し、毟るように拭き取り、それをスラックスの右ポケットに突っ込んだ。
左手首の腕時計を見ると、午後四時四十二分──編成された討伐部隊が怪獣──ヴェノンコーヴィルとの戦闘を開始した時間で止まっていた。
真野 舞が倒れていた場所の周辺を捜索した結果、怪物はそのすぐ近くの
朝霞神社を中心とした半径一キロメートルの避難が完了していることを確認し、部隊は神社を包囲するように展開。狙撃班による一斉射撃を合図に突入する手筈が整えられた。
狙撃班の銃弾を浴び、拝殿の中央で蠢いていたヴェノンコーヴィルは動かなくなった。
死亡を確認するべく、ライオットシールドを構えた隊員を先頭に、機関拳銃を装備した班が拝殿に突入した。
その次の瞬間、拝殿が内側から爆発した。
何が起こったのかはすぐに判明した。半壊した拝殿から何かが射出され、樹木や地面、建造物、待機していた隊員等周囲のあらゆる物体に接触し、爆発したのだ。
部隊に動揺が走ったのを見計らったかのように、神社から黒い影──ヴェノンコーヴィルが地を這うように飛び出し、機動隊員の一人の右腕を、ライオットシールドごと縦に両断した。
その近くにいた警備課の先輩は、尻尾の一振りで首がありえない角度に曲がってしまった。発砲しようとした機動隊員は、機関拳銃ごと右手を食われた。
──駅方面へ撤退する討伐隊を追い立てるように、爆発物が飛んできた。
目の前で瓦礫に押し潰された誰か(判別する間もなく瓦礫が降ってきた)もいた。
少しでも撤退の時間を稼ぐ方法と、最悪の展開になりつつある現状を打開する方法を必死に考え──その途中で商店街の屋根の崩落に巻き込まれたのだろうか?
宇田川は、記憶がいくつか繋がっていないように感じた。何かの──たとえば瓦礫の下敷きになり気絶した拍子に、記憶が欠損したのかもしれない。
だが少なくとも、気絶した宇田川が瓦礫から這い出し、見渡して視認した死傷者たちよりも、撤退するまでに動かなくなった人数の方が多かった。
「クソッ……!」
宇田川は行き場のない思いを拳に乗せ、地面に打ち付けた。
余りにも無力すぎる。数を集め態勢を整え、その末に状況を悪化させるなんて……。
あの少女は──、人知を超えた力があるとはいえ、たった一人で、あんなバケモノから友達二人を守り抜き、一度は撃退したというのか?
なのに、俺は……。
脚を崩して座り直し、もう一度周囲を見渡し──、宇田川は、商業ビルに向かう、大筆で引いたような赤黒い線を見つけた。
それを見た瞬間、宇田川は気絶する寸前の出来事を断片的に思い出した。
何かを引きずる音と、重量感のある足音。助けを
「痛い、また腹が減った。だがこれで足りるだろう」
引きずる音が横切る時、助けを求める声に混じってそんな声が聞こえた。
「……勘違いでなければ……」
このままだとあの怪獣は、暴れるために必要なエネルギーを補充し、傷を癒すだろう。今以上に手が付けられない存在に変貌する可能性も十分にある。
そうなった場合、仮に舞とウィリアムの助力が得られたとして──それは最悪の選択なのだが──、それでも、勝てるのか?
「…………」
少しも震えていない自分の両手を見て、宇田川は覚悟を決めた。
何をどう嘆こうと、目の前の
だが。幸か不幸か、自分はまだ生きている。四肢は満足に動かせるし、身体のどこかに何かが刺さっている訳でも、欠損がある訳でもない。
それには何か意味がある、という訳ではなく、単なる偶然なのだろう。
しかし、意味を見出すことは出来る。〝まだ十全に戦える〟、だ。
宇田川は立ち上がると、確かな足取りで討伐部隊の生き残りたちの方へ向かった。
「すみません、まだ使える武器を借りたいです」
「その狙撃銃、まだ使えますか? 使えるなら貸してください」
「使える狙撃銃の弾薬はありますか? あるなら、ありったけ使いたいです」
「閃光弾、まだ余っていますよね? 使うのでください」
「先輩。拳銃の
「申し訳ありません。でも、背に腹は代えられないんです。敵を討つために、あなたの装備を貰います」
宇田川は、怪獣の行方を確かめて回りながら、装備を集めた。
一人で行くことを止める者がいた。遺体から装備を取ることを咎める者もいた。
当然だ、と宇田川は思った。一人で突入するのは無謀だし、死体漁りは冒涜になりかねない。
それでも、と宇田川は武器をかき集めた。今まともに動ける人間が自分しかいないからだ。
そうして、部隊の生き残りから交渉または問答無用で、遺体からも剥ぎ取る形で、狙撃用のライフルと弾薬、拳銃用の弾薬、閃光弾を携行出来る分だけ入手した。防護装備は、ヘルメットと防護ベストだけ借りた。
装備の点検を済ませ、狙撃銃に一発目を装填し、宇田川は赤黒い線──血痕を辿り、爆撃の被害が見受けられる商業ビルに侵入した。
血痕は、上階行きのエスカレーターへ真っ直ぐ向かっていた。
宇田川はそれを見て足を止めた。
罠の可能性がある。血痕を辿ってきた部隊員たちを、絵筆代わりにした人間諸共餌食にしようと考えているかもしれない。人間の言葉を鳴き声代わりに使っている様子ではなかった。なら知性を持っているはずだ。
だが、こうも言っていた。
「痛い、また腹が減った。だがこれで足りるだろう」
舞に聞かせてもらったこれまでの戦いの傾向を考えるに、ヤツはたとえ肉体を失おうと逃げおおせたり、隠れてやりすごそうとする。
今回の場合は、恐らく隠れられる場所で体力を食事で回復しようとしている。
あの怪獣は、これまでも自分の肉体が万全の状態になってから活動を再開していたはずだ。
そう考えた末、宇田川は、まだヴェノンコーヴィルに罠を張る余力はないことに賭け、最低限クリアリングをしながら血痕を辿ると決断した。
極力物音を立てないように移動する。二階、三階と何事も起きずにエスカレーターを登り、四階に足を踏み入れようとして、何かが物音を立てたことに気付いた。
足音だ。
宇田川はライフルの安全装置を外した。
四階には服屋、化粧品店、靴屋、アクセサリーショップ、カードショップとそれに併設された駄菓子屋が入っている。隠れられる場所には困らないだろう。
エレベーターを登り切り、物音を極力立てないように注意しつつ、左回りにヴェノンコーヴィルの捜索を開始した。
服屋、いない。アクセサリーショップ、いない。化粧品店、いない。エレベーター周辺、いない。靴屋、
「────!」
いた。約十メートル先、靴屋の姿見の前で何かを漁っている。
耳を澄ますと、湿った音が聞こえてきた。
考えたくはないが……食事をしているのだろうか。間に合わなかったのか。
「…………」
宇田川は防火扉の影に隠れると、左手で懐から閃光弾を取り出した。歯で安全ピンを抜き、身を乗り出して下投げで放った。
閃光弾がヴェノンコーヴィルの背後に落ち、無機質な音を立てた。
怪獣が反応し、振り向き始めたのを見て、宇田川は防火扉の影に隠れた。
破裂音と強烈な閃光が両目に突き刺さったのか、獣の鳴き声のような悲鳴が聞こえた。
宇田川は防火扉から飛び出しながらライフルを構え、スコープを覗いた。狙うのは両目、そして胸部。
ヴェノンコーヴィルは、腕を滅茶苦茶に振り回していた。両目も胸部も、狙うのは厳しい。
それがどうした。
宇田川は引き金に指を当てて素早く呼吸を整え、怪獣の顔が照準の中央に入った瞬間に引き金を絞った。相手から見た右目の中央に命中。ボルトを操作して排莢と装填を行い、左目を狙って発砲。左目を巻き込む形でその少し下に命中。
ヴェノンコーヴィルの身体がふらついた。既に三発目の装填を終えていた宇田川は狙いを胸部に変え、発砲した。
弾頭が弾かれ、金属同士が激突するような音と火花を生み出した。
「!」
宇田川は目を見開きつつも、すぐに両目に狙いを戻した。装弾数は五発なので、残り二発。
「────ソコカァァァァ!」
ヴェノンコーヴィルが雄叫びを上げ、宇田川に向かって走り出した。両目を潰し胸部を叩いた犯人がどこにいるのか分かっているのだろう。
宇田川は怪獣の潰れた右目を狙い、撃った。
四発目の銃弾は、昨日の夜と同じように、最初に命中した場所と寸分違わぬ場所へ吸い込まれるように命中した。
ヴェノンコーヴィルは仰け反り、背中から倒れ込んだ。そのまま動かなくなった。
「…………」
宇田川は、深く息を吸い、吐いた。ボルトを引いて排莢し、スラックスのポケットから弾薬を四発取り出し、再装填した。
宇田川は一瞬だけ迷い、念のためもう一発、ヴェノンコーヴィルの頭部を撃った。
胸部を撃った時と同じような音と火花が弾けたが、ヴェノンコーヴィルは反応しなかった。
宇田川は怪獣の生死を確認するために、五メートルほど距離を取りながら左腕側に回り込もうとした。
その瞬間、ヴェノンコーヴィルの左腕が僅かに動いた。
宇田川がそれに気付くよりも早く、その眼球の数ミリ手前を、振り上げられた刃物が走った。
「うわっ⁉」
宇田川は驚いて仰け反り、飛び退くように下がった。同時に、自分の近くの壁に斬られた痕が出来ている事に気付いた。
両目から潰れた金属を落としながら、ヴェノンコーヴィルが立ち上がっていた。
「く──」
宇田川はライフルを構え直したが、それと同時に、ヴェノンコーヴィルが右腕で袈裟に斬った。銃身が両断された。
宇田川は下がりながらライフルを投げ捨て、拳銃を取り出した。
「!」
背中に何かが激突した。自販機だ。宇田川の逃げ込んだ区画はエレベーターがあり、行き止まりでもある。これ以上距離を取ることが出来ない。
再生した両の眼で、ヴェノンコーヴィルは宇田川を視認した。
「また、お前か……」
ヴェノンコーヴィルの両目がキャノピー状の複眼に形を変え、薄黄色に発光した。
「同じ目に遭わせてやるよ……」
鎌の先端で床をバターのように切り裂きながら、少しづつ歩を進めて来る。
何か──せめて、距離と取らなくては。コイツは飛び道具も持っている。だがあの鎌を回避するのは至難の業だ。何とか背後に広がる空間へ飛び込む方法はないのか?
「お前も特別だ、簡単には殺してやらねえよ、なあ──」
「っ……!」
結局、人間ではこの怪物を止められないのか。俺は、ここで……。
宇田川が諦めかけた、その時だった。
宇田川とヴェノンコーヴィルの間の空間。そこに、赤い光が発生した。
「何だ……?」
「この光は……!」
ヴェノンコーヴィルが忌々しげに唸り、右腕を伸ばそうとした。
瞬間、赤い光からエネルギーの波が発生し、ヴェノンコーヴィルを服屋まで吹き飛ばした。
赤い光が人の形に集束していく。
体格は女性──少女だ。今にも崩れてしまいそうな、しかし確かに
「──遅くなりました」
真野 舞の声が、空間に強く響き渡った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます