part2 欲しい物を言う
宇田川の病室から出た舞は、その足でエレベーターに向かっていた。
──全部話して、良かったのかな……
〈どうだろうね……良いか悪いかは、あの人の行動次第と思うけど……〉
──人の口に戸は立てられぬっていう言葉があるくらいだからさ……
〈あそこまで疑われていたら、その内バレていたと思う〉
──かなあ……
ウィリアムと話しながら、エレベーターの階下へ向かうボタンを押した。
上ってくるエレベーターを待ちながら、会話を続ける。
──行動次第って事は、最悪、追い回される事になるのかな、私達は
〈可能性は、あると思う〉
──だよね……ままならないね
ポーン、と音を立て、目の前の扉が開いた。誰も乗っていなかった。
舞はエレベーターに乗り、心咲と椋子に合流するため、二階のボタンを、続けてドアを閉めるボタンを押した。
ドアが完全に閉まってから、舞は盛大に溜め息を吐いた。
──これからの事考えようって、思ってた矢先にこれだもん
舞は、困ったと言いたげな表情をインジケーター(注:エレベーターの籠がどの階にあるか、上下どちらに移動しているかを表示する装置)に向けた。
〈舞……〉
──大丈夫。もう一回、今度こそちゃんと倒せばいいんだから。でしょ?
〈……うん〉
舞がニコリと笑うと、丁度良く二階に到着し、ドアが開いた。
「さ、頑張りま」
口に出しながら一歩踏み出そうとして、転ぶように座り込んでしまった。
「……あれ?」
〈舞?〉
「あはは、いつものやつかな…………あれ? あれ?」
身体に力が残っていて、うつ伏せになる事はないのだが、立ち上がる力がない。
「大丈夫?」
そんな舞に、誰かが声を掛けてきた。聞き間違えようのない声だ。
顔を上げると、心咲が心配そうに舞を覗き込んでいた。
隣には椋子がいて、エレベーターのドアが閉まらないように手で押さえていた。
「どうしたの? 足、挟まれるよ?」
「あ……こ、転んじゃってさ」
「大丈夫? 立てる?」
「う……うん、大、丈、夫……」
舞はそう言って立ち上がろうとして、バランスを崩して壁にもたれかかった。
「ちょっ⁉」
「大丈夫じゃないじゃん⁉」
舞は身を乗り出してきた心咲と椋子を両手で制した。
「いや、本当に! 本当に大丈夫……」
「……とりあえず、そこ座ろう」
椋子はをすぐ近くにあるソファを指しながら言った。
心咲は何も言わずに、舞に肩を貸した。
「いいのに……」
「いくないです」
心咲は舞を慎重に運ぶと、椋子が指したソファに舞を降ろした。
「二人共ごめんね……何だろ、宇田川刑事が元気そうなの見て、力抜けちゃったのかな」
「どっか具合悪い訳ではないと?」
「うん」
心咲が舞の額に手の甲を当てた。
「熱はなさそう」
「熱中症でもなさそうだしなあ……」
「あの、うん。本当に大丈夫だから……もう、だいぶ回復したから」
舞はそう言って立ち上がり、ソファから少し離れ、一回転して見せた。
「ほら、この通り。ね?」
友人二人に笑顔を向けた瞬間、舞のお腹が鳴ってしまった。
「あ……」
舞は頬を薄赤く染め、照れ隠しに笑った。
それを見て、椋子が安堵したように息を吐いた。
「んじゃあ、売店で何か買ってくるわ。元気になるようなの」
椋子はポーチから財布を取り出し、売店へと歩き始めた。
「心咲ちゃんの家族と宇田川刑事が大丈夫なのかって心配と、空腹とか重なったんでしょ、たぶん」
「……そういや、わたしもお腹減ってる」
心咲がお腹を押さえ、思い出したように言った。
「でしょ? だから行ってくる。お代はアタシのおごり。貸しはナシ」
「でも椋ちゃん、お金大丈夫なの? だってほら」
「ああ、別に軽く食べるくらいならノー問題よ。貯金でカバーすればいいし、父さんが来週帰ってくるっぽいから、そん時にせびる」
椋子はそこまで言って、「あ、そうだ」と言って振り向いた。
「心咲ちゃん。舞ちゃんと一緒にいて。何か適当に話してて」
椋子は心咲に向けて、右目でウインクをした。
「! 分かった」
心咲はその意味を瞬時に理解し、真剣な表情で頷いた。
「……?」
舞は意味を読み取れず、小首を傾げた。
「ん。じゃあ、待っててね~」
椋子はそう言って、ゆっくりと売店へ向かって行った。
ややあって、心咲は舞の隣に座った。
「あの、さ。しつこいだろうけど、本当に大丈夫なの?」
「うん? あー……」
舞は少し考えて、両手の指を組み合わせてカエルの形を作った。
「これは根拠になる?」
「っはは……何でカエルなのよ」
「蘇る、よみ『がえる』……なんちゃって」
「理由あったかぁ~。……じゃあ、うん。大丈夫、かな?」
「疑問形かあ」
「疑問形です」
そう言われて、舞はカエルを崩し、肩をすくめた。
「自分のこと棚に上げるようだけどさ、心咲のお母さんと
「うん。本当にね……」
昨夜の戦闘から少し後、心咲の母親と冴理は病院に搬送された。
大した怪我もなく、すぐにでも退院出来る状態だという。
二人が会話をしていると、その前を医者や看護師が慌ただしく横切って行った。
医者たちを見送りながら、心咲が言う。
「大変な事になってるよね」
「そう、だね」
「沢山の人がおかしくなって、怪物が暴れて……でも、怪我した人が少なくて良かった」
舞は心咲を見て、
「うん……」
特に言い返すことはしなかった。
「すぐ近くで起きてる事なのに、何が何だか分からなくて……怖い」
「私も、そう思う」
「……あのさ、舞ちゃん。昨日、何で急に血相変えて飛び出したの」
「え! あ、あー……」
舞はすぐに返答出来なかった。
「あの後、銃声とか爆発音とか聞こえて来て……新しい怪物が出てきて、宇田川刑事と銀色の怪物がそれと戦ったって、舞ちゃん言ったじゃない」
「言ったね」
「それ、宇田川刑事にとこまで行ったってことでしょ?」
「……そう、だね。うん」
舞は、自分が言ったことを思い返しながら相槌を打った。
「どうして?」
「何ていうか、ええと……、あそこに私がいたら皆が危ないって思った、っていうか……」
「そんなことある?」
「でも、そう感じたとしか……何でかは、分かんないんだけど」
「そう……いつもの危機察知能力なのかな……」
心咲はあまり納得していない様子だったが、ややあって小さく頷き、
「まあ……うん、そうね。話題変えてもいい?」
「あ、それは助かる。何か気が滅入っちゃう話ばっかりだし」
「じゃあ……舞ちゃんさ、何か欲しい物ある?」
「え、何で?」
舞は全く心当たりのない様子で聞き返した。
「何でって、だって明後日が誕生日でしょあなた」
「ああ」
「ああ……って、忘れてたの⁉」
「いやいやいや、まさかまさか」
慌てた様子で言った舞に、心咲は疑いの目を向ける。
「ほんとに……?」
「ほんとほんと。忘れたんじゃなくて、随分と直球で来たなって。……欲しい物かぁ」
舞はおとがいに指をあてがい、
「……一緒に祝ってくれる人」
「それはもう持ってるじゃない。わたしと椋ちゃん」
「でも、欲しい物が浮かばないし……」
「そこを何とか!」
「うーん……」
舞は腕を組み、何かなかったかと記憶を片っ端から掘り返し始めた。
そうして、漸く一つだけ欲しい物が浮かんだ。
「あ、包丁……」
「包丁?」
「出刃包丁なんだけど、研ぎすぎで刃が痩せちゃって……駄目かな?」
「分かった、いいの見つけてみる!」
「本当? ありがとう!」
「うん、任せて」
心咲はそう言って、胸をポンと叩いて見せた。
「おーい、お待たせー」
声が聞こえた方を見ると、左手にビニール袋を提げた椋子が、手を振りながら戻ってきた。
椋子は袋の口を広げ、二人に中身を見せた。アンパン、ホットドッグ、カレーパンが一個ずつと、緑茶のペットボトルが三本。
「はいこれ。お先どうぞ」
「ありがとう」「ありがとー」
舞はカレーパンを、心咲はホットドッグを選んだ。
そうして、ちょっとした昼食を摂ろうとしたその時だった。
〈舞、あの刑事さんが降りてこようとしてる〉
──え?
ウィリアムに言われて、舞は飲み物を開けようとしていた手を止めた。
目だけでエレベーターを見ると、上階から誰かが降りてくることが確認出来た。
──ヤバイね?
〈うん〉
「あ、そうだ。心咲ちゃん、適当に話せた?」
「もっちろん!」
「ヨシ!」
心咲と椋子は互いにサムズアップした。
直後、会話に参加していなかった舞が言った。
「ごちそうさまでした」
「ええ⁉」「はっや⁉」
心咲と椋子が見ると、舞はカレーパンを平らげていた。
「え……ちゃんと味わった?」
「うん」
困惑した様子の椋子に、舞は頷いて見せた。嘘は吐いていない。
「ちょっと、確かめる事が出来たから、私帰るね」
舞はそう言いながら立つと、未開封の緑茶をズボンのポケットに捻じ込んだ。
「え、ちょっと」
「あ、ゴミは自分で捨てるから! じゃっ!」
心咲と椋子が呼び止める間もなく、舞は早歩きで去って行った。
「え……何、いきなり」
「椋ちゃん。やっぱり舞ちゃん変だよね?」
「やっぱりって……」
「それが、さっきもなんだけど──」
心咲が椋子に説明しようとしたその時だった。
「君達、ちょっといいか⁉」
「きゃ⁉」「うわ⁉」
突然、心咲と椋子の後ろから、誰かが大声で話しかけてきた。
二人が振り向くとそこには、
「って何だウダガワ刑事か! びっくりした何ですか急に⁉」
「すまない。君達の友達の真野君、まだいるか⁉」
宇田川は声の大きさを抑えながら言った。
心咲が首を振りながら答える。
「舞ちゃんなら、確かめる事が出来たって、急に帰っちゃって」
「何だって……」
「舞ちゃん、何かマズイことしたんですか?」
「あ、いや……そうではないのだけど……」
椋子の不安そうな表情を見て、宇田川は言葉を濁し、
「ありがとう。じゃあ、俺もこれで。帰る時は気を付けて!」
それだけ言って、足早に受付の方へ向かっていった。
呼び止める間もなかった。
「何なんだよ、一体……」
椋子の疑問に答えられる者は、この場にいなかった。
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