第四章 砕け散る形

part1 安静には出来ない

 止めろおおおおおおおおおぉぉぉぉぉっ!


 少女の叫びが轟く。


 揺らぐ視界と意識の外で、赤と青の光が輝いた。

 光が目の前に飛び込み、怪物を弾き飛ばした。

 意識を失う直前、最後に見たのは、銀色に光り輝く二つの眼だった。

 銀色の怪人の、正体は……




 宇田川は、スイッチを切り替えるかのように目を覚ました。

 病室の外から慌ただしい足音が聞こえてくる。

 右手で持っているスマートフォンの電源を入れた。現在時刻は午前十時四十七分。


「二度寝か……」


 宇田川は二時間前に一度目を覚まし、医師達から検査を受けていた。

 その途中、現在の日にちと、興奮させてしまう可能性があるので新聞やテレビ等は見せられない事が伝えられた。


 一人になり落ち着いてから、医師の言葉を無視してスマートフォンで情報収集をしようとした矢先にうたた寝を始め、今起きたらしい。

 宇田川はスマートフォンのホーム画面を見つめたまま、Google chromeのアプリを開けないでいた。


 浅い眠りの中で見た、気絶する寸前の記憶。

 記憶が正しくて、自分の推測までも正しかったら。

 実態を知る事に、恐怖に近い感情を覚えたからだ。


 それでもとアプリを起動した瞬間、ノックの音が響いた。

 入ってきたのは、ここ数日何度も顔を合わせている、真野 舞という十代前半の少女。

 舞は落ち着かない様子だった。或いは、宇田川の機嫌を窺っているようにも見えた。


「えっと……こんにちは」

「今日は」

「ご気分は、いかがですか?」


 舞が、ぎこちない様子で聞いてきた。使い慣れない言葉なのだろう。


「ああ、大丈夫だ。そんなに固くならなくていいよ」

「ん……で、ですよね! あはは……」


 舞はそう言ったが、笑顔も笑い声も、やはりぎこちない。

 そんな舞を見て、宇田川は気になった事を口に出した。


「怪我は、ないのか?」

「え! ああ……運が、良かったみたいです。とっても」


 舞の身体、その素肌が見える箇所には、傷が一つもなかったのだ。怪物に首を絞められ、投げ飛ばされてパトカーに叩き付けられたというのに。

 自分はと言えば、彼女に比べれば『ちょっと小突かれた』程度だったのに、このザマだ。


 運が良かっただけではない、と宇田川は感じていた。

 あの怪物と妙な会話をしていた事といい、この少女は──


 考えようとした矢先、舞が話しかけてきた。


「……あの、座っていいですか?」

「あ……どうぞ」

「失礼します」


 舞はそう言って、病室にあった椅子もベッドの近くに持ってきて座った。

 面接じゃないんだからと宇田川は思ったが、口には出さなかった。


「……あの」

「何だい?」

「その、宇田川刑事は、ええと……何を、どこまで見ましたか?」


 慎重に言葉を選んでいるような質問だった。

 宇田川は少し迷ってから、答える事にした。


「君が投げ飛ばされた後、俺はあの怪物に銃弾を命中させて……でも、効かなくて……怪物に殺されそうになって、君の叫び声が聞こえて……赤と青の光が飛び込んできて、その中から銀色の怪人が現れた。最後に見たのは、怪人の光る両目……」


 宇田川話している内に、舞は徐々に項垂れていった。

 いたたまれない気持ちになったが、それでも、半信半疑のままにしておきたくない疑問を解消する事を優先した。


「俺の思い違いなら、忘れて欲しいのだけど……もしかして君なのか、銀色の怪人は」

「!」


 舞が弾かれたように顔を上げた。


「…………はい」


 そして、消え入るような声で、観念したように答えた。


「どうして、そう思ったんですか?」

「真野君が、怪物に遭遇して二回も無事だった事、投げ飛ばされてパトカーに突っ込んだのに無傷である事、君がいた方向から怪人が飛んできた事。後は……何となく、だ」

「刑事のカン、ですか?」

「……分からない」

「ですか……」

「どうして、そうなったんだ?」


 舞は、すぐには答えなかった。宇田川から視線を外し、どこかを見る。

 宇田川はそれを見て、まるで眼球の奥に向けて視線を送っているようだと思った。


「えっと……先にことわっておきますけど、少し長いですよ?」

「構わないよ」

「じゃあ……」


 舞は小さく咳払いをして、彼女が今まで経験してきた事を話した。


 七夕の夜に名無しの宇宙人と遭遇し、命を共有し『ヴェノンコーヴィル』という宇宙怪獣と戦うと決めた事。

 名前のない宇宙人にウィリアムという名を与えた事。

 頭の中で声がする感覚に中々慣れなかった事。

 友人である心咲と椋子が怪獣の調査に乗り出さないか不安になった事。

 それに近い状況が発生し、何とか引き返させた事。

 美術館付近で初めて変身して戦い、その際に仕留め損ねた事。

 そこで漸く、変身に約三分という時間制限があると気付いた事。

 駅前で二度目の戦闘を行い、完全に撃破したと思っていた事。

 三度目の戦闘で、自分達の力の一部を奪われた事。

 そして、引き分けに終わった事。


「──知ってる事は、これで全部です」

「……そんな事が……」

「はい。現在進行形で……」

「この事を知っている人は、他には」

「いません」

「……家族や友達に言っていないのか?」


 舞は、黙って頷いた。


 何という事だ。この少女はたった一人、もとい二人で戦ってきたのだ。

 誰にも相談せず、怪物のそしりを受けても、銃を向けられても。


「身体は何ともないのか?」

「あ、はい。ケガの治りが早いだけで、それ以外は何とも……」

「……何ともなくないだろう⁉ あの怪獣と同類になる可能性だってあるかもしれない、その宇宙人の言っている事がどこまで本当かも怪しいんだぞ⁉」

「う……でも、私本当に死んじゃってたみたいですし、他に選択肢があったかというと……」

「あのな、だから──」

「だから、そうなる前に決着を付けます」

「……ばかか君は⁉ そういう問題じゃないだろう⁉」


 宇田川にはある種の確信があった。

 この少女は全部一人で解決するつもりだ。恐らくいくら諭しても堂々巡りになる。


「埒が明かない……真野君、そのウィリアムという宇宙人は、君以外と話せるのか? 話せるのなら直接話がしたい」

「え……ん……」


 舞は一瞬困った顔をして、宇田川から視線を外した。

 さっきもやっていた、眼球の奥へ視線を送るような仕草。


 二秒にも満たない沈黙の後、舞が視線を戻した。


「……聞こえました?」

「いいや……何か話したのか?」

「はい。『聞こえてますか?』って」


 宇田川は困った。

 舞とウィリアムの会話は、二人の間だけで完結しているのだ。


「ええっと、客観的に見て色々ヤバイですよね、私」


 舞が、宇田川の思考を読んだかのように言った。

 どうやら舞自身も自覚はしているらしい。それとも、知らず知らず他人の心を読んでいるのか。


「あー……ですよね。エコーチェンバーとか、フィルターバブルみたいに言うんですよね、こういうの」


 知らず知らずの内にそういう表情をしていたのだろうか。

 そうして、舞は宇田川が何か言う前に立ち上がった。


「そろそろ行きますね。良かった、元気そうで」


 舞は椅子を持ち上げると、元の位置に戻し、そのまま出て行こうとした。


「──あ、待ってくれ真野君!」


 舞が立ち止まり、振り向いた。


「本当に解っているのか⁉ 君が戦っているのは、」

「宇宙の平和を脅かす、悪魔のような怪獣」


 舞は真剣な表情で、宇田川の言葉を遮るように答えた。

 少し間を空け、困ったように笑う。


「どっかで聞いたような言い回しですよね」


 中学生でも知っているような有名な作品の言葉なのだろう。だが、宇田川にはその知識はなかった。

 宇田川は話を広げず、伝えるべき事を伝える。


「……君が、その怪獣と戦う力があるのは確かだ。一度は倒した所を見た。しかしだ、警官として民間人が、何より一個人として子供が戦う事を容認する訳にはいかない!」


 そう言った瞬間、舞の表情が固まった。何らかの感情を抱いているとはっきり解るのに、ひたすらに張り詰めていて、肝心の感情内容が全く読めない。


「……そう、ですね。私も友達がこうだったら、たぶん止めます。……でも」


 そこまで言って、舞は何度か深呼吸をした。言葉を選んでいるのだろうか。


「でも、それでもやるって決めたんです。守れなかった人がいたから……今回もそうです。アイツのせいで怪我した人が街中に沢山いるんです。だから」


 舞の声が段々と震えていく。

 宇田川は、遮るように言った。


「……君が傷ついてでもやる理由にはならないぞ」


 発した声は震えていた。掛け布団の下で、銃を撃った感触が残る右手に触れる。

 宇田川が撃ったのは、確かに怪物だった。だが同じように、人間でもあった。

 自分がそうだったからこの少女もそうだ、と言うつもりはない。しかし……。


「……えっと……」


 舞が微妙な表情で宇田川を見ている。


 ここで引き留めなかったら、この年端も行かない少女に途方もない何かを背負わせてしまうのではないかと、宇田川の中の何かが警鐘を鳴らしていた。


「大丈夫ですよ。……大丈夫です」


 舞が念を押すように二回言った。

 目が泳いでいた。


「じゃあ今度こそ、失礼します」


 舞はぺこりとお辞儀をすると、踵を返して病室から出て行こうとした。


「待っ……痛……」


 ベッドから降りようとした瞬間、肋骨の辺りや背中が鈍痛に襲われた。

 痛みに呻いている間に、舞は病室からいなくなっていた。


 宇田川は、退院の手続きを取る事にした。

 何とかしなくては──!

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