part6 同じ土俵
舞が自宅のすぐ近くまで戻ると、宇田川の背中が見えた。
宇田川は拳銃を構え、何者かと対峙していた。
舞は直感的に、何者かがイメージの中の『どす黒い人型』だと理解した。
「宇田川刑事っ!」
「来るな!」
宇田川が振り向かずに舞を制止し、間髪入れずに叫ぶ。
「逃げろ!」
「え……でも!」
「いいから、早く!」
銃を構えたまま、宇田川がじりじりと後退する。
舞は逃げなかった。そうする訳にはいかない。
闇の中にいた何者かが、ゆっくりと、歩を進めるように前進した。
街灯に照らされたのは、制服や装備を、血と臓物でどす黒く染め上げた警官だった。
ここ数日修羅場を潜り抜けてきた舞ですら、どこか非現実的に捉えてしまう光景だった。
「アア、ヤッパリココニイタカ」
警官が、ぎこちない声で言った。
けして大声でも、よく通る声でもないのに、あちこちから聞こえる救急車のサイレンを磨り潰すように宇田川と舞に届いた。
ややあって、舞は、警官の視線が自分に向けられている事に気付いた。
「……私?」〈僕か……?〉
「ワカラナイカ? ジャア、コレナラドウダ?」
警官がそう言った直後、その左腕がずるりと抜け落ち、カマキリのそれのような形に生え変わった。
その悪夢のような光景を、舞は既に一度見ていた。
「……ヴェノンコーヴィル、なの?」
〈人間を喰ったのか……〉
「セイカイ、ダ」
警官──ヴェノンコーヴィルは
それを見た宇田川は、警告せずに発砲した。銃弾は、ヴェノンコーヴィルの右の鎖骨の下に命中した。
ヴェノンコーヴィルは歩みを止めると、おもむろに、右手の親指と人差し指を銃創に捻じ込んだ。
湿った音と共に引き抜かれた指が、潰れた弾頭を摘まんでいた。
ヴェノンコーヴィルは弾頭を地面に落とすと、宇田川の眼前に三歩で踏み込み、払い除けるように押し倒した。
「ぐっ⁉」
宇田川は軽々と吹き飛ばされ、家の塀に叩き付けられた。
「がっ……」
「宇田川刑事!」
宇田川に駆け寄ろうとする舞に対し、ヴェノンコーヴィルは立ち塞がるように踏み出す。
「オレハナ、考エタンダ。『ナンデマケタンダ』ッテ」
ヴェノンコーヴィルは僅かに間を置き、両腕を広げて見せた。
「コレガ答エダ。コノ生キモノヲ喰ッテ、ヒトツニナッタ。オ前ト、同ジヨウニ」
「何だって……」〈何だと……〉
そう呟いてから、舞とウィリアムは、ちらりと宇田川を見た。苦悶と困惑がない交ぜになった表情で、舞とヴェノンコーヴィルを交互に見ていた。
そんな事はお構いなしに、ヴェノンコーヴィルは語る。
「コノカラダハ、イイナ。コノホシデ喰ッタ、ドノ生キモノヨリモ、イイ。カリヤスイダケノ、カトウドウブツデハナイラシイ」
そう言った瞬間、舞はハッとした表情で周囲の気絶している人々を見た。
そうして、男性に激突した時に感じた違和感の正体に気付いた。
それは、何度も感じた『命の臭い』。
「まさか、倒れている人達は、お前が呼び寄せようと……」
「……セイカイ、ダ」
ヴェノンコーヴィルは、顔を左右非対称に歪めて笑い、
「ダガ、カラダヲ作ルニハ、コレヒトツダケデヨカッタ。ソシテ、」
ぎこちない動きで、右手で舞を指差す。
「コノスガタニナッタトキ、オ前ガドコニイルカ、ワカッタ。ダカラ、ココニキタ」
「何?」
聞き返した舞を見て、ヴェノンコーヴィルは首を傾げた。
「オ前ハチガウヨウダナ? 寧ロ逆ダ」
「…………」〈……………〉
「フン。ズボシ、カ」
舞は真偽を答えず、強い口調で問い詰める。
「……目的は、何?」
「モクテキ? オ前ハジャマダ。イイカゲン、腹ガタツ。ダカラ、」
ヴェノンコーヴィルの身体が青く淡く輝き、異音を響かせ変形を始めた。
皮膚を甲虫の外骨格のような硬質の鱗が覆う。
骨格が曲がって猫背になり、頭がせり出す。全身の筋肉が肥大化する。ベルトが弾ける音がした。
衣服が邪魔になったのか、脱皮するかのように引き裂いた。
顔の輪郭が歪む。口が耳元まで裂け、歯が牙に変わる。目だけは人間そのまま。
ヴェノンコーヴィルが、人間とも昆虫とも爬虫類ともつかない、異形の怪物へ変貌した!
「オ前ヲ先ニ、コロシテヤル!」
次の瞬間、ヴェノンコーヴィルは舞との距離を一瞬で詰め、首を掴み上げた。
「がっ⁉」
抵抗させる間もなく、ヴェノンコーヴィルは軽々と舞を放り投げた。
その落下地点に、宇田川のパトカーがあった。
「──ぁっ⁉」
舞は咄嗟に両腕で顔を覆った。そのまま、パトカーのフロントガラスに叩き付けられる。
ガラスが砕け散り、車内に上半身を突っ込んだ。
「う、ぁ……っ」
〈マ、イ……しっかり……!〉
辛うじて致命傷はなかったが、すぐには動けなかった。
「ハハ……」
ヴェノンコーヴィルは口の右端を吊り上げて笑い、パトカーへと歩き始めた。
「……や、止めろ……!」
宇田川がヴェノンコーヴィルの足にしがみついた。
ヴェノンコーヴィルは、鬱陶しそうに足で払い除けた。
「ぐ……!」
宇田川は拳銃を構え、同時に発砲した。
銃弾が、ヴェノンコーヴィルの右の眼窩に命中した。
「グ、オ……」
後退ったヴェノンコーヴィルに、続けて発砲。最後の一発。
眼窩の命中箇所に、寸分違わず突き刺さった。
「ガッ……」
ヴェノンコーヴィルは上半身を仰け反らせ、二、三歩と後退った。
だが、倒れなかった。
「ク、ハッハッハハッハッハ……」
乾ききった笑い声が、ヴェノンコーヴィルの口から零れ出した。
アスファルトの地面に、潰れた弾頭が二つ転がった。
上半身を元に戻す。右目は再生していなかった。
「……オマエカラサキニコロシテヤロウカ!」
ヴェノンコーヴィルが、咆哮するように宇田川へ言葉を浴びせかけた。
「────!」
その瞬間、舞が目を見開いた。
パトカーからずるりと抜け出し、転がるように地面に落ち、上体を起こした。
その瞬間、ヴェノンコーヴィルが宇田川に襲い掛かろうとする光景が目に飛び込んできた。
「──止めろおおおおおおおおおぉぉぉぉぉっ!」
舞の両目が赤く輝く。立ち上がる中、胸に赤い光が灯り、全身に駆け巡る。
走り出した舞の全身が、青い光に包まれた。
舞は地に沿うように鋭く跳んだ。光の中で蹴りの体勢を取り、ヴェノンコーヴィルに突撃した。
舞は飛び蹴りをヴェノンコーヴィルの左肩に命中させ、前方五メートルへ吹き飛ばした。
「な……?」
突然目の前が眩しくなり、宇田川は目を細めた。
一瞬強まった光が収まる。
そこには、異形の怪物がいた。
全身が、鈍い銀色の金属質な皮膚で覆われている。
身体の各部にある鉱石状の器官が、暖かな青い光を零している。
振り向いた顔には、銀色に光り輝くキャノピー状の両目。
「俺を、助けた……?」
銀色の怪物──舞はその問いに答えず、ヴェノンコーヴィルに向き直った。
ヴェノンコーヴィルは既に立ち上がっていた。
舞は一歩踏み出すと、腰を浅く落とした。
それと同時に、ヴェノンコーヴィルが走り出した。
〈行くぞっ!〉
「──はっ!」
舞は短く息を吐き、同じように走り出した。
二体の怪物が激突し、組み合う。
舞が左足でヴェノンコーヴィルの脇腹を蹴り飛ばした。
組み合った腕の力が緩んだ。その隙を突いて、振りほどくように左アッパー、右フックを顎の左右の付け根に叩き込む。
ヴェノンコーヴィルは倒れそうになったが踏み止まり、体勢を立て直すのと同時に
「っと⁉」
舞は寸での所で回避し、上段から振り下ろされた大鎌を右腕の刃で受け止めた。続けて左手を押し当てて固定しようとしたが、
「ぐ……!」
押し下げられ始めた。前回と同じように力負けしている。
〈させないっ!〉
ウィリアムが鋭く言った。
直後、舞の右腕の刃物状の器官が青白く発光し、高熱を帯びた。
舞は左手で突き飛ばすように右腕を押し上げ、勢いを乗せて振り抜いた。
カマキリのような左腕を一息に焼き斬る。
ヴェノンコーヴィルが苦悶の声を上げ、大きく飛び退いた。
その間に、舞は体勢を整えた。
──ありがとうウィリアム!
〈ああ! これなら行ける……〉
舞は右腕を袈裟斬りに振り下ろし、光の刃を放った。
ヴェノンコーヴィルは紙一重で光の刃を回避した。
ヴェノンコーヴィルが光の刃に顔を向け、軌道を追っている事を、舞とウィリアムは見逃さなかった。
舞は走り出し、三歩で跳び上がった。光の刃を構成するエネルギーを直接叩き込むために。
だがその瞬間、ヴェノンコーヴィルの、人間でいう尾てい骨辺りの位置から尻尾が生えた。太さは丸太のようで、長さはその身長と同程度。
「っ⁉」〈しまっ……〉
ヴェノンコーヴィルはその場で回転して勢いをつけ、尻尾で空間を薙ぎ払った。
「ぐあっ!」〈がっ!〉
尻尾が舞の胴体を強かに打つ。
舞は身体がくの字に曲がり、六メートル程後方に吹き飛ばされる。受け身を取れずに地面に叩き付けられる。
「く……っ」
舞が立ち上がろうとした瞬間、ヴェノンコーヴィルが覆い被さってきた。
「な⁉」
ヴェノンコーヴィルは舞の四肢を押さえつけると、顔を醜悪に歪めて笑った。
直後、ノコギリクワガタの大顎のような器官が、ヴェノンコーヴィルのこめかみの辺りを突き破って生えてきた。
舞とウィリアムがそれが何か考えるよりも早く、ヴェノンコーヴィルは大顎のような器官を首に突き立ててきた。
「うあっ、が……⁉」
舞は、身体から何かが抜き取られるような異様な感覚に襲われた。
見ると、大顎のような器官を通って、光がヴェノンコーヴィルに向かっているのが見えた。
身体を満たす光が吸収されている。
〈く、舞!〉
焦ったウィリアムが呼びかけるが、舞は過呼吸──パニックを起こしていた。
〈まずい……舞、ごめん!〉
ウィリアムはそう言うと、身体の主導権を無理矢理交代した。
銀色の眼が黄色く変わる。同時に拘束している腕を押し上げ、それを巻き込むようにして大顎(仮称)を掴み、強引に引き抜いた。
「〈ううう、うおおおおおおっ‼〉」
右顎を押し上げ、左顎を下に引き下げてへし折った。
「グオオオオオオオオオオオオオ⁉」
ヴェノンコーヴィルが悲鳴を上げ、上体を反らした。脚を抑えている力が抜けた。
その隙を突いて、足を身体の隙間に差し込んで蹴り飛ばした。
ウィリアムは後転して距離を稼ぎ、片膝立ちになって止まった。身体の主導権を舞に返却する。
恐怖に駆られた様子で、舞が首を両手で触る。
〈舞落ち着いて、もう大丈夫だから!〉
舞が掌を見ると、そこには何も付いていなかった。傷は塞がっているらしい。
「あ……」
〈ね?〉
舞は無言のまま頷いた。
「──ハハ、ヤルジャネエカ……」
ヴェノンコーヴィルがゆらりと立ち上がった。
「ダガ、オソカッタナ」
そう言いながら、ぴちゃぴちゃと口を鳴らせた。まるで、何かを味わうかのように。
「……キタ……」
瞬間、ヴェノンコーヴィルが凶悪な笑みを浮かべ、口からバスケットボール大の青白い光弾を吐いた。
「⁉」〈⁉〉
舞は咄嗟に右に転がり、飛んできた光弾を回避した。
寸前まで舞がいた場所に光弾が激突し、爆発した。
「今のは……⁉」
「コレデ、オマエトオナジダ」
「っ!」
舞は息を吞み、左手で大顎(仮称)が突き立てられた場所を触った。
「ハッ、カンガイイナ」
舞が立ち上がろうとしたが、力が上手く入らなかった。
金属質の皮膚が朽ち始め、発光器官が明滅を始めた。限界が迫っていた。
「っ……」
「……ア?」
それを見て、ヴェノンコーヴィルが怪訝そうに声を漏らした。
「オマエ……カンゼンニハクッテイナイノカ?」
「……何?」
「ハハッ、ツゴウガイイナ。ジャア──」
ヴェノンコーヴィルの右腕が、青白く発光する。
「──オマエノチカラデ、コロシテヤル!」
〈あれは⁉〉
「──!」
それを見た瞬間、舞は右腕の皮膚を全てパージし、自身の光をそこに集約した。
強い輝きを放つ右腕で拳を作り、何とか立ち上がる。悟られないように、慎重に呼吸を整えた。
ヴェノンコーヴィルが吼え、滑空するように走り出した。右の拳を振りかぶっている。
「! うおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ‼」
舞は自分を鼓舞するように叫び、同じように走り出した。
互いの
正反対の軌道を描く二つの拳が激突する。行き場を失った同質のエネルギーが全方位へ拡散し、激突の余波で周囲のガラスが砕け、建物に罅が入った。
舞とヴェノンコーヴィルは、正反対の方向に吹き飛ばされた。地面を十数メートル転がり、どうにか止まった。
「ぐ、あ……」
舞は、すぐに立ち上がろうとした。激突時のダメージは既に引いていたが、それでも立てなかった。
「フ、ハハ……ヒキワケ、カ。イマハ、コノクライ、ニ、シテヤル……」
ヴェノンコーヴィルは捨て台詞を吐き、這うように逃げていった。
「待、……ぇ」
舞は、力なく崩れ落ちた。変身が解けてしまった。
〈く……〉
「うぅ……あ」
霞む視界の中に、宇田川の姿を捉えた。
「宇田川、刑事……」
舞は、匍匐前進をするようにして、宇田川の側まで行った。
おぼつかない手取りで、無事か確認する。気絶しているだけに見えた。
舞は上体を起こすと、塀にもたれかかった。助けを呼ぶ余裕は、残っていない。
「……………」〈……………〉
舞はとウィリアムは疲弊しきっていて、これ以上何も考えられなかった。
遠くからサイレンが、何種類か聞こえてきた。
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