part3 ボロが出そう

 翌朝。


 いつもより早く起きた舞は、険しい表情をして、姿見の前に立っていた。


「…………」


 舞は腕の外側に巻いた湿布に指をかけると、一息に引き剝がした。

 青あざは、きれいさっぱり無くなっていた。

 腕の内側の湿布も剥がしたが、まるで最初から怪我をしていないように、色白の肌が見えた。


「治ってる……痛くない……」


 思いっきり掴んだり叩いたりしたが、飛び跳ねる程の激痛が走る事はなかった。


「ウィリアム、あなた本当に何もしてないの?」

〈していないよ。本当に、何も。……でも、〉

「でも?」


 ウィリアムは、悩み抜いた末に推測を伝えた。


〈この治り方は、まるで、僕と同じようで……〉

「この状態の副作用とか?」

〈……可能性はある〉


 ウィリアムは深刻な様子で言ったのだが、


「そっか……転んだ後とか、便利そうだね」


 舞の反応は、至極明るいものだった。そのまま姿見から離れ、ごみ箱に湿布を放り込む。


〈えっ?〉

「あ、学校休みなんだ。へー」


 舞は、丁度スマートフォンに送られてきたたばかりのメールを読んで呟いた。


〈い、いやいや⁉ 軽く流していいのか⁉〉

「ん……だって、解決方法が判んないし、誰に相談するのって話だし」

〈そうだけども〉

「これで変身した格好に近付いてるなら流石に心配するんだけどね」


 舞は自分の体を見下ろして言った。見た目は五体満足の人間と変わりなかった。


「悩みすぎるとハゲるよ?」

〈元々体毛ないよ……〉

「まあ、やるべき事は終わったんだし。なるようになれってね~」


 舞はそう言いながら、朝食を食べるために一階へ降りていく。


〈……心配だなあ……〉




§




 午前十時頃。


 小腹が空いた椋子は、おやつを買いに近所のコンビニエンスストアに来ていた。


「お金は……大丈夫だよな」


 店の出入り口の脇で、そんな事をぼやいた。『今週やるべき事』のために使うお金はまだ残っているが、どうしても懐が寒い。

コンビニエンスストアの中に入る。


「あ」

「お」


 コンビニエンスストアの中に、客は一人しかいなかった。

 椋子の気が置けない友人の一人、舞だ。肌寒いのか、薄い長袖のシャツを羽織っている。


「おはよう、椋」

「おはよ……こんにちは? どっちだ?」

「あー、微妙な時間だよね」


 舞は、軽く肩を竦めて答えた。その右手には、ラムネ(注:タブレット菓子でなく飲料の方)が握られていた。


「む、ラムネか」

「これ、ビンなの。珍しいよね」

「あら本当。……うん、アタシもこれにすっか」

「何買いに来たの?」

「アイス。クレープのやつ」


 椋子はアイスの冷凍ショーケースを指しながら言って、


「……だったんだけど、気が変わった」


 舞と同じ瓶ラムネを手に取った。


「いいの?」

「これと何か適当にお菓子でいいかなって」

「そっか。じゃ、先お金払ってくる」

「おう」


 舞がレジに向かうのを見て、椋子はお菓子コーナーに向かった。


「……ん?」


 途中、椋子は何か引っかかりを覚えたが、


「何だろ」


 その理由に検討がつかなかった。

 とりあえずと、Lサイズのポテトチップスからコンソメ味を手に取り、レジに向かった。



 椋子が会計を済ませて外に出ると、舞が瓶ラムネを見ながら立っていた。


「待っててくれたの?」

「うん」


 舞はおもむろに瓶ラムネのキャップのフィルムを剥がし、ラムネ開けを押し込んだ。


「あ、んじゃアタシも」


 椋子はビニール袋から瓶ラムネを取り出し、舞と同じようにして開封した。


 何口か飲んでから、椋子は舞に話しかけた。


「舞ちゃんさ、心咲ちゃんと連絡ついた? 電話したんだけど出なくて」

「あー……」


 舞はラムネを一口飲んで、口を湿らせた。


「何かね、RTAの録画やるって言ってた。丸一日かかるから連絡出来ないんだって」

「ああ、昨日言ってたね。新チャートが試せなかったーって」

「それらしいよ? 何か、レギュレーションの都合でスキップ不可のイベント中だから、たまたま電話に出れたとか何とか……」

「そっかぁ……」


 椋子の頭には、前に一度見た、『再走レベルのミスを犯して悶絶する心咲』が浮かんでいた。

 そんな状態を知ってか知らずか、舞が話し続ける。


「凄いよねえ、心咲。あれで最新のゲームも追えてるんだから。私には出来ないなあ……」

「アタシもちょっと厳しいな……他の事にお金使っちゃう」


 椋子はぼやきながら、人差し指で瓶を弾いた。加減を間違えたらしく、爪に鈍痛が走る。


「痛ぇ……」

「大丈夫?」

「たぶん。しばらくしたら痛み引くだろうし……」


 自分で感じ、口に出した『痛み』で、椋子は昨日の事を思い出した。


「そうだ、舞ちゃん右腕大丈夫?」

「えっ?」


 舞は右の二の腕を庇う素振りを見せた。


「いやさ、アタシ、思いっきり叩いちゃったじゃない、二の腕。……ごめん、ちゃんと謝ってなかった」


 椋子は舞に向き直って、頭を下げた。


「だ、大丈夫よ。気にしないで。顔を上げて、ね?」

「わ、分かった。……物持つ時とか、遠慮しないでね?」

「……うん」


 椋子はラムネを飲んで、口の中を洗い流した。


「……舞ちゃんは、バケモノの事はどう思う?」

「どっち……じゃない、どれの事?」

「全部」

「全部かぁ……」


 舞は少し考えて、


「……分からない、かな。危険だ、とは思うけど」

「そっか……。ホントは、何か知ってる──」


そこまで言った瞬間、舞が凄まじい速度で椋子を見た。


「──事、ある? って、聞きたかったんだけど」

「お、おう」

「悪い、紛らわしかった」

「いや、こっちも過剰反応……」


 椋子と舞は、互いに気まずそうにしながら言った。


 ややあって、椋子が続ける。


「調べようがなくてさ。怪奇現象も、怪物騒ぎも」

「そう……だね」

「こういう時さ、フィクションだと変な小説とか古文書とか、ネットの掲示板とかにヒントがあって、そこから真相に一気に近付くとか、あるじゃない?」

「あるね」

「そう上手くはいかないみたいでさ……」

「ああ……」

「んだから……八方ふさがり」


 椋子は、溜め息交じりに言った。

 舞はラムネを飲み、一言呟く。


「そっか」

「……何か安心してない?」

「え⁉」

「いや、口調よ」

「あ……え、そう聞こえた?」

「うん。……やっぱりさ、ここ最近の怪奇現象とか、バケモノとかの話題、避けさせようとしてない?」

「どうして?」


 理由を聞いた舞の目が、僅かに泳いでいるように見えた。


「何ていうか、言葉を選ぼうとして、難しくなっちゃって、相槌だけしてる、みたいな気がして」

「……気のせい、だよ」


 舞は、念を押すように、或いは言い聞かせるように言った。それから、ラムネを残りを一息に飲み干すと、空き瓶を持ったまま歩き出した。


「あ、ちょ……」


 椋子が呼び止めようとした瞬間、


「⁉」


 舞の姿が異形の──依然行方をくらましている銀色の怪人に変わった。

 椋子が瞬きをした瞬間、舞は元の姿に戻った。


 ふと、舞が立ち止まった。振り向いて、椋子を見る。


「……? どうした?」

「い、いや……何でもない、たぶん」

「たぶん、って……変なの」


 舞は笑いながら言うと、小さく手を振った。


「じゃ、またね」

「あ、おう……じゃあね」


 舞はニコリと笑うと、どこかへと去っていった。角を曲がって姿が見えなくなるまで、異形の姿に変わる事はなかった。


「……疲れてるのかな、アタシ」


 椋子は、ラムネ玉を見つめて独りごちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る