第三章 溶け合う姿

part1 再開の安堵

 『巨大な爬虫類が駐車場から落ちたパトカーから出てきて、警察官を食べた』。

 『巨大な爬虫類と、昨晩街中に出没した銀色の怪人が戦っている』。


 通報を受け、冰山警察署警備課に所属する宇田川うだがわ おさむ警部補は、同じく警備課所属の警官隊や、地元の猟友会と共に現場に向かった。


 宇田川達を待っていたのは、巨大かつ異形な爬虫類と、鉄隕石を彷彿とさせる銀色の怪人。そして、凄絶な闘争のごく一部だった。


 爬虫類に捕食されそうになった銀色の怪物が、右腕を一際強く輝かせた。

 銀色の怪物はその拳を爬虫類に打ち付け──どういう原理かは不明だが──、木端微塵に打ち砕いたのだ。

 そして、そのまま逃走した。人間には目もくれずに。


「……何故逃げたんだ……」


 宇田川は、バラバラになった爬虫類の残骸を見ながら呟いた。

 その場の誰も、回答出来ない疑問だった。それは分かり切っていたので、答えを求める目的で口に出した訳ではなかった。


 暫くしてから、誰かが無線で連絡を始めた。救急車も呼び始めたらしい。


 宇田川は拳銃を肩に吊ったホルスターに納め、周囲を見渡した。


 どこを見ても、爆発の衝撃で砕け散ったガラスが散乱している。

 複合商業施設のショーウィンドウが、見るも無惨に破壊されていた。

 放棄されたタクシーが、上半分が抉られる形で大破していた。

 歩行者用信号機の柱が、根元からへし折られていた。

 タクシーと信号機の先には、テナントが入っていないビルがあった。爬虫類が飛び出してきた、あのビルだ。


「……ん?」


 そうして周囲の情報を整理する内、宇田川は街路樹の根本に何かが落ちているのを見つけた。


「これは、ペンケースか……?」


 何の変哲もない、紺色の布製の筆箱だったが、宇田川には、それが妙に気になった。

 その理由を考えながら立ち上がると、


「ん……?」


 女子中学生、だろうか。亜麻色のショートカットと、茶髪のセミロングの二人組。

 ショートカットの方が持っているリュックサックを見ながら、何か話し合っているようだった。

 遺留品ならば触って欲しくなかった。まだ規制を張り終えていないようなので、仕方がないと言えばそうなのだが。


 宇田川はそれを伝えるため、二人を呼び止める事にした。




§




 ヴェノンコーヴィル爆散から、十五秒後。


 ヴェノンコーヴィルを爆殺した舞は、限界が迫る中、凄まじい速度で走り続けていた。

 路地裏を抜け、大通りを突っ切り、神社を通り抜けて再び路地裏に入った。


「ウィリアムまだなのぉ⁉」

〈もう少し──よし、人がいない! ゆっくり減速!〉

「~~~~~~っ‼」


 舞は形容しがたい悲鳴を上げながら、踵で急ブレーキをかけた。

 減速が始まった瞬間、鈍い銀色の皮膚が完全に崩れ落ち、舞は変身前の姿に戻ってしまった。

 舞は変身解除の反動で、バランスを大きく崩した。


「うわあっ⁉」


 一度大きく飛び跳ね、着地出来ず、地面を盛大に転がった。受け身の取り方は、知らなかった。


「う……あ、痛たた……」

〈うう……ゆっくりって言ったじゃないか……〉


 舞とウィリアムは、呻きながら言い合う。


「しようとしたよ……時間切れのが先だっただけ」

〈そ、そうか、ごめん……。お疲れ様、舞〉

「ふ、ふふ……そりゃどうも」


 舞は、力なく笑った。体力が殆ど残っていなかったのだ。

 舞は肩の力を抜くように息を吐き、疲れを帯びた真剣な表情になった。


「……死ぬかと思った」

〈そう、だね……〉

「あのさ、生きてるよね? 私達」

〈勿論〉

「ウィリアムと一緒に、この世そっくりなあの世まで駆け抜けちゃったとか、ないよね?」

〈……ないはず〉

「『はず』かあ。生きてる方にハイパーインフレ時のジンバブエドル」


 舞はあまり面白くない冗談を言い、建物に切り取られた青空を眺めた。ウィリアムもそれに倣う。


 暫く経って、そろそろ立ち上がろうか、そう考え始めた時だった。


「あ」


 舞が、何か思い出したような声を出した。


〈ん、どうかしたの?〉

「リュック」


 舞の顔色が、豪雨で増水した川のように悪くなっていく。


〈えっと、どうしたの?〉

「置いてきちゃった。さっきの場所に」

「えっ」


 舞はよろよろと立ち上がると、制服を軽く叩いて砂埃を落とした。

 深呼吸を行い、深刻そうな表情で歩き始める。


「取り、行かなきゃ」

〈え、今から⁉〉

「今から。警察に拾われてれば御の字。置き引きされてなきゃいい……」

〈大丈夫かなあ〉


 ふらふら、よろよろと歩く舞を見て、ウィリアムが心配そうに呟いた。


「大丈夫なように、何にでもいいからお祈りしていて」

〈えぇ……〉




§




「──君達、ちょっといいかな?」


 誰かに呼び掛けられ、セミロングとショートカットの二人組み──心咲と椋子は、身体がビクリと跳ねた。

 声の聞こえた方向を見ると、二十代中頃の男性が、こちらに近付いてきているのが見えた。


「こ、こんにちは!」

「……ちわっす」


 心咲と椋子は、まるで先制攻撃するかのように挨拶をした。

 男性も、挨拶を返してきた。


「今日は、冰山警察署の宇田川というものです」

「初めまして。かわ 椋子りょうこっす」

「え、椋ちゃん、これ名乗るの?」

「アイサツは返さないと」

「そ、そう。えっと、水野みずの さきです」

「……その、ここで何をしているんだ?」

「あ、あのこれ……友達のなんです」


 心咲が、椋子の持つリュックサックを指差して言う。


「友達? 君が落とした物か?」


 男性──宇田川は、椋子を見て問う。


「いや、アタシんじゃなくて、もう一人いるんですけど……肩までの長さの黒髪で、心咲ちゃんより背が高くて、アタシより少し背が低いくらいの……見かけませんでしたか?」

「一緒にバケモノから逃げてる途中で、はぐれちゃったみたいで……」

「……いや……」


 宇田川は、どこか申し訳なさそうに首を振った。


 心咲と椋子の表情が、みるみるうちに雲っていく。


「そう、ですか……」

「……まさか、食べられちゃったんじゃ……」


 最悪の可能性に行き付き、心咲が泣きそうになりながら言った。

 それを見た椋子が、慌てた様子で宥めようとする。


「い、いやいや! だってほら、これに血とか全然付いてないし! つか、舞ちゃんに限ってそんなヘマしないでしょ? ……たぶん」

「そこは言い切ってよ!」

「お、落ち着いて……」


 宇田川が言い争うを止めようとした、その時だった。


「──い、おーい! おーい!」


 遠くから、誰かを呼ぶ声が聞こえてきた。

 声が聞こえた方へ振り向くと、心咲と椋子と同じような制服を着た少女がいた。肩までの長さの黒髪を揺らして、小走りでこちらに向かって来ている。


「舞ちゃん!」「舞ちゃん⁉」


 宇田川が何か聞く間もなく、心咲と椋子は舞に駆け寄った。



「や、ごめんごめん。リュック落としちゃって、つい拾おうとしたら人の濁流に飲まれちゃって……走ってきた方あっちに行くしかなかったていうか……その、ごめんね?」


 心咲は何も言わずに、舞の胸に飛び込んだ。


「わ……」

「……ばか」


 舞の胸に顔を埋めたまま、心咲が続ける。


「もう会えないって思ったんだよ……」

「……ごめんなさい」


 舞は力なく謝り、心咲の頭を、恐る恐る撫でた。

 心咲が顔を上げると、涙と鼻水で顔が大変な事になっていた。ついでに舞の制服も。


「あ、ほら。涙に鼻水」

「ん、ありがと……」


 心咲は、舞が差し出したティッシュで鼻をかんだ。別のティッシュで涙を拭いてもらった。


「全く、逃げようって背中押したヤツがはぐれてどうするのよって」


 椋子はこの場を少し和ませようと、軽口を叩きながら舞の右の二の腕を叩いたのだが、


「痛ったあぁ⁉」


 舞は二の腕を叩かれた瞬間、悲鳴を上げて飛び跳ねた。

 その場にいる全員が振り向く程大きな声だった。


 一番困惑していたのは、本気で叩いていないのにも関わらずそんな反応をされた椋子だった。


「え、何⁉」

「ちょ、椋ちゃん、どんだけ強く叩いたの⁉ 骨折るくらい⁉」

「ンな訳あるか⁉ あるよね⁉」


 椋子が見ると、舞は、二の腕を押さえてその場にしゃがみ込んでいた。


「痛ぅ……」

「ちょ、本当に大丈夫だよね? ね?」

「う、うん……大丈夫。ぶつけた所にクリティカルヒットしただけ……」


 舞はそう言って、ゆっくりと立ち上がった。


「でも……」

「心咲、本当に。本当に大丈夫だから」

「そ、そう……?」

「うん」

「あ、そうだ。舞ちゃん、これでしょ? 落としたリュック」

「あ、そうだ忘れてた! 拾ってくれてたんだね」

「どういたしまして」


 舞がリュックサックを受け取ったのを見て、宇田川が椋子に質問する。


「……ええと、この娘が、君達の友達か?」

「あ、はい。そうです」

「ん……あーっ⁉」


 宇田川の顔を見て、舞が急に叫んだ。


「な、何だ急に⁉」

「あなた! 昨日の刑事さん! あとその筆箱、それ私のです!」

「昨日の……?」


 宇田川は舞に筆箱を渡しながら、昨日の事を思い出す。

 記憶の最後の方、パトカーの応援要請を受けて住宅街へ向かった際、舞と出会っていた事を思い出した。


「ああ、昨日の夜、散歩していた」

「そうです、それです!」

「そうか、無事だったのか……」


 宇田川が、安堵した様子で言った。

 舞と宇田川を交互に見て、心咲が舞に聞く。


「知り合い?」

「知り合いっていうか……昨日職質されて、顔見知りというか」

「初耳なんだけど」

「うん、言うほどでもないかなって」

「何それ……ふふ、何それぇ~」


 心咲は思わず吹き出し、舞を小突くふりをして誤魔化した。

 舞と椋子はそれにつられて、安堵の籠った笑みを見せた。

 そんな三人の様子を見て、宇田川が言いにくそうに切り出した。


「あー、その、何だ。事件当時の状況を聞いてもいいかな?」

「ええ、お巡りさん、このタイミングで聞くんですかぁ? 高くつきますよぉ?」

「こら、椋」

「料金制なのか?」


 舞が軽く注意したが、宇田川は至って真面目な顔で懐から財布を出した。


「ちょ、刑事さん⁉」

「お、ジョークってものが解ってるじゃないですかあ! ふふふ、勿論タダですよ。何回でも」

「そうなのか」


 宇田川は財布をしまった。


「あの、すいません、こういうヤツなんです……」


 舞は、物凄く気まずそうに謝った。


「む、シツレイな! あ、聞かれた事はちゃんと真面目に答えますよ? ねえ?」

「そりゃ、ね」「うん」

「そうしてもらえると、こちらとしてもありがたい。じゃあ、まずは──」


 舞、心咲、椋子は、宣言通り、宇田川の事情聴取に至極真面目に答え始めた。



 その場にいる、誰もが気付かなかった。


 爆散した『宇宙怪獣 ヴェノンコーヴィル』の残骸。その一部が仄暗く青い明滅を繰り返していた事を。

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