part6 勇気の光

 トカゲにもヤモリにもイモリにも見える、ハイイログマの最大級個体のような体格を持つ異形の爬虫類。


 明らかな非日常異常が、日常パトカーと共に落ちてきた。


「何、あれ……?」

「怪獣かよ……」


 心咲と椋子が、それぞれ呆然と呟く。


 白紙に一点だけある黒点のような非日常に、その場の殆どの人物が正しい対応を取れなかった。


──ウィリアム、あれもヴェノンコーヴィル⁉

〈ああ、そうだ。……今度は爬虫類か……〉

──でも、あれだけの大きさになる数を、どうやって騒ぎを起こさずに……

〈っ⁉ 舞、駄目だ見るな!〉


 ウィリアムの忠告は、一足遅かった。遅すぎた。


 異形の爬虫類──ヴェノンコーヴィルは、パトカーだった物を振るい落とした。

 ヴェノンコーヴィルの下に、若い警官が倒れているのが見えた。

 昨日の夜中、舞が変身中に遭遇したパトカーに乗っていた二人の警官の片割れだ。


 ヴェノンコーヴィルは警官の頭を踏みつけ、腹部に食らいついた。


「う、ぎゃああああああああああああああああああああああ⁉」


 若い警官の絶叫が、ビルの谷間に響き渡り、少ししてそれは収まった。

 内臓を食い千切られた警官は、そのショックで即死してしまった。


 ヴェノンコーヴィルは、警官の死体を乱暴に千切り、腹に納めていった。


 あまりの光景に、舞は言葉が出なかった。

 心咲は青ざめ、両手で口を覆った。

 椋子はあまりの惨事に、思わず目を逸らした。


 ヴェノンコーヴィルは身体の向きを変えると、周囲の人間を品定めしながら悠々と歩き出した。


〈っ、舞! 動いてくれ!〉

「…………」


 身体が上手く動かない。視界が歪む。意識が遠くなる。


〈舞! しっかりして!〉


 ウィリアムが呼んでいる。誰かの悲鳴が聞こえる。

 でも、頭が上手く働かない。


〈舞……、君の友達を守るんだ!〉


 その声を聞いて、舞は目を見開き、我に返った。

 友達は、すぐ側で立ち竦んでいた。


 沢山の人が舞達のいる方向に走ってきている。ヴェノンコーヴィルから逃げ惑っている。


「──人が来る! 急いで! あっち!」


 舞は心咲と椋子の肩を叩き、背中を押して人の波から逃げるように走り出した。

 程無くして、心咲と椋子は補助なしでも走るようになっていた。


 舞は頃合いを見計らって、踵を返し、全速力で走り出した。

 狂乱する人波に突入し、すり抜け、搔き分け、怪獣の下へ走る。


 波の向こう、STELLA(注:ステラ。複合商業施設)の目の前の車道。そこに、怪獣はまだいた。次の獲物──女性を捕獲したところだった。


「っ──!」


 舞は咄嗟に、リュックサックから筆箱を引っ張り出し、ヴェノンコーヴィルに投げつけた。


 筆箱が左後ろ足の付け根に当たったヴェノンコーヴィルは、ゆっくりと振り向いた。獲物を押さえていた前足がずらされた。


 女性は立ち上がると、慌てて逃げていった。


 怪獣の大地を切り裂くような咆哮が、幼い少女に浴びせられる。


「…………‼」


 舞の全身が、青く暖かな光に包まれる。


〈舞!〉


 舞は力強く頷き、静かに深呼吸を始めた。


 若い警官の最期が、脳裏によぎる。

 見えていないだけで、助けられなかった人が他にもいるのかもしれないと、考えてしまう。


──でも。


 美術館で、寸での所で助ける事が出来た男の人がいた。あそこには、他にも大勢の人がいた。

 今だってそうだ。女の人、助ける事が出来たじゃないか。


──出来るはずだ、同じように!


 青い光の向こうで、舞の瞳が赤く輝く。


「う、おおおおおおおおおおぉぉぉおおぁぁぁぁぁあああああああああっっっ!」


 怪獣の咆哮を押し返すように、己を奮い立たせるように、舞が吼える。


 舞の胸に、赤い光が生まれた。

 赤い光が輝きを増しながら、全身に駆け巡り、舞の姿が変わっていく。


 青い光が一瞬強くなり、そして収まった。


 隕鉄のような鈍い銀色に輝く、金属質の皮膚。

 身体の各部から青い光を零す、鉱石状の発光器官。

 銀色に光り輝く、キャノピー状の大きな両目。


 青と赤の光の中から、異形の姿に変身した舞が現れた!


 舞が腰を浅く落とし、半歩踏み出して構える。


 ヴェノンコーヴィルはそれを見て、舞に向かって突進した。二秒とかからずに加速し、舞に覆いかぶさるように飛び掛かる。


「──はっ!」


 回避は間に合わないと判断した舞は、右ハイキックをヴェノンコーヴィルの首に放った。

 対物ライフルの射撃音のような轟音が世界を揺るがす。

 ヴェノンコーヴィルは一瞬よろめいたがすぐに体勢を立て直し、首を大きく振って舞に叩き付けた。


「ぐ⁉」


 舞は攻撃をまともに喰らってしまい、STELLAのショーウィンドウに激突した。ガラスが砕け散り、マネキンが倒れる。


「げほ、く、う……っ⁉」


 舞が立ち上がろうとする瞬間には、ヴェノンコーヴィルが覆い被さろうとしていた。

 咄嗟に左に転がり、どうにか回避する。ショーウィンドウが破砕される音が、舞の背後から聞こえた。


 舞は呼吸を整えながら立ち上がり、再び構える。


 ヴェノンコーヴィルはショーウィンドウから離れ、舞に向き直った。


「……うおぉっ!」


 舞とヴェノンコーヴィルは雄叫びを上げ、同時に走り出した。舞の方が一瞬早く最高速度に達し、激突した。そのまま組み付き、押し合いになる。


 数秒と経たずに、舞の身体が押され始めた。


「く……!」

〈何て膂力……!〉


 舞が押し返そうと足を踏み出すが、ヴェノンコーヴィルは微動だにしない。

 爬虫類のような顔が、勝ち誇ったように嗤ったように見えた。


──っ、一か八か……!


 舞はヴェノンコーヴィルの右前足を引き剥がし、背負うようにして懐に潜り込んだ。

 そのまま右前足を両手で掴むと、地面に引き落とすように力を込め──


「おおおおおおおりゃああああああああああああああっ!」


 渾身の力を振り絞り、強引に投げ飛ばした。


 ヴェノンコーヴィルは放棄されたタクシーの上半分を抉り、歩行者用信号機がある柱をへし折り、テナントが入っていないビルの一階に叩き込まれた。


「っ、はあっ、はぁっ……!」


 舞は肩で息をしながら、よろよろと立ち上がる。

 反撃を警戒しながら、ヴェノンコーヴィルが突っ込んだビルに踏み込もうとした、その時だった。


 戦場にパトカーとワンボックスカーが殺到し、舞とヴェノンコーヴィルを取り囲んだ。


 自動車から降りてきたのは、警官隊と、オレンジのベストと帽子を身につけた集団。


──警察と……猟友会?


 警官隊と猟友会は、各々拳銃やライフルを舞に向けた。


「え……」


 舞は呆然とする中で、警官の会話の中に、『怪物』というワードが飛び交っている事を聞き取った。


──……怪物……

〈く……まだ戦闘中なのに!〉


 舞とウィリアムが、ヴェノンコーヴィルから注意を逸らした瞬間。


 ヴェノンコーヴィルが咆哮を浴びせながら、舞に向かって突進してきた。


「しまっ⁉」〈しまった⁉〉


 ヴェノンコーヴィルは警官隊と猟友会の銃撃をものともせず、舞に向かって猛然と突進してきた。


「うわっ⁉」


 舞は回避に遅れ、ヴェノンコーヴィルの下敷きにされてしまう。

 ヴェノンコーヴィルは舞を見下ろすと、大口を開けて頭を近付けてきた。


「く⁉」


 舞はヴェノンコーヴィルの頭を受け止めたが、抑えきれずに、二の腕に嚙み付かれてしまった。


〈「う、ぐああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁっ⁉」〉


 二の腕を嚙み潰される凄まじい激痛に、舞とウィリアムが悲鳴を上げる。

 激痛に喘ぎながら、舞はヴェノンコーヴィルを蹴り飛ばし、自分の右側に押し倒した。

 ヴェノンコーヴィルの口を引き剥がしたのを感触のみで確認し、地面を転がって距離を取る。


「ぐ、う、ぅあ……が……!」


 膝立ちになって右腕を検めると、二の腕の、金属質の皮膚が嚙み潰されていた。

 その上、ヴェノンコーヴィルの唾液が強酸か強アルカリだったのか、ボロボロに腐食していた。


 直後、金属質の皮膚が朽ち始め、発光器官が明滅を始める。


〈マズイ、もう時間が!〉

「…………!」


 舞は息を呑み、ヴェノンコーヴィルを見る。

 ヴェノンコーヴィルは既に起き上がり、舞の方に悠然と向かって来ていた。

 猟友会の何人かがヴェノンコーヴィルに発砲したが、命中するとほぼ同時に弾頭が捻り出されていた。


──ウィリアム、提案。というか賭け。

〈何?〉

──こないだみたいにさ……


 早口で伝えられた提案賭けにウィリアムは、


〈……分かった、任せる!〉

──ありがとう!


 残された時間は、あと僅か。


 舞の右腕、その金属質の皮膚が、全てパージされた。結晶状の発光器官と化した素肌が剝き出しになる。

 装甲皮膚の内側で身体を満たす光が、右腕に集まっていく。変身する瞬間と同等に、光が強まる。


 舞は右手を握りしめ、迫りくる怪獣を睨む。次の一撃で、決着をつけるために。


 ヴェノンコーヴィルはそんな舞の様子を見て、雄叫びを上げた。その後ろに見える警官隊や猟友会の面々が怯む程のものだった。


 ヴェノンコーヴィルが走り出し、一瞬で舞の眼前まで迫る。回避は、不可能。


「──だあああああああああああああっ‼」


 舞は覚悟を決め、渾身の右ストレートを放った。


 右ストレートは、ヴェノンコーヴィルの顎の付け根に突き刺さった。

 舞が右腕に集約した光が怪獣の体内に流れ込み、運動エネルギーを全て逆流させ、全身を駆け巡る。


 次の瞬間。


 『宇宙怪獣 ヴェノンコーヴィル』は、悲鳴を上げる間もなく爆発四散した。


 衝撃で周囲のガラスというガラスが全て砕け散った音を聞き、舞は立ち上がろうとして、すぐに座り込んだ。


 もう一度、最後の力を振り絞って立つと、警官隊や猟友会を見た。


 何人かは割れたガラスで怪我をしているようだったが、それには構わず、走ってその場を立ち去ったのだった。

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