part3 いつもの日々の真隣に

 耳元で、スマートフォンのアラームが爆音で鳴り響いている。


「んぁ……」


 ほぼ平日の起床時間通り目覚めて抱くのは、『うるさい』という素朴な感情。

 それが、真野 舞という少女のここ最近の日常の始まりだ。


 舞は上手く持ち上がらない瞼を懸命に開き、どうにかアラームを止めた。


〈おはよう、舞〉

「う……おはよう、ウィリアム」

〈いつもより眠そうだね〉

「そりゃあ、ねえ……」


 舞は、昨日の夜、刑事(仮)に職務質問された事を思い返し、より一層くたびれた様子で続ける。


「あの時は正直、『私絶対にボロを出す。絶対に詰んだ』って思ったよね」

〈へえ、あの感覚って、そういう表現になるんだね〉

「そんな他人事たにんごとみたいに……」


 瞼が完全に持ち上がったので、舞は着替えるためにベッドから降りた。


「さて、どっちかでもいいから、留守電聞いたかな……」


 制服に着替えてからスマートフォンの通知を確認したが、


〈聞いてないみたいだね〉

「やっぱりか」


 昨日、舞は帰宅後に両親に連絡を入れたのだが、電話に出なかったのだ。

 留守電にメッセージを残したが、一晩置いた結果は御覧の通りである。


「お父さんもお母さんも、パソコンバリバリに使うのに何故かスマホは殆ど見ないんだよね……」

〈聞いてなかったんだけど、舞のご両親は今どこに?〉

「それがねぇ、よく分からないの」

〈え?〉


 ウィリアムは言葉の意味を考えたが、よく分からなかった。


〈えっと、どういう事?〉

「なんかねえ、中近東にあった幻の街──名前覚えてないんだけど──を見つけるために、文献を求めてあちこち飛び回っているらしくて……」

〈考古学者なの?〉


 舞は答え方を少し考えて、


「ん……お父さんは考古学者それで、お母さんは数学者。何でタッグ組んで調査してるか知らないけど」

〈そうなのか〉

「うん。……まあ、不安だけど連絡取れないのはいつもの事だし。とりあえず、朝ご飯にする」


 舞はスマートフォンをスカートのポケットに突っ込み、伸びをしてから階下に向かった。




§




 朝食を食べ終え、身だしなみを整えた後、舞は学校に出発した。


 舞、心咲、椋子の三人は待ち合わせせずに登校し、その途中で合流するようにしている。

 今回の場合、舞がいつもより少し早く出発したため、一人で歩く時間が長くなっているのだった。


「中々合流しないなあ……」

〈あ、舞。後ろの足元。邪魔になってる〉

「え?」


 舞が振り向いて足元を見ると、右足の踵の前でニホンカナヘビが立ち往生していた。


「わ、ごめん⁉」


 舞が右足を上げると、ニホンカナヘビはそそくさと走り去った。


「カナヘビ……」

〈えっと、左足側に右足を降ろして。そのまま足を降ろしたら、その子を踏み潰しちゃう〉

「えまた?」


 舞が聞き返した瞬間、右足の真下に、ニホントカゲが入り込んできた。


「へええ珍しい、この辺で初めて見た」


 舞は意外そうに言って、左半身になりながら右足を降ろした。

 カナヘビとニホントカゲが同じ方向に走り去っていくのを見て、


「あ、ところでさ、ウィリアムの視界ってどうなってるの?」

〈えっと、舞を中心に全周見る事が出来るよ〉

「へー、便利……」


 舞はそう言ってから、ふと左手で口を押え、すぐに離した。


「ん……ちょっと朝ご飯食べ過ぎたかもしれない」


 お腹をさすりながら、舞がひとりごちた。


〈成長期? なのだから、体重の増加とかは気にしなくていいんじゃない?〉

「ンじゃなくて……いや、そっちもちょっと気にしてるけど……単純に、食べすぎでお腹が苦しいって話」


 ウィリアムのフォローに、舞は呆れ半分に言い返した。


〈あ、そうなんだ。すまない〉

「うーん、気にしないで?」

〈……何で疑問符が付いているの?〉


 舞が答えようとした瞬間、


「おっはよぅ!」


 元気な挨拶と共に、思いっきり背中を叩かれた。


「うわ⁉」〈うお⁉〉


 舞とウィリアムは、同じように驚いた。

 舞が勢い良く振り向くと、そこには心咲がいた。さらに、後ろには椋子の姿も見えた。


「何だ心咲か……いきなり叩くの止めてよ」

「そうだぞー、結構痛そうだったぞー」


 舞の物言いに、椋子が便乗するように言う。


「えへへ、ごめんごめん」

「まったく……二人共、おはよう」

「おはよう!」「おはよ」


 それから三人は、揃って学校へ歩き始めた。

 その途中で、心咲が舞の肩を叩いた。


「舞ちゃんさ、昨日のアレ、どう思うよ?」

「アレって?」

「謎の発光現象に怪物の出没! 警察が沢山来てたでしょ!」

「あ、ああ。それか」


──当事者です、なんて口が裂けても言えないよな……


 そんな事を考える舞に向けて、心咲は続ける。


「あれだけ大騒ぎだったのに、まだテレビのニュースにはなってないんだよね。目立つのはTwitterのまとめ記事ぐらい。新聞はまだ見れてないけど、たぶん結果は似たり寄ったりかなあ」

「うーん……ニュースサイトは見た?」


 舞の質問に、心咲は首を振る。


「ううん、これから。その調子だと舞ちゃんも見てない?」

「まあね。全国ネットに載るのは時間の問題だと思う。早くて今日中かな」


 会話に一区切りついた所で、椋子が溜め息を吐いた。


「しっかし、何で学校休みになんないのかね? どう考えても猿とか熊とはワケが違うじゃない。メールすら送ってこないしさぁ」


その言葉からは、呆れの感情が滲み出ていた。


「分かる。家でゲームのRTA新チャート試したかったのに……」


 RTAとはリアルタイムアタックの略で、ゲーム開始からクリアまでの実時間までを計測するプレイスタイルだ。


 椋子は困ったように首を傾げ、


「あー……心咲ちゃんごめん、新チャート試走はちょっと分かんない……」

「えぇー?」

「心咲ごめん、私もRTA走者の気持ちはちょっと」

「そんな⁉ 舞ちゃんまで⁉」

「ま、まあまあ」


 舞が宥めるも、心咲は不服そうな態度を崩さなかった。


「ふーんだ、ふてくされてやるんだ……」

「ごめんて、心咲……スタバの新作出たらおごるから、それで勘弁して、ね?」

「舞ちゃん、食べ物で釣ろうとしないでくださーい。……忘れないでよ?」

「宇宙人に二言はないからね。忘れないし、なかった事にしないよ」


 舞の物言いを聞いて、心咲は少し考え、


「……えっと、『狙われない街』?」

「そうそれ」

「やった」


 嬉しそうにしている心咲を見て、舞と椋子も、自然と笑みがこぼれた。


「話題を戻すと、ホームルームとか全校集会とかで説明ありそうだよね」

「あー、ありそうね」

「うーん、納得のいく説明ならいいんだけど……ん」


 椋子が何かに気付いた。


「あのさ二人共、ちょっといい?」

「うん? どうしたの椋?」

「課題忘れた?」

「いやいややって来たし。忘れてないし。……だよね?」


 椋子は不安になったのか、リュックサックの中を確認し、


「あ、ほら! ちゃんと持ってきてた!」


 設問集を引っ張り出し、今日提出する分のページを開き、二人に見せつけた。提出分は完了していた。


「お、偉い!」「えらいっ」

「おうとも……ん? いや心咲ちゃん、その言い方は五分待つと……いや、そうじゃなくてだね?」

「うん」「何?」

「何かさあ、今日……やたらカナヘビ多くない?」


 舞と心咲は、顔を見合わせた。


「あ、ほら。そっちにも」


 椋子が指した先──街路樹の根本や側溝の蓋、歩道や車道の脇──にも。多くのカナヘビがいた。


「……ひょっとして……」


 椋子が考え出したのを見て、舞は、その思考を遮る。


「そうだ、私さっきニホントカゲ見たんだよね」

「本当⁉」「マジで⁉」


 案の定二人共食いついてきたのを見て、舞は頷く。


「うん、本当本当」

「写真撮った⁉」

「あ、いや……ごめん心咲、撮らなかった」

「そっか、残念……」

「次見つけたら撮るよ」

「頼むね」

「任せてよ」


 三人はそんな会話を続けながら、のんびりと登校していく。



 椋子が考えようとした事──一昨日の虫の大移動や直後の怪物騒ぎ、昨日の謎の発光現象と生き残った方の怪物の出没やカナヘビの活動に関わりがあるのか──は、宙ぶらりんになったまま、しばらく忘れられる事となった。

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