part2 地上は月夜
帰宅後。夕食に卵がふわふわのオムライスを作っている最中の事。
「ふわ…………ぁあ」
舞は、盛大な欠伸をした。
〈眠いのかい?〉
「ん……だいぶヤバイ。予定変更」
舞は欠伸しながら答え、菜箸を持ち直し、フライパンに向き直った。
先に作ったチキンライスを折り畳む前のオムレツに落とし、卵とチキンライスを混ぜる。
作りかけのオムライスを、ケチャップチャーハンに替える。
〈いいの?〉
「集中せずに作れる程動きが染みついてないから……また明日」
〈そっか〉
卵がチキンライスとまんべんなく混ざった頃合いを見計らい、皿に盛りつけた。
「…………」
〈座って、スプーンで食べなよ?〉
「分かってるよ……」
〈あと飲み物も。水飲み切ろう。コップも出す〉
「お母さんか……お気遣いどうも」
舞は若干呆れ気味に答えたが、言われた通りにコップとスプーンを出した。料理と食器一式をリビングに持っていき、テーブルの席についた。
「いただきます」
〈えっと……めしあがれ?〉
「合ってるよ」
そう答えて、舞はケチャップチャーハンを食べ始めた。
時折り水を飲みながら黙々と食べ進めていたのだが、
「…………」
ふと、舞が食べる手を止め、左手を見つめ始めた。
〈どうしたの?〉
「ウィリアム、私の五感を調整したりしてる?」
〈えっ? どういう事?〉
「いやね、ヴェノンコーヴィルと戦った時に思いっきり蹴られたじゃん?」
〈うん〉
左手を動かしながら続ける。
「あの時ね、信じられないくらい、すぐに痛みが引いたんだ」
〈ああ、あの時か……〉
「私、痛覚が疎い訳じゃないし、ウィリアムが何かしたのかなって。知らない?」
〈…………。いや、分からない〉
「そっかぁ。何でも知ってる訳じゃないか」
舞はあっけらかんとした様子で言った。
〈まあね……〉
「私もそんなだからなあ。学校の勉強と、興味のある事しか、知らない……」
言いながら、舞はうつらうつらし始め、居眠りに移行した。
そんな舞をよそに、ウィリアムは考える。
〈どう、なのだろうか〉
〈他種族との融合は、知る限り、僕が初めてだ〉
〈融合対象への影響は、どの程度あるのだろう……〉
居眠りする舞は、どこか幸せそうだ。ウィリアムの胸に──舞と一体化しているので実体はないが──、温かい感情が芽生える程に。
〈もし、何かとんでもない見落としをしてしまっていたら……ただでさえ、こんな幼い子を巻き込んでいるのに、僕は、僕は……〉
ウィリアムは考えた末に、
〈……いや。判断材料がなさすぎる事象を考えるのは、一旦止めよう。変に不安になるだけだ……舞、舞。寝るのは食べ終わってからにしよう〉
目の前の問題を解決するに留めた。
§
その後、どうにか舞は居眠りを止め、食事を終え、入浴を済ませた。
「ごめんねウィリアム、起こしてもらっちゃった……」
〈ん……礼には及ばない、でいいのかな?〉
「うーん、よりけり」
〈そうなんだ〉
途中で寝ないように会話しながら、若干覚束ない足取りで二階の舞の部屋に向かう。
「うーん、身体は限界みたいだし……少し早いけど、寝る」
〈課題? は終わってる?〉
「とっくに」
そう言いながら舞がドアを開けると、
「え……」
不気味に明滅する青い光が、外界、そして部屋の中を照らしていた。
「……何、これ」
〈舞、ヤツだ、間違いない〉
「えっ?」
舞は驚き、眠気で鈍くなっている五感に意識を集中する。
ウィリアムの言う、ヴェノンコーヴィルの『命の臭い』と呼べそうな物は感じられなかったが、その代わりに、前回感じた『殺気』を、ほんのりと感じた。
「やっぱり生きてたんだ……」
〈舞、行ける?〉
「ん……」
舞は両頬をペチリと叩いた。眠気はあまり無くならなかった。
「行けないけど行くしかないでしょ!」
〈ああ!〉
舞は胸いっぱいに息を吸い込み、
「う……」
叫ぶ寸前に、両手で口を押さえた。
〈ま、舞? どうした?〉
「いや、近所迷惑」
〈え、気にする?〉
「するよ。意外とバレるのよ、叫んだ場所とか」
〈そ、そうか……〉
「という事で静かに玄関から出て、発見してから変身って事で!」
〈了解!〉
舞は慌ただしく一階へ駆け下りた。
玄関に向かう前に、リビングを、そこに飾ってある、両親と三人で撮った写真を見る。
「…………」
〈舞?〉
「あ、うん!」
舞は我に返ると、玄関に向かって手早く靴を履いた。
「行こう!帰ったらお父さんとお母さんにちょっと電話する!」
〈それ、死亡フラグとかいうやつじゃないか?〉
「…………。それたぶん余計!」
ツッコミを入れ、舞は外に飛び出した。
§
謎の青い発光現象はしばらく経っても収まる事はなく、ついに警察に通報された。
複数の通報を受け、付近を警ら中のパトカーが現場に向かう事になった。
「全く何でこう、人の迷惑考えないんですかね」
パトカーを運転する若い警官がぼやいた。
「さあなぁ」
助手席に座る壮年の警官が、微妙そうな表情で相槌を行う。
「昨日の怪物騒ぎで、
「それ、俺に言われてもな……」
「あ……すみません」
「気持ちは分かるけどな?」
壮年の警官が苦笑する。
少し間が空いてから、若い警官が話題を変える。
「しっかし、怪物なんて本当に出たんですかね?」
「美術館の監視カメラの映像に映ってたし、SNSでも投稿されていたろ」
「ですけど……にわかには信じらんないですよ。いきなり特撮みたいな事始まるとか──」
そんな会話をしている最中だった。
突然、何かが道路に落下してきた。
「うわ⁉」「っ⁉」
若い警官が急ブレーキをかけた。
「な……」「…………」
落下物の正体は、鈍い銀色を放つ怪物だった。
怪物はその銀色に光る両目で少しの間パトカーを見つめ、警官から見て左上へ跳び去ってしまった。
「……本当だったんだ」
「……ああ……」
警官二人は、目の前で起きた出来事に呆然とするばかりだった。
それでも、壮年の警官は無線に手を伸ばす。
§
屋根を走り抜け、再び道路に着地した瞬間、舞の変身は解けてしまった。
「あ、時間切れ……? 何て逃げ足……」
舞は周囲を見渡したが、先程まで追っていたヴェノンコーヴィルの『命の臭い』がする巨大なヤモリは、どこにもいなかった。
〈……ごめん舞、見失った……〉
「いい、大丈夫。どうせ連続変身は無理だし、変身しないで倒すのもたぶん無理だし」
舞は息を整えながら言った。
〈そう、だね。……舞、やっぱり変身は三分が限度みたいだ〉
「てことは、どうやっても速攻でケリをつける感じなんだね……ょいしょ、と」
舞はふらつきながら、どうにか立ち上がった。
「さっきのパトカー、大丈夫かな」
〈いきなり車道に降りたからね。乗っている二人も相当驚いていたみたいだよ〉
「だよねえ……」
舞が走ってきた方向を振り返ると、パトカーのサイレンの数が徐々に増え始めていた。
〈どうする?〉
「何とかして、家まで帰る」
〈途中で見つかったら?〉
舞は少し考えて、
「コンビニに行く途中だった事にしたい、から、コンビニ寄りのルートで行く」
そう言って移動を始めようとして、
「あ」
赤色警告灯を乗せた覆面パトカーが曲がり角から現れ、
〈あっ〉
路肩に止まり、人が降りてきたのを発見した。してしまった。
〈……………。舞?〉
──わかってるぜんりょくでごまかすだいじょうぶ
舞はどうにか口に出さずに返した。冷静さを欠いていた。
〈う、うん。落ち着いて?〉
──りょうかい
全く落ち着く事が出来ていなかった。
覆面パトカーから降りてきたのは、二十代中頃の男性だった。
──刑事さん、かな?
根拠のない推察をしながら、舞は、先制攻撃のように挨拶を行う。
「こ、こんばんは!」
「今晩は。ちょっといいかな?」
「はい、何ですか?」
「こんな時間に何をしているんだ?」
「ええと……そう、散歩。散歩です」
「散歩?」
刑事(仮)は怪訝そうに舞を見た。
「はい。お風呂長く入ったら火照っちゃって。身体冷ましたらコンビニ行って、それで帰ろうかなって思っていたんですけど」
「……青い光が街を照らしている間も?」
「あー……はい。最初不気味だったんですけど、何か、だんだん楽しくなっちゃって」
あはは、と笑う舞に対し、刑事は険しい表情を崩さない。
「……一人で夜間に出歩くのは、あまり褒められた行動じゃないよ。見たところまだ学生のようだし、怪物騒ぎがあったばかりだろう?」
「うっ、はい、すみません」
「今だって、怪物が出現したという応援要請を受けてここに来たんだ。危ないから、君はもう帰りなさい」
「……そう、なんですね」
舞の微妙な表情の変化を、刑事(仮)は見逃さなかった。
「? どうかしたのか?」
「いえ、何でもないです。帰りますね。それじゃあ」
「あ、ちょっと待って!」
刑事(仮)に呼び止められ、舞は固まった。
どうにか身体を刑事(仮)に向け、平静を装う。
「な、何でしょうか?」
「青い光以外に、変な物を目撃しなかったか? 怪物とか、何でもいいんだ」
「…………」
舞は黙り、ややあって考える素振りを見せ、
「いいえ、見なかったです」
少し困ったような表情を浮かべて、首を振った。
「そう、か……分かった。ご協力、感謝します」
「はい。じゃあ、この辺で」
「ああ、怪物はそっちに行かなかったらしいけど、気を付けるんだぞ!」
「あ、はい! 刑事さん? も、お気を付けて!」
「ああ、ありがとう」
舞は会釈をして、足早にその場を立ち去った。
刑事(仮)には、舞の『死ぬかと思った』と言わんばかりの表情は見えず、気付く事もなかった。
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