part4 青く輝き形を変える

 一歩一歩慎重に、極力足音を立てないように前進する。


──生兵法だけど、漫画で読んだ忍者の歩き方で……


 昨日とは打って変わって、とても静かだった。

 歩みを止めると、枝葉が風に揺れて触れ合う音と、自動車やオートバイの走行音だけが聞こえてきた。


「気のせいでなければいいのだけれど……」


 舞は小声で呟いた。


〈それは困る。気のせいだと、探し直さないといけなくなる〉

「うん、急がないと……」

〈何かが向かってきたら、すぐに知らせる〉

「分かった、お願──⁉」


 そう言いかけて、舞の全身に悪寒が走った。


──まただ、凄く嫌な感じがする……いや、これは『いる』? 上手く言葉に出来ない……


〈舞、こっちも感じた。ヤツの『命の臭い』がする〉

「命の臭い……」


 舞は反芻するように呟き、気休めと察しながら鼻と口を手で覆った。


 ──歩を進める毎に、嫌な感じの『存在感』が強くなっていく。

 ──これは、警戒……いや、殺気だ。それを向けられた経験はないけど、間違いない。私は今、殺気を向けられている。いつもの『大変な事が起こる前触れいやなかんじ』とは全然違う。


 ──視覚、聴覚、触覚、嗅覚。どれもが、外界からの刺激に対して敏感になるのが解る。木漏れ日の動き。風の流れ、木々のさざめき、土の匂い。それらに紛れるように、淀んだ何かがこっちに流れてくる。


 舞が足を踏み出そうとした、その時だった。


〈舞! あっちだ!〉


 ウィリアムの声に反応し、舞は弾かれるように頭を動かした。


 その方向は、昨日、舞が心咲と椋子に「帰ろう」と提案する直前に凝視した方向と完璧に合致していた。


──ウィリアム、近付いた方がいい?

〈いや、近付くならせめて……っ⁉ 伏せて‼〉

「っ⁉」


 舞はウィリアムに促され、咄嗟に伏せた。


 刹那、世界に黒いノイズがばら撒かれた。

 発生源は舞の向かう方向、そしてその実態は、


──む、虫⁉


 それは、先程まで鳴りを潜めていた、無数の生き物だった。


 セミ、チョウ、ガ、カブトムシ、クワガタムシ、カミキリムシ、ハチ、バッタ、カマキリ、トンボ、アリ、ホタル、オサムシ、ゴミムシ、ゴキブリ、ハエ。


 ナメクジ、カタツムリ、ミミズ、ダンゴムシ、ワラジムシ、ハサミムシ、ムカデ、クモ、ザリガニ。


 あらゆる蟲がこの空間にある全てを蝕むように、走り、飛び、這い、蠢く。

 ただ一つ、舞の身体だけは、避けているように見えた。


「う……」

〈これは、まさか⁉〉


 やがて、姿


 ハエを巨大化したものを核に甲虫のような外骨格を纏い、頭部にクワガタの大顎とカブトムシの角を斜めに生やし、腕は甲虫のそれに、足はバッタのように逆くの字になっている。


 まるで、虫を部位ごとに分解し、特徴的な部品を寄せ集めたようだった。


 舞はそれを見ながら慎重に立ち上がり、僅かに後退る。


「何あれ……」

〈この周辺一帯の蟲を支配下に置いて取り込んだのか⁉〉


 怪物は腹部の先端をハサミムシのように変形させ、ミミズのように長く伸ばした。

 腹部の先端を、舞目掛けて素早く伸ばした。


「きゃあ⁉」


 舞は咄嗟に屈みながら回避し、腹部はその後ろにあった木に激突した。

 木の激突した部分が弾け、舞の右真横に倒れる。


 舞は木と怪物を交互に見て、立ち上がろうともがきながら後退る。


〈舞、立ってくれ! 変身するんだ!〉

「っ、だめ、腰が抜けて……ていうか、変身ってどうやって⁉」

〈え、ええと……っ⁉〉


 怪物が舞に近付き、首を鷲掴みにして無理矢理持ち上げた、


「かっ、あ……」〈ぐ……〉


 怪物の甲虫の足のような爪が、徐々に皮膚に食い込んでいく。

 舞の身体から、徐々に力が抜けていく。


 やがて、意識を手放しかけた、その時だった。


 突然、怪物が動きを止めたのだ。


 怪物は腹部を伸縮させて音を出しながら舞に顔を近付け、左右の複眼で交互に、舐めるように見た。

 直後、怪物は腹部の音を大きく高く変調させ、舞を乱暴に投げ捨てた。


 舞は地面を転がり、細い木に激突して止まった。

 激突した衝撃で舞とウィリアムが意識を取り戻し、盛大に咳き込んだ。


〈舞、しっかり……!〉


 舞は軽く頭を振った。


──呼吸を……だめ、整わない……! どうしよう⁉

──ちゃんと、覚悟を決めとけば良かった。

──一通り話は聞いたけど、ちゃんと理解は出来てなかったみたい……


 思考が加速していく。身体が追い付かない、上手く動かせない。


──マズイ、余計な事まで考えてたらこのまま殺され……


「────」


──殺される?

──ここで殺されたらどうなるんだ?

──このまま殺されて、死体が残るか分からないけど……残ったなら間違いなく心咲と椋が調査を始める。

──ストッパーがいないと、あの娘達はどこまでも調査をしようとする。周りの人が止めようとしても、絶対に掻い潜る。間違いない。


──あの二人なら絶対にこのバケモノに辿り着ける。でももし、もしそうなったら……!


 舞の両の瞳が、赤く光った。



 舞は全身に力を込め、何とか立ち上がった。

 呼吸は、とっくに整っていた。

 背を伸ばし、胸を張り、悠々と舞の方に歩いてきていた怪物を睨め付ける。


 その時、舞の全身が青白い光を放ち始めた。


「あ……え⁉」


 暖かい光だった。

 色は寒色な青いのに、とても暖かかった。


〈この感じは……! 舞! 今なら!〉

「!」


──変身出来る、だろうか。

──どうやれば変身出来るのか、判らない。

──たぶん、ウィリアムにとっては『元の姿に戻る』なのだろう。だから上手く教えられないんだと思う。

──でも、それでも!


「う……う、おおおおおおおおおおおおおおおおおあああああああああああっ!」


 舞は、全身全霊の雄叫びを上げた。


 胸の中央に、赤い光が芽生えた。


 怪物はその赤い光に驚いたのか、数歩後退った。


 赤い光は少しづつ輝きを強めていき、やがて枝分かれし始めた。

 首から両頬、額へ。肩から指先へ。太股から足先へ。


 赤い光を全身に張り巡らせた舞が、青い光の中で身体を変えていく。

 一瞬青い輝きが強まり、発光が収まった。


 隕鉄のような鈍い銀色に輝く硬質の皮膚。

 皮膚の各部にある隙間から見える、青い光を放つ鉱石状の発光器官。

 銀色に光り輝く、大きなキャノピー状の眼。


 光の中から現れた舞は、異形の姿に変身していた!


「あ……!」

〈やった! これで戦える……〉


 舞は驚きながら両腕を、身体を検める。そうして初めて、自分の体が変わった事に気付いた。


 不意に、怪物が金属が軋むような音を立てた。叫んでいるように聞こえた。


〈舞!〉

「……分かった!」


 舞は応え、腰を浅く落とし、半歩踏み出す。


 二体の異形が相対し、睨み合う。


 先に動き出したのは舞の方だった。


 舞は怪物の懐に飛び込み、腹部に左拳を打ち込んだ。

 怪物は効いている素振りを見せず、腕を大きく振った。


「ぐ⁉」


 舞がそれを防ぎ、大きくよろめく。


 隙を見せた瞬間、怪物はその場で跳び、両足で蹴りを浴びせてきた。


「っ!」


 舞は咄嗟に両腕で防いだが、大きく吹き飛ばされた。


「い、った……あれ?」


 蹴られた痛みはすぐに引いた。まるで、初めから無かったかのように。


「……。う、おおおお!」


 舞は叫びながら走り出した。

 一瞬で距離を詰め終えた。舞の想定を遥かに超えていた。


「っわ⁉」


 慌てて止まろうとしたが、制御が追い付かない。

 舞は咄嗟に右拳を前に突き出し、そのまま怪物に激突した。


 空気が弾け、怪物の胸部の感触が伝わった。

 怪物は吹き飛ばされたが、両手足を地面に突き立てて静止した。


 舞が追撃を試みて一歩踏み出した瞬間、怪物が突進した。


「⁉」


 舞は驚いて動きを止めてしまい、回避出来なかった。

 激突した時の速度のまま、林の外に飛び出した。組み合ったまま地面に激突し、解けるように転がった。


 舞が立ち上がり駆け出そうとしたその時、後ろから悲鳴が聞こえてきた。

 弾かれるように振り向くと、そこには人間がいた。数は十人程。


「あ……」

「マズイ!」〈まずい!〉


 二人がそう思った時には、怪物は一番近くにいた男性に飛び掛かっていた。


「うわあ⁉」


 男性は咄嗟に、両腕で自分を庇い、目を瞑った。


「…………」


 だが、いつまで待っても、衝撃も痛みも感じなかった。


「え……?」


 男性に振り下ろされた鉤爪は、間に割って入った舞が受け止めていた。


「く……!」

 受け止めた右腕が、少しづつ押し下げられていく。

 明らかに力負けしていた。舞は肩から体当たりし、続けて両足でドロップキックをお見舞いし、大きく押し戻した。


 舞は一瞬だけ男性の方を見て安否確認をし、すぐに怪物に向き直った。


 怪物は奇怪な音を立てると、両腕を自切し、すぐに再生させた。

 新しい両腕は、カマキリのそれに酷似していた。


「……!」


 舞が息を吞む。どう対処すればいいのかを考える。


 その時だった。


 舞の右腕、打製石器の刃物のようになっている部位。

 そこが青白く、ゆらりと光り始めた。


「あ、え⁉」

〈出来た……! 行ける!〉

「ウィリアム?」

〈舞、……〉


 舞はウィリアムの説明を聞き、小さく頷いた。

 舞は光る右腕を掴むと、左腰に引き絞るように構え、腰を落とした。


 それと同時に、怪物が舞に襲い掛かった。一瞬で鎌の間合いに入れられていた。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉっ‼」


 舞は雄叫びを上げながら、渾身の力を込めて右腕を振り抜いた。


 右腕の軌道に沿って光の刃が生まれ、前方へと飛翔する。

 光の刃は頭部、振り下ろされた両鎌を四つに切断し、頭部と胸部を切り離した。


「だあああああああああああああああああああああああああああああ!」


 立て続けに右腕を振り下ろした。

 生み出された光の刃は、怪物の頭部と胴体、両方を真っ二つに切断した。


 怪物は前後に分離しながらゆっくりと倒れ込み、爆発、炎上した。


 衝撃で美術館のガラスが粉々になる音を背負いながらも、舞は爆炎を凝視した。


 炎の中から、巨大なウスタビガが青い光を帯びて飛び立つのを見つけた。


「待────ぐ⁉」


 突然、舞の身体に異変が起きた。


 鉱石のような皮膚が朽ちるように崩れていく。

 発光器官の光が弱まり、明滅を繰り返す。


〈舞、駄目だ……追うのは諦めよう〉

「え、でも……」

〈今君の正体がバレるのはマズイし、たぶん今はこれが限界だ……〉

「…………」


 舞は、飛び去るウスタビガを睨みつけた。

 そうしている間にも、身体が崩れ落ちていく。


〈舞!〉

「くっ……!」


 舞はふらつきながら駆け出すと、林の中に逃げ込み、あっという間に姿を隠した。



 後には、燃え続ける怪物の残骸と、ガラスが全損した美術館。そして美術館の利用者だけが残っていた。

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