第6話 嘘をツク。

「拓海君、ランニングをしよう。」


 スパ―――――――ン!


 と襖を開いて突然旭さんが部屋に入ってきた。

 どうやらリンゴの静かに扉を開けない癖は親譲りだったようだ。

 ただ、着替えてる最中に部屋には入らないでほしい。

「これっは失敬。」

 そう言って旭さんは襖を閉める。

「……トランクス派か。」

 余計なこと言わないでもらえますか。


 という訳で、

 ぼくはジャージに着替えて谷口邸の玄関にやって来た。

 そこには同じくジャージを着た旭さんがストレッチをしていた。

「ははは、さっきはすまなかった。」

「いえ、いいですけど。」

 そう言いながらぼくはあたりを見渡す。

 そこにも目当ての人物は見つけられなかった。

「さくらさんとリンゴかな。」

 旭さんにぼくの探し人をあっさりと当てられる。

「2人なら先にランニングに出ているよ。」

 と言われた。

「ワシは拓海君と話したいこともあったし、先に行って貰たんだよ。」

「そうですか。」

 ぼくと2人で話したいこと。

 少々身構えてしまう。

「さぁ、まずは柔軟と行こう。拓海君は運動はどの程度できる。」

「学校の体育で人並みです。」

「なるほど。」

 そこで気が付く。

 学校で見せたリンゴの健脚を。

「あの、もしかして、陰陽師って足が早くないとなれないのですか。」

「うん?そんなことはないぞ。そりゃあ神仏習合の修験道なら足が資本だが。」

「いえ、リンゴってすっごく足が速いじゃないですか。」

「ああ、それなぁ。それはオヤジ、リンゴの爺さんが厳しくてな。大分しごかれてたよ。ワシも含めてな。」

「陰陽道も体力が資本ですか。」

「そこら辺んは走りながら説明してやろう。」

 朝日が昇ったばかりのまだ肌寒い時間に旭さんの手を借りてストレッチを終えた僕は、旭さんの先導でランニングに出る。

 ペ―スは緩やかだった。

「返事はいいからそのまま聞いてくれ。」

「――はい。」

「陰陽道の基本には人間を構成するものにこんはく、合わせて魂魄こんぱくというものがある。」

「――ふっ、――ふっ。」

「魂はたましいや精神エネルギーと呼ばれるものだ。」

 ぼくは走りながっらその言葉を聞く。

「対して魄とは肉体や生命エネルギーのことだ。」

 聞いたことがある。確か封神演義だったかな。

「元は中国の仙道の考え方なのだが、陰陽道ではこれをさらに掘り下げ、複雑に分解しいて考える。」

 漫画とは逆みたいだ。

 漫画ならわかりやすく単純化していく物だ。

「その中で魄についてだが、この魄は五体・六門から成り立つものとされている。五体とはそのものずばり肉体だ。そして、六門とは――――これは漫画とかで聞いたことがあるだろう、竜門チャクラと呼ばれるものだ。

 チャクラ。

 ナルトとかヨガ関係なんかで聞いたことがある。

「人間が最も鍛えやすいのは魂魄の魄の五体になる。五体とは下肢、胴、胸、腕、頭部、の5つからなるモノだ。」

「――はっ、それって、――つまり、はっ――。」

「そう筋トレだ。」

 すごいな。

 旭さん喋りながら走ってるのに息が乱れない。

「その向こうに六門があり魂があるのだ。だが、あの子は、リンゴは五体の成長が強すぎた。」

 それは?

「六門も魂も関係なしに育ってしまったリンゴは、スポーツ選手ならばよかったのだろうが、陰陽師としては大きなハンデを背負うことになってしまった。」

 式神が作れないということか。

「強すぎる五体は六門を強め魂と魄のバランスを崩す。だけなら良かったのだが。」

「トラウマってやつですか。」

「その話も聞いているか。あの子は単体で強い。弱い雑霊を引き付けるほどに。そして強い妖に狙われるほどでもある。しかしそのコントロールが上手く行ってないのだ。そのため半端な妖では式神には出来んし、自ら式神を生むには不安定と来たもんでな。正直ゆうと拓海君よりさくらさんがあの子にふさわしいと思っている。」

「ですか。」

「怒らないのか?」

「自分がそこまで強いとは思っていません。実際に今も置いてけぼりです。」

「……存外、君っていい男だな。」

「なんでそうなるんですか。」



 谷口家の前庭をぐるりと一周して玄関前に戻ると。

「せんぱーい。おはようございま~す。」

 元気なリンゴが飛びついてきて首にぶら下がってきた。

 少し大きめの黒いジャージは袖なんかが余ってしまっているのだが、胸の――――、ぶら下がっているから密着している胸だけはパツパツになっているのだ。ていうかマジ当たっているんですけどプラトニックな関係とかどこいったこれはもうBじゃないのかパイタッチと変わらんだろうてかやわらけーなお父さんも見てるんだぞさくらなに笑てるんだとめろよこのやろうって抱き着くな足を絡めえるな朝から起っちゃうだろう。

「先輩朝から元気ですね。」

「言うなよコイツ。」

 ぼくの彼女は本当にアグレシブだ。

「ははは、すまないね。拓海君。」

「ってか見てないで止めてくださいよ。旭さん。」

「リンゴ。避妊はしっかり。計画的にいくんだよ。」

「ラジャー。」

「そこじゃないだろう。」

 そこにさくらがふよふよ寄って来る。

「兄さんお疲れ~。」

「それは何に対してだ。」

「もちろんランニングに対して。」

「へいへい。それでそっちはどうだった。」

「いやあ、リンゴちゃんすごいね。山をぐるりと一周しちゃった。」

「へ?山って、この屋敷の裏にある山か。」

「そ、この山。」

 マジか。

 何キロあるんだってぐらいの広さだぞ。

 しかも車が走るような整備された道は見えないぞ。

「マジで陸上やれば世界取れそうだったよ。」

 さくらのその言葉に旭さんの言っていた言葉がよみがえる。

『あの子は人間離れしてるからこそ、オカルトに向かないんだ。』

 人間の世界ならただ単にすごいですむその体力も、オカルトになれば異端になるらしい。

「せんぱ~~い。朝ごはんにしましょう。」

 アグレシブな彼女が手を振って来ていた。



「それでリンゴ。」

「なんでふかせんふぁい。」

 朝ごはんの途中に話しかけた僕が悪いんだけど、ご飯を口に入れたまま喋るのは行儀が悪いぞ我が恋人よ。

「リンゴ、口に入れたまま喋らない。」

 柚子さんからも注意が入った。

「もぐもぐ、ごっくん。なんですか先輩。」

「いや、昨日話した件、大丈夫か。」

「大丈夫ですよ。」

「あら、今日は2人でデートですか。」

 柚子さんがほんわか笑顔で興味を示してきたので、軽い気持ちで答えた。

「いえ、リンゴに今日うちにこれるかって。」

「はい?」

「今日これから先輩のお家に行こうかと思ってるんですよ。」

「うちの母が彼女を紹介しろというので昨日誘ってみたんですよ。」

 かっちゃーーーーん。

 柚子さんが茶碗を取り落とした。

「な、な、な、それってご両親に御挨拶イベントじゃないですか。」

「……いや、そのイベント、つい昨日ぼくがお2人にしたイベントですよ。」

「しかも今日、今から。」

 聞いちゃいねぇ。

「どうしましょう。何かお土産になるモノはあったかしら。いいえ、むしろ私もお伺いするべきでしょうか。」

「授業参観か!」

 ツッコミを入れるリンゴとは珍しい。

「……すみません。騒がしい親で。」

「いや、うちの母もあんな感じだから気にしないで。」

 という訳で今日はうちにリンゴが来ます。



 というわけで、ウチにリンゴがやってきました。

「ささ、どうぞ。リンゴの家に比べれば小さい家だけど。」

「いえ、家の大きさなんか比べるものじゃないですよ。」

 なんていじらしいこと言ってくれるけど、あれと比べるとホント小さな家だよ。

「ただいま~。」

「おじゃましま~~す。」

 ぼくが普通に声を出しているのに、リンゴはなぜか寝起きドッキリみたいな小さな声で家に入って来る。

「へ?」

「な!」

「え、ええ。」

 ぼくとさくらとリンゴの口から驚きの声が飛び出た。

 何故なら玄関にありえない光景が広がっていたから。


 玄関で床に額を付けて土下座している両親の姿がそこにはあった。


「父さん、母さん、何やってんの。」

「何故ですか。顔を上げてください。」

「ははぁ。貴方様が拓海の彼女様ですか。これなるは恥ずかしながら拓海の親にございまして。」

 と、殿様に謁見する下級武士みたいに頭を下げたまま口上を述べるウチの両親。

「今やってることが恥ずかしいんだよ。なに、もしかしてリンゴの家って地元の名士かなんか。」

「ち、ち、違いますよ。そう言うのは高橋さんの――――って、今はそれどころではなく、お2人共顔を上げてください。」

「へへ~、ありがたやありがたや~。」

 どこぞの時代劇みたいになってしまっている我が家はおかしいと、改めて思ったぼくだった。



「ははは、いや~、お恥ずかしいところをお見せしてしまいました。」

「まったくだよ。」

 何とか両親を正気に戻してリビングに移動しての改めての挨拶だった。

「あの~、それでどうしてあんなことに。」

 だよね~。

 やっぱりそこ気になるよね~。

 息子のぼくでも気になるもん。

「ハハハ、それがですね。息子が彼女を連れてくるとか初めての経験でどうしたらいいか分からなくって、母さんとあれこれ考えてたらああ成っちゃったんですよ。」

「そうはならんやろ。」

「でも現になっとるやないか。」

「――――ふふ、とっても面白いお父様ですね。」

「面白いというか、可笑しいだろ。」

「いえいえ、私のお父様はどちらかと言うと堅物ですので、とても馴染みやすいです。」

 そうか、けえっこうフレンドリーだったけどな。

「まあいい、とりあえず改めて紹介するな。この冴えないモヤシみたいなのがぼくの父さん。」

「冴えないモヤシはひどいなぁ。と、初めまして、藤宮卯月ふじみや うづきです。」

「で、こっちのちっこい妹みたいなのが母の美海みうみです。」

「ちょっと~。事実だけどちっこいってひどいよ~。あっ、どうも、母の美海です。」

「は、初めまして。谷口リンゴと言います。」

 こうして互いの自己紹介が終わった。

「じゃ、帰ろうか。」

「て、ちょっと拓海~。これで終わりなんてないでしょ~。」

「そうだそうだ。」

「先輩、お泊りは⁉」

 ちっ、ここに味方は居ないのか。

 そう思ってさくらを見るが、――――だめだ、さくらの奴リンゴ側につきやがった。


「こちらつまらないものですが。」

 そう言ってリンゴが菓子折りを差し出した。

「あらあら、お気遣いありがとうございます。」

 母さんはそれを素早く受け取る。

 仕方ない、ここはあきらめてぼくは無の心で乗り切ろう。

 ほとけの~こ~こ~ろ~。

「それでリンゴちゃんと拓海は何処で出会ったの。」

 早速母さんが僕たちのなれそめを聞いて来た。

 しかし、今のぼくには関係ない。

 なぜなら今のぼくは――――

 ほとけの~こ~こ~ろ~。

「先輩との出会いですか。それは~、キャッ!」

 ほとけの~こ~こ~ろ~。

「最初は私が一方的に思いを持っただけなんです。」

「ほうほう。」

「あれは先輩の入学式になります。私のお世話になった先輩が高等部に進学したのでお祝いに行った時のことでした。桜並木で1人さくらを眺めながらたたずむ先輩を見かけたのです。」

「ほうほう、ほうほ~う。」

「一目ぼれでした~~~~~。」

「きゃ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~。」

 母さん年甲斐もなくはしゃがないでよ。恥ずかしい。いや、見た目が中学生以下なんだから問題ないのか?

 て、

 いかんいかん。

 ほとけの~こ~こ~ろ~。

「まったく、拓海も隅に置けないな。」

「そうですね~。」

「ねえねえ、何処がツボに入ったの。」

「それはですね~。愁いを帯びながらもしっかりとさくらを見つめる瞳に胸キュンしちゃったんです。」

「胸キュンしちゃったか~~~~~~~~。」

 ほとけの~こ~こ~ろ~。涅槃モーーード。

 何が悲しゅうて自分への惚気を聞かなきゃならんのだ~~。

「ねえねえ、拓海もこう言われて嬉しくない。」

「そうですね~。」

「………………。」

「おや、母さん、どうかしたかい。」

「お父さん、ちょっと待って。リンゴちゃん、ちょっとこっちに来て。」

「はい。」

「あのね、―――――――で、―――――をやってくれない。」

「分かりました。――――あの時の先輩、かっこよかったんですよ。」

「へ~、拓海、恰好良かったんだって。」

「そうですね~。」

「こう桜の花びらを受け止めながら一人でつぶやく姿は小説の主人公みたいでした。」

「拓海~。何をつぶやいていたの~。」

「そうですね~。」

「………………。」

「………………。」

「………………拓海く~ん。」

「そうですね~。」

「ええい、こやつ心を閉ざして聞き流しておるぞ。皆の者くすぐれ、くすぐれ~~~。」

「は~い、そ~れこちょこちょ。」

「拓海、逃げる君が悪いんだ。こちょこちょ~。」

「わ~い、妹もヤル~~~~~~。」

 こちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょ。

「うひぁっ、ひひ、ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは。うほ、ほほほあ~はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは。ギブ、ギブアップ!」

「はっはっは、思い知ったか。彼女の話に上の空とは不届き者め。」

 どこの武将だよ。

「分かった。すみません。謝りますから。」

「わかれば宜しい。」

「でも、カンチョーはやりすぎじゃないか。」

「は?そんなの母さんやってないよ。」

「父さんもだぞ。」

「拓海まさか?」

 さくらか。

 後で覚えてろ~。

 さて、それよりもこれはどう誤魔化す。

「あ、あの、私です。ごめんなさい先輩。その調子乗り過ぎました。」

 ナイスアシスト。さすがリンゴ。気が利く。

「いやリンゴが謝る事じゃないよ。調子に乗った母さんたちが悪いんだ。」

「ちょっと~、母さんたちが悪いの~。てかリンゴちゃんには優しいのね~。」

「そりゃ彼女だからな。」

「ふ~ん、ナニナニ、2人ともア〇ルプレイ済み?」

「済みじゃねーよ。」

 子供みたいな母さんからそう言う言葉が出るとドキッとする。

 しかし中身はもう中年なんだよな。

 詐欺じゃね。

「本当に~。」

「そうですよ。まだ私たちにはそれは早いです。」

「へ?」

「あ。」

 何ですか、リンゴさんそっちに興味がおありなのですか?一体どっちの穴を開発するつもりですか。ぼく?それともあなた?

 あ、やべ、今変な想像しちゃった。


 将来、仕事から帰った僕を迎えてくれるエプロン姿の新妻リンゴ。

 彼女がスーツを脱がしてくれながら僕にこう言うんだ。

 色っぽい赤らんだ顔で、

「今晩はどちらでしますか。前?後ろ?それとも――――ア・ナ・タ?」


「兄さん、今エッチな想像したでしょ。」

 興奮してね~し。

 さくらに文句を言ってやりたいが母さんたちの前では言うに言えない。

「貴方たち、お盛んなのはいいけど避妊はしなさいよ。」

 という母さんに。

「それは何に対してだ。」

「アンタのお尻だってちゃんとしないと孕むわよ。病気を。」

「上手いこと言ったつもりか。」

「まぁ、お尻の話はこれくらいにしましょう。それより、リンゴちゃんは一目ぼれしてからどうしたの。」

「この流れからまだ恋バナを続けるのか。」

「いいでしょう。」

「そうですね。ご存じかと思いますがそれからはあっという間でしたよ。」

「まぁ、まだゴールデンウィークだしね。」

「先輩に一目ぼれした私はすぐに先輩のことを調べました。そしてすぐに告白。」

「すごいわねぇ~。お友達から始めようとは思わなかったの。」

「思いませんでした。すぐにこの気持ちを届けたい。はやる気持ちを抑えることはできませんでした。」

「なかなか情熱的な娘じゃないか。」

 そう言う父さんの言う通り、リンゴは情熱的だ。

 見た目は小柄なお嬢さま風なのに、その心には炎のような直情さがある。

 ぼくはそれをよくわかっている。

 昨日、それを身をもって体験したんだ。

 リンゴの情熱を――――

 格ゲーでもレースゲームでも容赦がなく、「うおぉぉぉぉりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。」と叫ぶがごとき怒涛のコントローラーさばき。まさに嵐のごとくだった。

 しかも負けず嫌い。

 ぼくに合わせて手加減をしてくれるのだが、絶妙なところで勝たせてくれない。

「惜しかったですねぇ~、先輩。次は勝てます。次こそは。だから落ち込まないでもう1回しましょう。もう1回。もう1回♪」

 と言って何回負かされたか。

 そのうえ協力プレイでは足を引っ張るのが恐いほどの情熱を燃やしていた。

 ぼく、そんなにゲーム苦手じゃないけど、別の意味で苦手になりそうだった。


「それでそれで、拓海はどんな風に返事したの。」

 ぼくの母さんは子供のようにテーブルに身を乗り出してリンゴに話の続きをねだる。

「ふふ、それはですね――――」

 リンゴがぼくの方を見ながら笑った。

 あっ、しまった――――

「「ぼくと付き合ってください。」って逆告白されたのです。」

 これ、普通に恥ずかしいやつだあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。

「ほほ~う、なになに、拓海ってばそんなに告白されたのが嬉しかったのぉ~。」

 ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。

 ほらな、ほらな、ほらな~。

 この母さんのあからさまな顔。

 ニヤニヤしちゃって、息子の恥ずかしい話で喜んじゃってるじゃないか。

「ふふふ、そうかそうか。拓海も彼女が出来たのが嬉しいか。」

 父さんはなんだか何かを察したように頷いている。

「うんうん、それで拓海はリンゴちゃんのどこが好きになったのかな。」

 そこまで聞くか。

 恨めし気に母さんの顔を見れば――――真面目な顔をしていた。

 全く、ホントにズルい人だ。

 遊んでいるように見えてぼくのことを心配しているのだろう。

 これは是が否でも――――本当のことは言えない。

 この人にさくらの話はできない。

 だって母さんと父さんはさくらのことを知らない。

 覚えていない。

 この家のどこにもさくらの痕跡は残っていないのだ。

 だから。

 だから?

 だからぼくはさくらのことを見えるリンゴに惚れたなんて、口が裂けても言えない。

 ぼくのことだけじゃない。

 リンゴにも迷惑をかける。

 絶対にそれだと母さんたちはリンゴを認めなくなる。

 だから僕は嘘をつかなければならない。

 チラリとさくらを見れば。

「気にするんじゃないよ。つかなきゃならない嘘は世界にあふれている。幸せになりたいなら上手く嘘をつくんだよ兄さん。」

 そう言ってぼくの肩をポンと叩いてくれる。

 リンゴを見れば優しい笑顔を向けてくれる。

 今から僕がつく嘘を一緒に受け止めてくれるのだ。

 だから僕はリンゴが好きだ。


「ぼくが好きなリンゴは―――――オッパイが大きいところだあああああああああああああああ!」


 どうせつくならでっかい嘘をつこう。

 さあ、ぼくをおっぱい星人と罵ってくれ。

 それがぼくが背負うべき罰だろう。

 ―――――――――。

「うんうん、それでこそ父さんの息子だ。」

 ぼくの叫びに生まれた沈黙の中、父さんだけがそんなことを言っていた。

「お父さん?」

「はっ、しまった。息子の余りに立派なカミングアウトに共感して口がすべってしまった。」

「ふーん、お父さんっておっぱい星人だったんだ。」

 母さんはゆらりと立ち上がると、光の無い目で、無表情で、父さんに詰め寄っていく。

「いやっいやっ、これは――――」

「それはオッパイ星の神様をたたえる呪文ですか。」

「おっぱい星人はクトゥルフ神話の登場人物では無いよ。」

「じゃぁ何ですか。それは言い訳ですか。ええ、ええ、いいんですよ嘘は付かなくても。卯月さんはおっぱい星人なんですよね。すみませんね。私オッパイ小さいですもんね。子供体形ですもんね。拓海に弟妹が出来ないのは私が悪いんですよね。いいんですよおっぱい星人。拓海だっておっぱい星人ですもんね。おっぱい星人に罪はありません。罪があるのはちっぱい星人のワタシですから。ああ、そうですね。悪いのは私で卯月さんは私に同情して結婚してくれていただけなんですよね。すみません。すぐに私は消えますので卯月さんはオッパイと結婚してください。」

 ゆらりゆらりと立ち去ろうとする母さんを父さんは羽交い絞めにする。

「離して離して離せえええええええええええええええええええ。」

「すまん。拓海、父さんはこれから母さんを助けるために贖罪の戦いに出る。リンゴさんもすまない。こんな騒がしくて。どうか今日はゆっくりしていってください。」

 父さんは母さんをふん縛るとどこかに連れていった。

 ……

 …………

 …………………………

 後にはポカンとする僕たち3人だけが取り残された。

「兄さんのついた嘘で大変なことになったわね。」

 ぼくが背負うはずだった罰は父さんが背負うことになった。

 いや、これがぼくに与えられた罰だったのかもしれない。

「リンゴ、どうする。」

「え?どうするって。」

「家帰る?」

「いいえ、お泊りします。」

 この状況でもそこは曲げないんだな。

 もはや流石と言いたい。

「それじゃあとりあえずお昼ご飯にしようか。」



「何があるかな。」

 ぼくは台所の棚を漁りながらお昼ご飯になりそうなものを探す。

「お、稲庭うどんがある。」

「なんですかそれは素麺ですか。」

 ぼくの肩越しに棚を覗き込んでいたリンゴがぼくの手の中にある物に興味を示した。

「これはうどんだよ。」

 乾燥した白い棒状のインスタント食品みたいなモノだった。

「うどんにしてはその――――細いというか、平たいというか。」

 リンゴが見た目の感想を忌憚なく述べる。

「それは讃岐うどんの印象からだね。太いうどんはアレが基本で、日本人がうどんと聞いて想像する典型が讃岐うどんてことでもあるんだけど。」

「え、それじゃあ太いのがうどんで細いのが素麺っていうのは違うんですか。」

「いや、間違ってないよ。」

「どっちですか。」

「日本の小麦粉を使った麺類が基本うどんと言える。その中で一定より細いのが素麺なんだ。」

「あ、じゃあ材料は一緒なんですね。」

「麵の材料はね。」

「あと、うどんと素麺の間に冷や麦ってのもあるんだけど。」

 と、さくらが注釈を言いえてくれる。

「へぇ~、それじゃあ、この細いやつも太さ的にはうどんになるのですか。」

「そうだよ。これは稲庭うどんと言って、讃岐の次に来る3大うどんでもあるんだ。」

「なるほど。つまり、その稲庭うどんが讃岐うどんの次に有名なんですね。」

「知名度で3大ってわけじゃないんだけどね。今じゃ知名度で言えば讃岐、どん兵衛、赤い狐で3大うどんになっちゃうし。」

「ははは、確かに。」

「まあ、讃岐がうどんの代表と言えばそっれは間違いない。そのうえで稲庭うどんが3大うどんになるのはその歴史からだよ。」

「おう、お昼ご飯を発掘していたら歴史的遺物が出土してしまうとわ。」

「実際にそう言う食べ物が発見された事例はあるけれど――」

「梅干しね。」

 さくらが言うのはたぶん400年以上前の梅干しのことだろう。

「とりま、讃岐うどんはその発祥が江戸時代の寛文5年にあるとされるうどんなんだ。」

「寛文5年って何時ですか。」

「えーと?」

「西暦で1665年。将軍は4代目家綱よ。」

 さすがはさくら、詳しい。

「稲庭うどんが大好物なだけある。」

「ふふぅん。という訳でここからは妹が説明するわね。」

 さくらはポムと眼鏡姿に変化してボクから講釈を引き継いだ。

「寛文5年、将軍家綱は現在の秋田県に大層うまいうどんがあると噂を聞いた。そしてそのうどんを献上させることにしたの。

しかし、生のままでは献上できないため当時の作り手が工夫をしたそうな。それがいまでも使われる乾燥麺だたそうよ。無事に将軍に献上された稲庭うどんは将軍に大層気に入られ、その後も献上品として将軍のもとに送られることになった。この時、このうどんの制作者は与作という百姓だったのだけど、将軍から褒美として佐藤の姓と養助の名前をもらったの。佐藤養助の名前はそれ以降世襲制となり江戸が終わっても、天皇家への献上品を作り続けているわ。現在では昭和に製法が公開されて一般人でも食べられるようになったけど、それまでは普通は食べられない秘麺とされていたのよ。」

「と、そういう訳でうどんとして讃岐に並ぶ3大うどんになるのが稲庭うどんだ。」

「へぇー。それじゃあもう1つは。」

「……何事においても3大、なんてうたいながらも実際は3っつに定義されてないものがたくさんある。例えば稲荷神社だって伏見大社が不動であり、源九郎が次点とされながら実際は3大稲荷を名乗る神社は数多く存在する。」

「なるほど。あと、伏見は知ってるけど源九郎ってのは?」

「奈良にある義経千本桜にゆかりのある神社だよ。これについて語らせたら長くなるか、今回は割愛ね。」

「わ、分かったわ。」

 ぼくのマジ顔に納得してくれたリンゴ。

 ちょっと引いてたが、好きなんだから仕方ないだろう。

 歌舞伎好きならわかってくれるはずだ。

「それで3大うどんの最後は?」

「だから決まってないんだよ。長崎の五島うどんか群馬の水沢うどんが候補にあるけど、――――個人的には素麺とうどんの違いが太さだけなら三輪素麺を入れて、讃岐うどん・稲庭うどん・三輪素麺で3大うどんじゃないのかと言いたい。」

「いいのかしら。そんなこと言って。」

「こういう区別は結構細かいかと思えば細かいし、その程度と思えばその程度なんだよ。ざるそばと盛り蕎麦の違いなんてつけ汁が1番だしか2番だしかの違いだし。」

「お蕎麦関係ないの。」

「そうなんだ。素麺だって温かい出汁に入れればにゅう麺だし。」

「そ、そうなんだ。」

「とりあえず重要なのは食って美味いか、好きか嫌いか、だけだからね。」

「じゃあその稲庭うどんは――――」

「お昼ご飯これでいい?」

「はい。――――っていうか、それだけの話ですよね。」



 という訳で、お昼ご飯は稲庭うどんになった。

 うどんをゆがいて、今回は冷やしでいただく。

 出汁はかつおだしの麺つゆである。

 うんちくをたれたが、流石に出汁から引くことはできないのでボトルに入っている濃縮タイプの奴である。

 具材などはいいのがあった。

 なめこだ。

 小指の先ほどの小さいぬめぬめのキノコで、コレが稲庭うどんに合うのだ。

 他に海苔や練り梅なんかも用意していただく。

 なんか、夏のお昼ごはんみたいになった。

「ごちそうさまです。美味しかったです。」

「お粗末様です。」

 用意をしたのはぼくだったけど、食べたのはさくらだった。

 本当に稲庭うどんが好きなんだな。

「それでこの後どうする。」

 ご飯を食べて満足したさくらはぼくの体から出ていき、そこら辺をふよふよと浮ながら横になっている。

「そうですね、先輩のお部屋をお見せしてもらってもいいですか。」

「やっぱりそうなる。」

「そうなりますよ。恋人の家に行って、ご両親が留守にされているなら部屋に上がり込むべきでしょう。」

「プラトニックな関係はどうした。プラトニックは。」

「そこはソレ、これはこれ。ですよ。」

「いいじゃない兄さん。減るもんじゃないし。」

「いや、ぼくの精神がすり減るかもしれない。」

「見られて困るようなもんは妹が居るからないでしょう。」

「そうですよね。」

「いや、そこは僕とさくらの仲だから――――」

「実はおすすめの薄い本があって。」

「ほうほう。」

「だからそういうところぉ!」



「へぇ~、ここが先輩のお部屋ですか。」

 ぼくは生まれて初めて、家族以外の異性を部屋に入れている。

「ふふふ、男の人のお部屋に入るのはこれが初めてです。」

 だからそう言うことを言う。

 ぼくがドキドキしながらリンゴを案内してるというのに、

リンゴは余裕を見せながら僕をからかってきている。

 ――――これが誘惑じゃなくてからかいなのは百も承知である。

 今日のリンゴは体のラインが出ないゆったり目の服とスカート、ニーソックスという中学生らしい恰好でいらっしゃいますが、これはぼくの両親に挨拶するためのちょっと子供っぽい恰好を選んだのだと本人から説明されている。

 それがいまさらになって気になってしまっている。

 花柄の明るい色のシャツに、濃い紺色のミニスカート。白のニーソクスは絶対領域の食い込みをむっちりポンとして白い肌に色気を出している。

 誰だよ子供っぽいって言ったやつは。

 ぼくの部屋を眺めるリンゴの後姿はめっちゃ女の子してるじゃないか。

 特にうなじの色気がすごい。

 今すぐ抱きしめてうなじに顔をうずめて思いっきり匂いを嗅ぎたい。

「あ、先輩。プラモ飾ってるんですね。」

 そう言ってプラモを見ようと前かがみになると後ろにいるぼくに向かってその可愛らしいお尻を突き出すことになって、あぁ~今すぐその未熟な桃を鷲掴みにして割開きたい欲求に駆られてしまう。

 いや、それともぼくのコレクションの薄い本を見せて、初心なリンゴを照れさせてから「それじゃぁ実践してみようか。」といけないことを教えてあげるとか。

 あぁ~~~~、いけない妄想がはかどる。


 以上、

 さくらによる勝手なぼくのモノローグでした。

「なに、妹は兄さんの心の声を代弁してあげただけよ。したいんでしょ。」

「紳士なぼくがそんな妄想をするわけがないだろう。」

「え、先輩しないんですか?」

「リンゴ、君までそんなことを――――」

 と、言いながらリンゴの方を見れば、パンツが見えそううなほどにお尻を突き出しながらぼくのベットの下をあさっていらしゃりました。

「ちょっと、何やってんの君~。」

 ぼくは弾幕の薄さに文句を言う青年士官のように叫んでしまった。

「なにって?宝探し。お約束でしょう。」

「確かにラブコメだと男の子の部屋にやって来た女の子が宝探しと称してエログッツを探すのがお約束になっているけど。」

「ならば野暮は言わないでおくなましやす。」

「何で時代劇風。」

「先輩は自分がラブコメの主人公だという自覚がないのですか。」

「そんな自覚持ってる男子っているわけないじゃないか。」

「中二病、高二病と合わせて思春期症候群と呼びましょう。新しくないですか。」

「すでにありそう。って言うか、高二病はもう古いんじゃ。」

「お、なんか出た。」

「ちょっと~。」

 リンゴはベットの下を覗き込むのはやめて床に正座していたが、手だけはベットのマットの中をあさっていたのだが、そこにはお気に入りの薄い本を挟んでいたのだ。

「どれどれ、先輩の趣味は――――」

「きゃぁ~~~、見ないでぇ~~。」

 ぼくの懇願もむなしく、リンゴは容赦なくページをめくっていく。

 1ページ。

 また1ページと、その内容を吟味していく。

「なるほど、なるほど。オリジナルものでかつ巨乳もの。作品自体新しそうですし、これはもしかして――――」

「それ以上、それ以上言わないで。」

「私のオッパイに欲情しちゃて、それを発散するために買いましたね。」

「いやああああああああああああああああああああああああ。」

「あはははははは、先輩可愛いい。」

 リンゴは無邪気に笑いながら薄い本をめくっていくのだった。



 その後もリンゴにからかわれたりしながら、ぼくのコレクションは彼女に鑑賞されていった。

「あら、もうこんな時間ですね。」

 途中から諦めて、リンゴの家から持ってきた彼女のおすすめマンガを無心で読んでいた僕に、リンゴのその声が耳に入ってきた。

 時計を見ると結構な時間がたっていた。

「父さん達どうするんだろ。」

 そう思ってスマホを見るとメッセージが来ていた。

「父さん達、今日は帰らないって。……どうする?」

 リンゴに訊ねてみたら。

「私も帰りません。」

 と、すかさず帰って来た。

「わかったよ。とりあえず晩御飯をどうするかだけど。」

「私が作りましょうか。」

「えっ、リンゴ料理できるの。」

「失礼な。今修行中です。」

 それは作れるというのだろうか。

「ですからカレーを作ります。」

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