12/5 15:35

「サンタとしての準備が必要です」


 初日に手を取り合った後、ユキは笑顔のままでそう言った。

 準備って何が必要なんだ、と尋ねると返ってきたのは「市場調査と体力トレーニング。それからルートの確認でしょうか」というものだった。


 なるほど、道理だ。サンタクロースが実在するなら子供の欲しがるプレゼントを調査することも、効率よくプレゼントを配り歩くためのルート把握もそれを成し遂げるための体力も大事だろう。多分。

 そう思ったから俺は「馬鹿馬鹿しい」という言葉を飲み込むことができた。

 どれだけ準備をしようが、そんなのは戯言であって実際には何の意味も無いだろう、なんてことを言ってしまえば初日の決意が台無しだ。

 代わりにこう言った。


「それなら、ちょうどいい場所を知っている。俺はサンタの勝手がわからないんでな、付いてきてくれると助かるんだが」

「もちろんです。私はその年のサンタクロースを補佐するためにいるのですから」


 そんなわけで連れてきたのは、電車で一時間ほど揺られた場所にある街のカフェだった。

 都会のど真ん中で、木造の一軒家みたいな佇まいをしていて、レトロな雰囲気とお洒落なパフェが人気の店だ。連日人が並ぶ程度には有名で、寒空の下で待機列に加わってじっとしているのはかなり堪えたがユキは文句ひとつも言わず、やっぱり笑顔のままだった。


 電車で揺られたのとはまた別に、寒空の下でたっぷり一時間は並んだ。

 ようやく入った店で俺が「二名で」と言うと小洒落た格好をした店員の表情が少しだけ引きつったのが分かったが、それ以外に特に何を言われることも無く席に案内された。窓際で外の景色がよく見える席だった。


「どうかされましたか」

「そういや、髭を剃っていなかったな、と」


 向かい合う形で座ってから、しきりに自分の顎をさすっている俺の様子を見たユキが訪ねてきたのでそう答える。

 店員の表情の意味をいちいち考えないと理解できないほど、俺だって常識のない人間ってわけじゃない。


 仕事もやめて昼も夜も無く肩まで酒に浸かるような生活を続けていた俺が身だしなみに気を遣っていたはずもなく、髭も髪も伸ばし放題。

 向かい合えば浮浪者と見間違えられたって文句は言えないだろう。


 景観を損ねるからという理由で入店拒否されなかったことは幸運で、そもそも店に来るまでにその事に思い至らなかった事を内心でこっそり気まずく思った。


「お言葉ですが、サンタとして活動することを考えるなら髭だけでなく髪ももう少し切るべきだと思います」

「言わなくても分かってるんだよ、そんなことは。むしろサンタクロースなら髭くらいは残した方がいいかと迷っていたんだがな」

「その辺りは問題ございませんよ。過去には女性のサンタクロースも多数おりますし、髭の有無はさほど重要ではありません。赤い服、ソリ、トナカイ。これらは重要ですが、白髭をたっぷり蓄えた小太りの老人という、いわゆる定番のサンタ像はあまり意味を持ちませんので」

「ちなみに、その三つが重要な理由は?」

「地上から空を見上げた時など、遠くから見ても即座にあれはサンタだ、と伝わるシルエットと色です」

「髭はその色に含まれないわけだ」

「サンタの白は、主に服の袖や襟が担っておりますので」


 相変わらず表情の硬い店員に手早く注文を伝えてから届くまでの間に、そんな具合で言葉を交わす。

 それにしても随分と設定を作り込んでいやがるな、と話しながら内心では感心していた。


 今日のこのやりとりだけじゃない。

 例えば酒とゴミの散乱した部屋をユキの指示で片付けていた昨日や一昨日も、今朝の飯を食ってる最中も、隙あらば俺は話題を投げていた。

 何が記憶を取り戻す鍵になるか分からない。それがちょっとした会話かもしれないからだ。


 けど向こうはサンタ絡みのこと以外は殆ど喋らない。まるでそう作られたロボットみたいに。

 必然、振る話題は限られた。そうした話題の殆どを俺は疑問符で投げて、返ってくる言葉はだいたいがよく練られた設定と凝った背景を持つサンタの使者の実態だった。


「ところでお尋ねしたいのですが」


 こんな風に飛んでくる、向こうからの話題も種類はもちろん限られる。


「この店に来ることは、サンタクロースの準備としてどう丁度いいのでしょうか」

「わからないか?」


 小首を傾げたユキに、わざと質問で返す。ユキが雪穂だった頃にはお互いがお互いによくやった悪ふざけだ。


「そうですね、市場調査をするには客層に子供が少ないですし、そもそも調査に向いているとは思えません。ルート確認についても言わずもがなです」

「ああ。お前に聞いた時、いくつかサンタをやるには足りない事があると思った。寒さに慣れることと、後は俺自身のモチベーション維持さ。いくら名誉な事だろうと、やる気が維持できなきゃやり遂げられない事もあるからな。実際、外の寒さに一時間も立って耐える羽目になっただろう」

「では、この店に来ることはその二つのためですか」

「それもある。この後で市場調査にも出るからそう急かすなよ」


 当然出まかせだ。本当の目的はそんなことじゃない。俺の目的は最初から一貫して、雪穂の記憶を取り戻す事。それだけだ。

 この店には去年、雪穂がどうしても来たいとねだって来た事がある。頼んだメニューもその時のものだし、記憶を頼りになるべくその時に近い服装を選んで来た。要するに思い出の場所で何か刺激になれば、ってやつだ。あいつはこの店を大層気に入っていたし、今年もまた同じ時期に来たいと言っていた。つい数日前までは二度と叶わないと思っていたが。


 俺の前に出されたチョコレートパフェを、そのままユキのほうへ差し出す。食ってみろ、と促して初めてそれを口に運んだユキは、しばらく笑顔のままでそれを眺めてから、ゆっくりと一口食べた。


「どうだ、美味いか」


 どうだ、これで何か思い出したりしないか。

 そんな気持ちは届いたか届かなかったかわからない。

 けれどユキはしばらく返事もせず無言でそれを味わって、飲み込むと同時に次の一口を頬張った。

 クリスマスの使者とやらはロボットみたいな振る舞いが目立つが、一応味覚は消えていないという設定らしい。

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