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「さて、それでは改めて説明いたしましょう」
雪穂……いや、クリスマスの使者だったか。あくまでも本人のトンチキな言い分を鵜呑みにするなら、だが。
ともかくそいつは、俺が家に帰るまでついてきて、玄関前で足を止めるとそう切り出した。
相変わらずの笑顔で、さも当然というような自然さで。
足を止めたのを、話を聞く準備ができたからだとでも思ったんだろうか。俺はただ、玄関のカギを開けようと思っただけなのに。
改まった説明とやらを聞くつもりは毛頭なくて、そのまま扉を開けて――振り返ったのは本当に、無意識だ。
嫌になるほど見た玄関からの視界と、その真ん中に立つ姿。
もっと嫌になるほど見せてくれと願ってやまなかった故人が笑顔で、当たり前のように佇む姿。
扉を開けたままで固まった俺を、向こうがどう認識したのかはわざわざ考えなくてもわかる。
小さく会釈して、俺の脇をすり抜けるようにしてそいつは俺の部屋に入り込んだ。
おい待て、なんて言っても聞きやしない。
「とはいえ、それほど難しいことではありません。今年の十二月二十四日、午後二十三時から翌日の午前二時まで貴方にはサンタクロースをやってもらう、というだけなんです」
「聞けよ話を。やるなんて誰が言った」
「そう言われましても、拒否権とかは原則無くてですね……基本的には任命されたというのはとても光栄な事なんですよ? もちろん報酬だってお支払いいたしますし。まあその、天界から直接人間界の通貨を、というわけにはいかないので少々回りくどい方法になりますが」
「そんな話はしていない。っていうか信じるとでも思うのか、そんな与太話。そもそも何を当たり前のように人ん
「そういうわけにもいきません。私は貴方にサンタとしてクリスマスの象徴になっていただかねばなりませんから。例え貴方がそれを与太話だと言おうが、信じなかろうが、あと二十二日後にはサンタとして空を駆けていただきます」
だめだ、話にならない。
ここまでのやり取りの間、雪穂と同じ顔をしたそいつはびくともしない笑顔のままで、まるでそういうお面でもつけてるのかと疑いたくなるほど表情に変化が無かった。いっそ不気味なんだが、俺が今の今までまともな手段――例えば通報とか、無理やり部屋の外に叩き出すとか――を取らなかったのは単純にこいつの顔の造形のせいだ。
玄関の電気をつけて、味気のない白い光で照らされた顔立ちはやっぱり何度見ても雪穂のそれだ。二十年以上見てきた顔だ、それを見間違えることだけは絶対にない。
世の中には似た顔が三人いるとか言うらしいが、そういう「他人の空似」ですらないと俺は、この世で俺だけは自信を持って言える。目元の黒子の位置も、小学生の頃に階段から足を滑らせて作った頬の下の方にある小さい傷も、似ているなんて言葉じゃ説明がつかなかったし、それになによりも。
「なあ雪穂、お前ほんと、もうこの悪趣味な冗談は終わりにしてくれよ。別人なわけないだろ、その髪留めを見れば俺にはわかるさ」
右耳の少し上の辺りで髪をまとめている、青い髪留めを指さして俺は言った。そいつは去年の雪穂の誕生日に、一緒に旅行に行った先で買ってやったプレゼントだ。雪の結晶みたいな形が少し洒落ていて、名前とも合っていてデザインもよく似合うと思った。
そいつは旅行先のその土地でしか売っていないもので、そう簡単には手に入らない。同じ顔をして、同じ髪留めを持っている赤の他人がいるなんてのはもはや奇跡だろう。そんな奇跡が実在するくらいなら恋人が死んでいなかった奇跡を信じる方が容易い。
「これですか? よくわかりませんが、使者として人間界に来た時からずっとつけているものですが、それがなにか」
軽く髪留めに触れてそういう言葉には、俺が見る限りで嘘の雰囲気は無かった。
ちょっとした嘘ならすぐに見抜けるくらいお互いを知っている仲、ってやつが逆に呪わしい。おかげで俺は目の前のこいつが微塵も嘘をついていないんだと、認めざるを得ないんだから。
この時点で俺は、二つの事を理解した。理解しなくちゃならなかった。
目の前にいるのは間違いなく、目の前で車に跳ね飛ばされて、葬式にも立ち会って、うちの娘じゃなくてお前が撥ねられたら良かったんだとそいつの母親に罵られた記憶もまだ新しい、鷹藤雪穂その人だということ。
そしてどういう理屈でか生きていたらしい雪穂は、記憶をきれいさっぱり無くしてしまっていて、代わりに「天界から来たクリスマスの使者」とかいう精神病院まっしぐらな戯言を本気で口にしているということだ。
「……このこと、お前んとこの両親は知ってるのか?」
目の前のこいつに尋ねたってまともな答えが返ってくるとは思えなかったが、だからと言って電話で直接連絡を取るのも気が引ける。向こうだって本気で言ったわけじゃないのは分かっていても、葬式以来顔も合わせられない程度には気まずい言葉をぶつけられている。
案の定雪穂は、小首を傾げた。
「両親、というのは分かりませんが……サンタクロース任命は、他言無用のものですから。知っているのは貴方だけです」
「いや、そういう事じゃなくてだな。いや、まあ、いいか」
気まずい言葉を勢いで投げる程度には向こうも悲しんでいたんだ。もし事情を知っていればこんな夜中に一人で出歩かせはしないだろう。そう考えればまず知らないんだろうなと予想はついた。
額を軽く押さえて、ため息を一つ。アルコールがまだ口に残っていたらしく、自分の吐息から酒の匂いを感じる。それが嗅ぎ取れるということは、今の自分はそれほど酔いつぶれちゃいないってことだ。本当に酒に溺れきるとそんなことを認識する余裕は無くなる。
自分の正気を確認しながら、俺は心の中で一つの事を決めた。
「おい、サンタの使者だっけか。呼びにくいから何か他の名前はないのか」
「ええと、そういうものは無いのでお好きに呼んでいただければ」
「じゃあユキだ。髪留めの形が雪の結晶だからな、勝手にそう呼ばせてもらうぞ」
「わかりました。今日からクリスマスまでの間、私の名前はユキですね」
本当の名前で呼ばなかったのはわざとだ。どんな理由であれ、よそ行きの冷たい笑顔を見せるうちはあいつの名前で呼んでなんかやるもんか、という意思表示だ。向こうには伝わらないだろうが。
深く息を吸って、もう一度吐き出す。酒の匂いがさっきよりはっきり感じ取れた。思考にまだ少し残っていた
「わかった、サンタクロースだな。どうせ暇だったんだ、引き受けてやるさ」
どういう経緯でこんな戯言を言い出したのかはわからないが、少なくともこいつが目の前にいる。記憶を無くしたんだとしても、これから一緒にいて思い出していけばいい。そのためならこの程度の奇天烈な話にくらい乗ってやる。
そんな気持ちを乗せて、手を前に差し出す。
きっと俺のそんな決意なんて微塵も気づいていないんだろう。ユキは微塵もブレない笑顔のままで、その手を握り返してきた。
お互い冷え切った外にいた所は同じはずなのに、思わず握った手を確認してしまうくらいには冷たい手だった。
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