第2話 九谷宗一郎が『変』

「おい、どういうことだ未蕾みらい!」


 ちょっと、というかかなり怒ったような顔と共に宗一郎が教室に飛び込んできた。夏休みを目前に控えた七月の金曜の朝のことだ。


 普段ちょっとした会話ぐらいはするものの、ここまではっきりと名前を呼ばれることなんてなかったから、私もかなりびっくりしたし、恐らくそれ以上にクラス中がざわついたと思う。


九谷くたに君、おはよう。何、そんな大きな声で」


 愛想笑いと共にそう返すと、相変わらず『九谷君』呼びなのが気に入らないのもあるのか、鼻息荒く、どすどすと足を踏み鳴らして近づいてきた。よほど怒っているのだろう、顔が赤い。


「曜日変わったんなら俺に言えよ!」

「……はぁ?」


 何のこと? と続けようとして、気が付いた。曜日、っていったらあれしかない。図書室の当番だ。


「あぁ、違うよ。昨日はたまたま。内田さんが当番の日に用があるから代わってって。だから昨日だけだよ」

「本当か? 昨日だけなんだな? 代わったって、いつ」

「今日だけど」

「今日だな? 絶対今日だな?」

「何でそんなに念押すの? 今日の九谷君、変だよ」

「行くからに決まってるだろ」

「あ、そう……なんだ?」


 いや、別に何曜日だって利用したら良いじゃない。


「いいか、これからは曜日が変わる時はちゃんと教えろよ」

「わかったけど、何で九谷君にいちいち教えなくちゃいけないの」


 そりゃあ仲の良い友達なんかは、他の人には知られたくないような本を借りたり返したりしたい時などに私が当番の日を狙ってきたりはする。だけれども、宗一郎は図書室で読むだけで絶対に借りたりしないのだ。それで図書室を閉めるギリギリまで読んでいくもんだから、借りれば家でゆっくり読めるよ、と勧めたりしたのだが、


「履歴残るんだろ? 嫌なんだよ、そういうの」


 そう言われて終わりだった。


 何かのはずみでそれを他人に見られたら、俺の性癖がバレちゃうじゃん、なんておどけていたが、恐らく、そういうことじゃないと思う。たぶん宗一郎は努力をしているところを知られたくないのだ。皆からは、努力せずに何でも出来ちゃう天才、なんて言われているけど、本当は違う。彼は努力家なのである。


 とにかく、宗一郎は図書室で本を読んでいるだけなのだ。

 どこに何の本があるのかなんて聞かれたこともないし、こういう本を入れてほしいというリクエストもされたことがない。ただふらりと現れて、どこからか分厚い本を何冊か選んできては、それを黙々と読んでいるだけ。だから、当番が誰だろうが関係ない。

 

 ああそうか、私以外の人だったら、何を読んでいるのか詮索して来るかもしれないと思ったのだろう。いや、そんなマナー違反をするような人は図書委員にいないよ。


「別に九谷君が何を読んだって、いちいち詮索するような人はいないから大丈夫だよ」


 だから、そう言った。

 すると宗一郎は「はぁ?」と片眉を下げてぽかんと口を開け、何言ってんの未蕾、と首を傾げた。


「あれ、そういうことじゃないの? そういうのを気にしてるんだと思ってたけど」

「そんなのいちいち気にするかよ」

「そうなの? だったら別にわざわざ私の時に来なくても良いじゃん」

「嫌だね。俺は未蕾が当番の時にしか行かないって決めてるんだ。とにかく、決定だから。わかったな。ちゃんと事前に教えろ。絶対だぞ。じゃないともう図書室行かないからな」

「わかったって」


 別に宗一郎が来なくて困ることはないんだけど、と思いながらそう返す。いい加減そろそろ折れないと周囲の――主にカースト上位の女子の目が怖い。


 案の定、宗一郎が友達に呼ばれて自席に向かった後で、普段はほぼ接点のない子達に囲まれた。地毛です、なんてバレバレの嘘をついて髪を染めたり、目立たないように透明なピアスを入れているような子達だ。はっきり言ってちょっと怖い。


「藤沢さんって、何、宗一郎と仲良いの?」


 あくまでもにこやかなトーンだったが、目の奥が笑っていない。艶のある茶髪を耳にかけると、星の形をした透明なピアスが見えた。いくら透明でも、こういうのは『あいている』ことを知っている人間からすれば丸わかりなのである。


「仲が良いっていうか、家が近いってだけ」


 一応、表面上はにこやかなのだ、ならばこちらも友好的な態度で臨まなければならない。作った笑顔でそう返す。


「そうなんだぁ。へぇ。それじゃあさ、別にんだよね?」


 この場合の『何』というのは、ズバリ恋愛感情のことだ。

 そしてこれは、何もないんだよね? という確認ではない。


 何もないよね? あって良いわけがないよね? という牽制である。女子の世界というのは、額面通りに受け取ってはいけないのだ。裏の意味を、言葉の裏、笑顔の裏に隠された本当の意味を汲まなくてはならない。


「ないよ全然。私、どっちかっていうと、ほら、俳優の美冬みふゆ君みたいなのが好きだし」

「エーっ!? 何、藤沢さんああいうのが好みなんだー!」

「うん、ああいう、いかにもな美少年顔が好きなんだよね~」


 それは本当だ。昔から私は芸能人だと美少年顔が割と好きだったりする。なので、誰が好きだとかって話になったら、適当な美少年顔の俳優の名を出すようにしているのだ。

 日曜朝の子ども向けヒーロー番組の主役として、今年デビューした美冬綾人君は、まるで少女漫画からそのまま飛び出してきたような美少年で、ウチのクラスにも彼のファンは多い。


 彼の名前を出すと、どうやら疑いは解けたようだった。美冬君と宗一郎は見た目もキャラも全然違うから、安心したのだろう。


 疑いが解けてからもしばらくの間、他に好きな俳優は誰か、みたいなトークは続いた。そういう話が好きなのだろう、何とかっていうアイドルグループの誰それもお勧めで~、なんて話にまで発展したりして、それに同調しているうち、私はすっかり『美少年が大好きなミーハー女子』というレッテルを貼られてしまった。


 まぁ、嫌いではないし、それに、そう思われることで宗一郎との仲を探られたりしなくなるのなら、それも良いかな、って。まぁどれだけ探られても大したことは出て来ないけど。


 

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