九谷宗一郎の『変』

宇部 松清

第1話 九谷宗一郎は『変』

 私の好きな人は変わり者だ。


 何が変わってるって、例えば、歴代天皇とか歴代総理大臣とか歴代アメリカ大統領とかを全部覚えてるし、金物屋さんでいろんな種類のネジを買ってきて、それを何時間もスケッチしてたりもする。それから、ちょっとした手品も出来るし、ジャグリングやパントマイムも出来たりする。


 そして、私がなぜそんなことを知っているかというと、それは私が彼といわゆる幼馴染みという間柄だからだ。そんな都合の良い関係でもなければ、彼――九谷くたに宗一郎そういちろうと親しくなんてなれるわけがない。


 宗一郎は変わり者だけど、皆の人気者だ。いつも宗一郎の周りには人だかりが出来ていて、彼はその中心で楽しそうに笑っている。笑っているのは彼だけじゃない。彼を囲む人達も皆そうだ。


 ちなみに彼は特別恰好良いってわけじゃない。なんて言うと上から目線になっちゃうけど、クラスの女子の大半の意見でもある。

 細くて垂れ気味の目に、それとは逆に釣り気味の細眉。開けると案外大きな口に、小さめだけど高い鼻。それが宗一郎の顔だ。

 だけど、それがまた良いのだという女子も案外いるのだ。あんまり恰好良すぎてもね、ってことらしい。そして私の方でも、その宗一郎の顔は何か好きだ。味のある顔、っていうのかな。


 そんな超人気者の幼馴染みがこんな地味な私、というのがきっと彼の唯一の汚点なんだろうなって思ったりする。

 とはいえ、私にだって友達はいるし、別にハブられてるとかでもない。ただ、宗一郎ほど華やかな世界にいるわけではない、というだけで。

 

 だから、好きは好きなんだけど、例えばアイドルに対する好きと同じような『好き』であるように抑えている。例えば恋人になりたいだとか、そりゃあそうなれたら最高だけど、絶対にありえない。ちゃんと身の程ってやつをわきまえているのだ。


 そんな、幼馴染みという間柄であっても、住む世界が違うんじゃないかとまで思ってしまう超人気者の宗一郎と、定期的に一緒に下校することがある。


 それは、決まって私の図書委員の当番の木曜日だ。

 宗一郎は、誰も読まないような専門書をよく読んでいる。彼の指定席のようになっている、一番隅の、窓側の席に座って、黙々とページを追っているのだ。もちろん図書室なわけだから、黙々じゃないと困るんだけど、宗一郎の場合、普段は黙っていることの方が珍しいから、そういう時の彼に近づける人は案外いない。何だか近寄りがたくて。


 で、図書室を閉めるギリギリの時間まで読んでいるものだから、仕方なく退室を促すのである。


 すると、毎回「じゃ、一緒に帰ろうぜ」となるのだ。


 けれど、並んで歩いていても、会話のキャッチボールがあるわけではない。どちらかといえば宗一郎が一方的に話す感じだ。たまに弾むこともあるけど、今日はほとんど無言だった。そうして、寂れた商店街を通過した時のことだった。


「――あのさ、ずっと前から言おう言おうと思ってたんだけど」


 ちょっとふて腐れたような声だった。

 その声にドキリとする。

 何だろう。私、何かしたっけ。

 

「何?」

「何で学校だと『九谷君』なわけ」

「は?」


 眉をしかめて隣を見る。拳ひとつ分ほど大きい宗一郎は、その声色の通りにふて腐れたような顔をして私を見下ろしていた。


「昔は『宗ちゃん』『みいちゃん』の仲だったのに」

「いや、それならお互い様じゃん。私のこと『未蕾みらい』って言うじゃない」

「でも、俺は名前で呼んでるじゃん。なのに未蕾は『九谷君』って。何でだよ」

「だって」

「だって、何」


 むすっとふくれて、ふん、と鼻を鳴らす。宗一郎は案外子どもっぽいところがあるのだ。


「いや、クラスの女子とか、皆『九谷君』じゃん? 私だけ『宗一郎』とか呼ぶのどうかな、って。何か馴れ馴れしいっていうかさ」


 皆、というのは言い過ぎだけど。

 ちょっと派手めな子――いわゆる、カースト上位の女子は『宗一郎』って呼んでいる。だけど、私みたいなのがその子達と同じように『宗一郎』なんて軽々しく呼んではならないのである。別にそう言われたわけじゃなくて、要は、暗黙のルールというやつだ。


「何だそれ。意味わからん」


 宗一郎は眉間にしわを寄せて、首を傾げた。


「馴れ馴れしいも何も、俺ら幼馴染みじゃん。未蕾、知ってるか? 幼馴染みって『幼い』頃から『馴れ馴れしい』って書くんだぞ?」


 だとしたら『染み』の部分はどこに行ったんだ。

 幼い頃から馴染んでる、じゃダメだったのだろうか。


「そうだけど……」


 なんと説明したものか、と考えあぐねていると、宗一郎は、一体いつの間に仕込んでいたのか、手の中からパッと小さな造花を一輪出して、それを私に差し出した。


「俺はそんな他人行儀なの嫌なんだよ。一緒に風呂も入った仲だってのにさぁ」

「そんなの幼稚園の時の話じゃん」

「大して変わんないだろ」

「失礼な、変わってるよ。あのねぇ、私だってそれなりに――」


 と、つい口を滑らせてしまいそうになり、慌てて言葉を飲み込んだ。


「それなりに? それなりにどう変化したんだ?」


 宗一郎はさっきまでのふて腐れた表情を一変させ、ちょっと意地悪な笑みを浮かべている。おまけにちょっと腰を落として、私としっかり視線を合わせて。


「気ぃ~になるなぁ、俺ぇ。ここんとこ、制服姿の未蕾しか見てないし、果たしてどこまで成長しているやら。なぁ、今度もっとピタッとした服着てさぁ……」

「ばっ、馬鹿じゃないの! あのねぇ、そういうのって、アレよ、セクハラなんだからね! だいたい何で私が宗一郎のためにピタッとした服を着なくちゃいけないの!」


 こんなやりとりは何年ぶりだろう。

 昔はよくこうやってじゃれていたのだ。

 小学生くらいまではまだ私だって宗一郎のことを『宗一郎』って呼んでたし、一緒に遊んだりもしてた。だけど、いつからだっただろう。中学に入学した直後だったか、それとも二年生くらいだったか、ちょっとずつ宗一郎との差が開いていったのだ。気づけば高校二年生。さすがにもう昔には戻れない。


 盛り上げ隊長、ムードメイカー、天才、才能の塊。昔から彼の二つ名はたくさんあった。だけど、私には何にもない。脇役の中の脇役。きっと名前も与えられないようなエキストラの一人。宗一郎はしっかりと『九谷宗一郎』なのに。私は名前の通り、『いま』だ『つぼみ』なのだ。きっとこのまま咲かずに朽ちるのだろう。


 すると宗一郎は、やっぱりちょっとおどけて「見たかったのになぁ、割とマジで」なんて返すのだ。見たかったとか、そういうことをさらりと言えるから、宗一郎は女子に人気があるのだ。きっと宗一郎の周りにいる女子に同じことを言ったら、早速次の日にでも身体のラインが出るようなピタッとした服を着て彼の前に現れるはずだ。


 こんな話は引きずっていても仕方がないので、さっさと話題を変えた方が良いだろう。無言というのも気まずいし。


「……今日は何を読んでたの?」


 けれど私に振れる話題なんてせいぜいこれくらいだ。


「よくぞ聞いてくれた。実は最近、特殊メイクにハマっててさ」

「特殊メイク? 普通のメイクじゃなくて?」


 いや、普通のメイクでも十分『変』だけど。ああでも、プロのメイクさんって案外男性も多いんだっけ。だとすると別に変でもないのかな。ううん、だけど、やっぱり私の中ではメイクってやっぱり女性のものっていうか。いや、別に宗一郎が自分にするわけじゃないなら良いんだろうか。 


「そ。ほら、映画とかでやるようなやつ」

「いや、それはわかるけど。何でまた」

「面白そうじゃん。ちょっとやってみようと思って」


 ちょっとやってみようと思って。


 いつだって、そんな軽い言葉が始まりなのだ。


 だけど、宗一郎の『ちょっと』は私の――いやたぶんほとんどの人が考える『ちょっと』とは違う。

 確実に『ちょっと』なんて軽さに見合わないくらい完璧に仕上げてくるはずだ。いままでもそうだったから。


「ほんと宗一郎って『変』だよね」


 何か新しいことを始める度、そう言ってきた気がする。だって、その新しいことというのが、例えばギターとかバイトとか、そういう『同い年くらいの男子が始めそうなこと』じゃない。


 そして、そう言うと宗一郎も「だろ?」って満更でもない顔をするのだ。


 やっぱり今日も宗一郎は、ししし、と歯を見せて笑い、


「だろ?」


 と言った。


 これが五月のことだった。


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