第3章 第六天魔幼女、撃退す 4
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夜明け前に城館へと戻ったロゼリアは、マッシモ軍に対する警戒を怠らないように、同時に、ささやかでいいから祝宴の準備をするようにと宿老たちに命じてから自室へ引き揚げ、疲れた身体を寝台に横たえた。どれほど精神が高揚していようと、肉体は九歳の女児である。戦で山野を駆け続けたロゼリアは疲労困憊の体だった。あっという間に深い眠りに落ちた。けれどロゼリアは、早くも昼前に起き出してきた。周囲の者も驚く回復力だった。
「宴の準備はできているか、アルルよ」
忙しく立ち働くアルルビアンヌを見つけたロゼリアがそう声をかけると、彼女は動きを止め、深々と一礼した。
「はい、ロゼリア様。滞りなく」
アルルビアンヌも疲れているはずなのに、あまり疲労の色が見えない。
(大した女だ。儂の身の回りのことは此奴に任せておけば間違いなかろう)
そう思いつつ、ロゼリアは、うむ、と大きく頷いた。
この頃には、マッシモ家の兵は居館の周辺から完全に消え去っていた。
ロゼリアは臣下たちと祝杯を挙げ、食事を摂った。この宴にはロマネスコ家の勝利を内外に印象づけるという政治的な目的があったから、近郊の農民なども呼ばれて、城館前でワインや食べ物が振る舞われた。他にもルクルセギアに従って遠征に出たまま未だに戻っていない兵たちに帰還を促すという意味合いがあった。
昨夜の戦いでマッシモ家の嫡男、マシュージを討ったとはいえ、ロマネスコ家は先の遠征で敗退して兵力を大きく減じている。たとえ十人でも二十人でもいいから未帰還の兵に戻ってきてもらいたい、というのがロゼリアたちの本音だった。
ロゼリアは集まった家臣たちの前で最初の論功行賞を行った。
功一等としたのは、マシュージを討ち取ったガルドスタンと、本陣の位置を特定した情報収集の責任者、レイゼデルだった。功二等には、マシュージを発見して追い詰めた数十名の兵の名を挙げたが、そこに本陣位置の特定に繋がる情報を持ち帰ったコルテとエーメマインも含まれていた。情報を重視する信長の面目躍如と言えよう。
二人の侍女が大感激したのはもちろんだが、この褒賞は他の侍女や召使いたちなども奮い立たせた。
「ロゼリア様は、戦闘に出た兵だけでなく後方で働く我々にも目を配ってくださるし、働きを評価してくださる」
そう思った彼ら、彼女らは、大いにやる気を出し、同時に、改めてロゼリアに対する忠節を誓うのだった。
宴に続けてロゼリアは、勝利の報告会を最寄りの街の幾つかで催した。こちらは自分の姿を街の住民に拝ませ、その威光を印象づけるためのものだ。
あのお方が次の当主様なら、この街も大丈夫そうだ……と住民に思わせることが街の支配のためにも大事なことだった。美しく勇ましい鎧姿の自身を見せつければ、新たな兵の募集に応じる若者が増えるだろうという打算もあった。
(とにもかくにも失った兵力を補填しておかなくては、この先、何もできんわ)
それらの施策を矢継ぎ早に打ち出しつつロゼリアは、近隣諸侯や領内の有力者たちが送って寄越した戦勝を祝う使者との対面も滞りなく行った。
ロゼリアが引見した使者たちは、誰もが一様に、中年男のような彼女の話し方に驚いていたが、それ以上に、とても九歳には思えない貫禄ある態度と見る者を威圧するような目力に度肝を抜かれていた。
ロゼリアの中身が日本の天下人に変わっていることなど想像もできない使者たちは、主人の下へ帰るなり、こう報告することだろう。
「ロマネスコ家の新当主、噂以上の出来物でした」
「ロマネスコ家の新当主、恐るべき傑物でした」
「ロマネスコ家が潰れる可能性は限りなく小さくなったと見ていいでしょう」
一方、館内でも、ロゼリア見る家臣たちの目が、勝利前と勝利後では一変していた。苦々しい表情を隠そうとしなかった宿老たちでさえ、今や賞賛の目つきで新たな主人を見やっている。
(結果がすべて、ということよ。尾張でも、、、うつけだなんだと言われたが、今川を討ち破った後は、皆の見る目が変わった。要は結果を出すことだ)
その後、天下統一に邁進できたのも、結果を出し続けてきたからこそである。
ロゼリアがのし上がっていくためには、ここでも結果を出さなくてはならないということだ。そしてロゼリアには、その自信があった。それも当然、今の彼女には、天下人信長の知識と経験がある。そして若さも。
(儂はまだ九つだというではないか。儂が親父殿から家督を継いだときよりずっと若い。人間五十年だとしても、まだ四十年もある。この国どころか、この世界を統一するだけの時間はたっぷりあるでや)
だが、そのためには、もっとこの世界のことを知らなくてはならない。世界におけるロマネスコ家の立ち位置を把握しなくてはならない。
元々、信長は知的好奇心が旺盛な男だった。日本を訪れていた宣教師に対して様々な疑問、質問をぶつけ、彼らの話を食い入るように聞いたものだ。宣教師が持ち込んだ世界地図を見て即座に世界の現状を理解したとか、地球儀を前に彼らが世界が丸いことを告げると、理に適っていると答えた、などという逸話を持つ信長だが、そんな知的好奇心がここでも遺憾なく発揮された。
早速ロゼリアは、勝利の宴の翌日からアルルビアンヌを呼んで国の現状やロマネスコ家の立ち位置などについての勉強を始めた。周囲の者からすればロゼリアが知りたがっていることなど既知のことだから、何を今さらという思いだったが、彼女は熱心に調べ、尋ね、学んだ。
ロゼリアが知ろうとしたのは、政治や経済に限ったことではない。地理や自然、天候、そして魔法についてなど、じつに多岐に亘り、ロゼリアの家庭教師的な役目をこなしていたアルルビアンヌでも答えられないことが多くなった。仕方なくアルルビアンヌは、専門的知識を持つ人間を王都から招くなどして、ロゼリアの要求に応えようと悪戦苦闘するのだった。
ロゼリアは自分が学ぶだけでなく、情報収集のため、様々な場所へ配下を遣わせた。先の戦いで一敗地に塗れたマッシモ家がどう出るかはとくに気になったので、マッシモ領へ何人もの配下を送り込んだ。敵の勢力圏だけでなく、味方や臣下の支配地にも送り込んだ。やがてそのうちの一人が重大な情報を掴んでロゼリアの下へと戻ってきた。
ロゼリア率いる夜襲部隊が、攻め寄せてきたマッシモ家の軍勢を討ち破り、撃退したあの戦からひと一つき月ほどが経ち、季節は初夏になっていた。
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その頃に、ロマネスコ一族の屋台骨を揺るがせかねない重大な情報がもたらされた。ルクルセギア――ロゼリアの父親――の叔父に当たるレンドヴェリ・ロマネスコが、こともあろうにマッシモ家と通じているらしいことをレイゼデルと彼の部下が突き止めたのである。
ロマネスコ一族の傍流、縁戚は幾つもあったが、そのうち有力者は三名(三家)で、ルクルセギアの叔父と弟、そして姉の嫁ぎ先である。その中で最も実力のある者が叔父のレンドヴェリ・ロマネスコだった。ロゼリアから見れば祖父の弟であるから、かなり年が離れている。
弟、つまりロゼリアの叔父に関しては、なんの問題もなさそうだ。ロゼリアがマシュージを討ち取ったという報を聞くやいなや、即座に勝利を言祝ぐ使者を送ってきたし、祝宴の宴にも真っ先に駆けつけたほどだ。
ロゼリアの伯母については、家長である夫はロマネスコ一族ではないが、実力者である伯母がしっかり手綱を握っているから、こちらも問題はなさそうだ。ところが、分家最大の実力者であるレンドヴェリがマッシモ家と通じているかもしれないという。
さすがにこの情報に接したときはロマネスコ家の誰もが耳を疑った。宿老たちはもちろん、アルルビアンヌでさえ、何かの間違いではありませんか? と首を傾げたほどである。驚かなかったのはただ一人、ロゼリアだけだったが、今の彼女はレンドヴェリの人柄や性格など知らないも同然だから無理もない。
「火のないところに煙は立たぬと言う。もっとよく調べてみよ」
そう言って、さらなる情報収集要員を送り込んだ。その結果もたらされた新たな情報によって、レンドヴェリがマッシモ家と内通している可能性が高まった。
「レンドヴェリは五十を超えているそうだからな、こんな小娘がロマネスコ一族の総領では従う気になれんのだろうよ」
そう言ってロゼリアは笑ったが、宿老たちは眉をつり上げて彼女に迫った。
「笑い事ではございません。いったい、どうなさるおつもりか!?」
「ちょうどいい機会よ、一族内の不満分子を一掃してしまうとするか。その方が、今後の仕事がやりやすくなる」
「あ、はい?」
「こんな小娘には従えんと思っている者が他にもいるのではないか? という話だ」
そう言って、ロゼリアはにやりと笑った。
「少し前までのおぬしらも、その口だったのではないのか?」
、、、その口だった宿老たちは、狼狽しつつ、
「そ、そんなことは、ご、ございません」
と否定するだけで精一杯だった。
「ふはは、今のおぬしらの忠節は疑っておらんから安心せい」
そう言われ、思わず安堵の息をは吐いてしまうナイアゴルドやガジェンたちであった。
「というわけで、面従腹背の奴らを炙り出すとするか」
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