第3章 第六天魔幼女、撃退す 3
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頂上から少し下ったところに円陣を組んだ騎馬の一団がいて、周囲を取り囲んでいるロマネスコ兵と激しい攻防を繰り広げていた。円陣を組んでいる騎兵は三十騎ほどで、取り囲んで攻撃しているロマネスコ兵は七、八十人といったところだろうか。
騎兵三十と歩兵八十ならいい勝負、というより、むしろ騎兵の方が有利なはずだが、明らかに騎兵の側が劣勢だ。大事な何かを守ろうとしているのか、円陣を組んだまま少しずつ斜面を下がっていくだけで、その機動力を活かせていない。それを見てロゼリアはピンときた。
(あの動きは義元を守っていた旗本どもと同じだがや。あそこにマシュージがいる!)
円陣を組んでいる騎兵のうちの一頭が槍で突かれ、どうと横倒しになった。そうやって先ほどから騎兵の数は少しずつ減っているのだが、味方の兵からも彼らが振るう槍に突かれて傷つき倒れる者が何人も出ている。敵味方が接近しすぎていて、離れた場所から矢を撃つこともできない。
ロマネスコ兵に押されながらも、そして数を減らしながらも、それでも騎兵の一団は円陣を崩すことなく、じりじりと斜面を下りていく。怒声や絶叫、悲鳴が引っ切りなしに辺りに響き渡る。このままでは遅かれ早かれ城館を包囲している部隊に気づかれる。気づかれたら、たちまち援軍が殺到してくるだろう。包囲部隊に気づかれたら、そこで作戦は失敗なのだ。なんとしてもその前にケリを付けなくてはならない。
ロゼリアは抜き放った剣を高々と掲げた。
「あそこに敵の大将がいるぞ! 逃がすな! 必ず討ち取れえぇ!」
ロゼリアは、何度も何度も剣を振り下ろし、周囲の兵に突撃を命じ続けた。
「おお――っっ!」
「マシュージ・マッシモを討ち取れぇぇい!」
口々に喚きながら、一番隊の兵が包囲の輪に突入していった。包囲の輪は百二十人以上に増えたから、それまでなんとか堪えていた円陣は一気に崩れ立った。それでもマッシモ兵は勇敢に抵抗を続けたが、次々に討ち死にしていく。やがて周囲に散開していたロマネスコ兵も集まってきて、残りの騎兵は大波に呑まれる小舟のように、押し寄せてきたロマネスコ兵のあいだに沈んでいった。
「マシュージ・マッシモ、ロマネスコ家直臣、ガルドスタン・タンターレスが討ち取ったあぁあぁぁあ!」
闇を劈く絶叫が辺りの空気を震わせ、ロゼリアが思わず全身を脱力させると、アルルビアンヌが歩み寄ってきて弾んだ声をかけてきた。
「おめでとうございます、ロゼリア様。お味方の大勝利でございますね」
いつも厳しい顔を崩さないアルルビアンヌも、珍しく顔を輝かせている。が、ロゼリアはいったん緩ませた表情を引き締めた。
「まだ油断はできん。敵の大将は討ち取ったにしても、城館を包囲している主力は無傷なのだ。其奴らの出方次第では、どう転ぶかまだわからぬ」
もしも包囲網に勇猛な部隊長がいて、マシュージ様の仇を取れとばかりに夜襲部隊に向かってきたら、かなりきわどい事態になる。
(こちらに儂がいることまでは知らんはずだから、マシュージを討ち取った今、城館へ逃げ込めば追いかけては来ないだろうが……儂を逃がすために味方の兵に犠牲が出るのは避けられぬ)
と考えれば、普通なら自分だけでもさっさと城館へ戻ろうとしそうなものだが、ロゼリアはそうは考えなかった。勝利を確実に大勝利へと押し上げるため、さらにもう一押しすべき。それがロゼリアの出した結論だった。
「よし、アルル、行くぞ!」
「あ、はい。え? どちらへ……」
戸惑うアルルビアンヌを無視して、ロゼリアは味方の輪の中へと走った。
「者ども、勝ち鬨を上げよ! 大将を討ち取ったことを叫べ! 前方にいるマッシモ兵どもに大将を討ち取ったことを教えてやるのだ!」
そう命じながら、ロゼリアは味方の兵に声をかけて回った。
あちこちで勝ち鬨が上がり、同時に、
「マシュージ・マッシモ、討ち取ったりいぃ!」
の雄叫びが、城館の手前で陣を敷いているマッシモ軍部隊に向けて放たれた。
丘の斜面に立つロゼリアの周囲に、一番隊の兵が集まってきた。アルルビアンヌやヨナもやって来た。
「叫べ叫べ! 我らの勝利を敵に知らせるのだ!」
ロゼリアが煽ると、兵たちは大地を揺るがすような歓声と雄叫びを轟かせる。やがて雄叫びは勝利を祝う大合唱に変わっていった。
「「マシュージ・マッシモ、討ち取ったりいぃぃ!」」」
「「「マッシモ家、敗れたりいぃぃ!」」」
「「「ロマネスコの大勝利いぃぃ!」」」
闇を劈いて轟く勝利の大合唱は、間違いなく敵陣へ届いたはずだ。
少しのあいだ月を隠していた雲の塊が流れていくと、輝く二つの月が再び姿を現した。手を振り上げ、足を踏みならす味方の兵を銀色の光が照らし出す。月光は丘の周辺にも遍く降り注いでおり、彼方にロマネスコ家の城館が儚げに浮かんでいるのが遠望できた。その手前には千ほどのマッシモ軍部隊が陣を敷いているが、陣営を離れる兵が出始めたのがロゼリアのところから見て取れた。
周囲で続く大合唱を聞きながら、ようやくロゼリアは勝利の喜びを実感した。
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ロゼリアが喜んだのは束の間だった。
(さて。このあとどうするか早々に決めなくてはならん。まずは、あれだが)
ロゼリアは鋭い目つきで眼下のマッシモ軍主力を睨んだ。
月が明るくても深夜のことだから遠目には判然としないが、陣の内外を兵士が勝手に走り回っているように見えるから、マッシモ軍が混乱しているのは確実で、今や彼らは統制の取れない烏合の衆へと堕してしまったようだ。
(ここも日本も同じだがや。これなら追撃される虞はないな)
総大将の義元が討たれると、今川の大軍も、まさに蜘蛛の子を散らすように尾張領内から逃げ去っていったものだ。その際、信長は今川軍を追撃しなかったが、したくてもできなかったというのが本音だった。兵力も足りないし、尾張領内もまだ完全に固まっていない。信長としては自分の足下を固めるので手一杯だったのである。
勝利の後、信長が選んだのは、敗れた今川の領地を侵食することではなく、東の抑えとして、義元配下の武将として活動していた三河の松平元康(徳川家康)と同盟を結ぶことだった。目先の損得に目を奪われていたら、当主が討たれて弱体化した今川の所領を切り取ることに注力しそうなものだが、信長は敢えて東には進出しなかった。
自分が向かうのは西、すなわち京である、というのが信長の狙いだった。京へ向かうことが、天下を統一し、ひいては日本を統一することに繋がるのだという戦略眼を信長が持っていたからで、当時、誰も持ち得なかった画期的な視点だった。実際、信長以外の戦国大名は領地拡大のための戦に明け暮れるばかりだったのだ。
ちなみに、当時「天下」と言えば、普通は今の近畿地方一円を意味する言葉だった。信長も「天下布武」という言葉を使うときはその意味合いで使っていたはずで、天下を手中に収めた後に日本全土を統一する、という段階が構想としてあったに違いない。しかし、天下を統一した信長は、日本を統一する寸前に明智光秀の謀反によって日本史上から消えてしまったのだが。
もう一つ、ちなみに。若き日の信長と家康によって結ばれた同盟は、信長が本能寺の変でたお斃れるまで二十年の長きに亘って続くことになった。同盟関係など鳥の羽より軽いという風潮の戦国時代においては、なんとも希有な事例だった。
それはさておき、すでに一度、似たような状況を経験し、そのことを覚えていたロゼリアは、決断を下すのに悩むことはなかった。
(ますは足下固め。と同時に、ロマネスコ家を取り巻く状況、近隣諸侯の力関係などをもう一度詳しく調べて、この頭に叩き込む必要がある。マッシモ家にどう対応するかを決めるのは、その後の話だな)
ロマネスコ本家を存亡の危機から救ったロゼリアを排斥しようと考える者は、もはや家中にいない。当面ロゼリアはその手腕を思う存分に振るうことができそうだ。
追撃を恐れる必要がなくなった夜襲部隊五百――死傷した兵はごく少数だった――は、整然と隊列を組んで城館に戻っていった。深夜、ひっそりと脱出路から出て行った夜襲部隊だが、夜明け間近の今は、堂々と隊列を組んで正門から戻ってきた。兵たちはみな晴れがましい顔をして胸を張り、弾むように行進している。勝利の喜びと興奮を抑えきれない。そんな気持ちが足取りの軽さに現れていた。
正門から入城した夜襲部隊は、城館に残っていた留守部隊の兵や侍女、使用人たちから万雷の拍手で迎えられた。先頭を歩くロゼリアに向けて賞賛の言葉が投げかけられ、拍手喝采が沸き起こった。
「ロゼリア様、万歳!」
「大勝利、おめでとうございます!」
「ロゼリア様こそロマネスコ家の救世主だ!」
「ロゼリア様はいくさ戦め女がみ神です!」
いつも仏頂面――というと言い過ぎかもしれないが――をしているアルルビアンヌでさえ満面の笑みで出迎えの者たちに手を振っていた。正門から城館へと続く小径の両脇に立ち並んだ臣下や使用人の声に、ロゼリアは笑い出しそうになってしまう。
(戦女神とはな。儂は第六天魔王として恐れ嫌われた男だというに。やはりこの見た目が影響しておるのだろうな。だが)
ロゼリアは軽く口の端をつり上げた。
(見た目が変わろうと、儂の本質は変わっておらん。この地の者どもは、いずれそれを思い知ることになるであろう)
尾張守護の重臣の、そのまた重臣の息子。そんな弱小の地位から尾張を、そして天下を統一してしまった信長の凄みが一瞬だけ垣間見えたが、そのことに気づいた者は誰もいなかった。
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