第3章 第六天魔幼女、撃退す 2

(どれ、儂もひと踏ん張りするか)


斜面を登りながら、ロゼリアは傍らを駆け抜けていく兵士たちに声をかけ続けた。


「行け行け、敵の本陣はすぐそこぞ!」


「手柄を立てるのは今をおいてないぞ!」


「手柄を立てた者には、儂が未来永劫の富貴を約束しよう!」


 ロゼリアは声を限りに叫び続けた。走る兵はみな興奮していて、果たしてロゼリアの声が耳に届いているかどうか大いに怪しかった。仮に届いていたとしても、彼女が何を言っているかまではわからないだろう。それでも、ロマネスコ家の新当主が自分たちと共に最前線にいて指揮を執っているという事実は、彼らを勇気づけ、元気づけた。ロマネスコ兵の誰もが身体の奥から新たな力が湧いてくるのを感じながら突進した。


 二番隊、三番隊、四番隊の合計四百が丘の頂上に殺到し、少し遅れてロゼリア自身が率いる一番隊の百も、敵の本陣に乗り込んでいった。


 ロゼリアは眉を顰め、周囲を見渡した。頭上で煌々と輝く二つの月の光のおかげで、丘の頂きは隅まで見通せる。すでに敵本陣は味方によって総崩れとなっていた。逃げるマッシモ兵をロマネスコ兵が追いかけ、切り伏せ、突き倒す。ロゼリアの眼前にそんな光景が展開されている。ロマネスコ兵の多くは、逃げ惑う敵兵を追いかけ殺すのに夢中になっているように思えた。


(敵の大将を討ち取らねば、雑兵などいくら殺しても意味がないのだ)


 ロゼリアが、かっと目を見開いた。


「雑魚には目をくれるな――っ! 狙うは大将首一つぞ――っ!」


 とはいえ、興奮した兵たちの耳には、やはりロゼリアの声は届かない。


「一番隊は儂につ従いて来い!」


 そう叫ぶと、ロゼリアは前方へと走り出した。


 敵の大将――マシュージ・マッシモが逃げるとしたら、行く先は、前方にいる味方の部隊しかない。マシュージがこの丘から無事に逃げ出し、城館を包囲している友軍の中に逃げ込んでしまうと、立場は逆転してしまう。数で劣るロマネスコ軍は追撃できない。追撃どころか、正面口を受け持つマッシモ軍一千が反撃してきただけで蹴散らされてしまうのは確実。北や東を押さえている部隊まで集まってきたら、包囲されて全滅しかねない。だから、なんとしてもここでマシュージを討ち取る必要がある。


「ヨナよ、槍を持て!」


「はいっ!」


 盾を置いたヨナが背負っていた槍を差し出すと、ロゼリアがはっしと掴んだ。それはロゼリア専用の槍で、え柄の長さは他の兵が持っている物と比べて極端に短かった。


(せめてこの倍の長さは欲しいところだが、この身体では、振るうどころか、持つことすらできんな)


 内心で自嘲の笑いを漏らすと、短い槍を携え、ロゼリアは丘の頂上の縁に立ち、丘の向こう側を見下ろした。ところどころに雲は出ているが、月は隠れていなかった。二つの満月が照らす月明かりのせいで、辺りは朧な銀色に煙っている。


「アルルよ、斜面を下るぞ」


 承知! と答えたアルルビアンヌは、一番隊の兵士に向かって鋭く叫んだ。


「一番隊、遅れるな! ロゼリア様の露払いをせよ!」


 すぐに若い兵たちが、わらわらとロゼリアの前方へと進み出た。


「敵の大将の居場所を探すのだ。何人か先の様子を探ってこい! 旗指物などは下ろしているだろうが、立派な鎧を着ている奴を見逃すな!」


 丘を下りていけば城館を包囲している敵部隊に近づくことになる。包囲部隊が向かってきたらかなり危うい局面が出来上がるが、それでもマシュージを討ち取ることを優先するべきだとロゼリアは判断した。


 そこかしこで斬り合いが続いているが、勢いは明らかにロマネスコ側にある。マッシモ兵の抵抗は散発的で、組織だった反撃は皆無だった。そのとき、ロマネスコ兵から逃げていくマッシモ兵数名が、斜面の右手から現れ、眼前を横切ろうとした。


「あれを近づけるな!」


 盾と剣を構えたアルルビアンヌが敵兵に突進していく。遅れてなるものかと、周囲にいた兵も駆け出した。


 現れたマッシモ兵は四人で、寄っていったロマネスコ兵は十数人もいたから、たちまち三人までが討ち取られたが、残りの一人は包囲の輪をかいくぐって逃げだそうとした。ロゼリアは脱兎の勢いで斜面を駆け下り、逃げていこうとするマッシモ兵の脚を狙って槍を突いた。ただの一兵卒のようだから完全武装はしておらず、鎧の隙間は各所にあったが、小柄なロゼリアとしては脚が狙いやすかったのだ。


「とりゃっっ!」


「ぎゃっ」


 左足を槍で突かれ、短い悲鳴を上げてマッシモ兵が転倒すると、駆け寄ってきた三人のロマネスコ兵が三本の槍を同時に突き立てる。たちまちマッシモ兵は絶命した。


「お見事で、ございます!」


 弾む息を抑えて戻ってきたアルルビアンヌが褒めそやすと、集まってきた兵からも、次々と歓声や賞賛の声が上がった。


「馬鹿者! そんな雑兵はどうでもいいのだ、早く大将の居場所を突き止めよ!」


 ロゼリアの叱咤に、集まってきた兵が慌てて散っていく。


(まさか、もう逃げ出してしまったのではあるまいな)


 そんな余裕は与えなかったはずだが、マシュージというマッシモ家の嫡男が並の人物より遙かに有能だった場合、あるいは並の人物よりずっと臆病だった場合、騒ぎが起きた時点で一目散に逃げ出した可能性はある。そして、そのまま城館を包囲している部隊に逃げ込んでしまったら。


(そうなれば、この戦は負けだがや)


 さすがのロゼリアにも、というか信長にも、焦りが出てきた。


 敵の大将を討ち漏らした場合どうするか、ロゼリアは決めていなかった。もう一度、城館へ逃げ込むか、それともこのまま戦場から走り去り、どこかで再起を図るか。だが、あの狭い脱出路では、夜襲に加わった五百が揃って戻るのは不可能だ。それどころか、脱出路の存在が知られれば、敵が追いかけてきて城内へ侵入されてしまう。城門を開けさせて逃げ込むのは、もっと駄目だ。追撃してくる敵を城内に招き入れるようなものである。では逃げるか? しかし、逃げたところで今のロゼリアに行く当てはない。普通なら親族衆の誰かの居館へ逃げ込むのだろうが、馬もない状況では逃げ出せるとは思えない。よしんば逃げ切れたとしても、逃げ込んだ先で身柄を拘束され、本家を潰す代わりに分家の存続は許してくれ、などという駆け引きの材料に使われるだけだろう。


(つまり、ここで勝てなければ儂も終わりということだ。尾張から来ただけに、これで終わりだ。笑えるのう。いや、笑っている場合ではないがな)


 ロゼリアには、ここで腹を切るつもりも捕まるつもりもない。敗れても、逃げて再起を図るのが大将たる者の役目である。小さな戦闘に何度負けようと、最後に戦争に勝てばいいのだ。


(いざとなれば鎧を脱ぎ捨てて走るか。もし捕まっても、マシュージとやらの慰み者にされるくらいで、殺されることはなかろう。であれば、再起の可能性が潰えるわけではない。女子として男に蹂躙されるのは初めての経験だが、人間五十年、一度くらいそんな経験をするのも面白かろう)


 開き直るようにロゼリアが笑った、そのとき。


「いたぞおおお! マシュージ・マッシモと親衛隊を見つけたぞおおおぉ!」


 そんな絶叫が斜面の下方から聞こえてきた。本当に相手がマシュージなのかどうかはわからない。もしかしたら、マシュージを逃がすための囮だということも考えられる。だとしても、見逃すわけにはいかない。


(本物のマシュージとその供回りだという可能性に賭けるしかない!)


「者ども、儂に続け!」


 ロゼリアは槍を放り出して身軽になると、斜面を駆け下った。近くにいたヨナが慌てて捨てられた槍を拾う。


「一番隊、遅れるな! ロゼリア様に続け続け!」


 アルルビアンヌの叫びに答えるように、周囲にいた五十を超えるロマネスコ兵が斜面を転がるように駆けていった。

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