第2章 第六天魔幼女、夜襲す 4
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ロゼリアが考えたのは、城館から敷地の外に通じている緊急時の脱出用地下道を使っての夜襲だった。アルルビアンヌから館とその周辺の詳細を聞いたとき、これは何かに使えるかもしれないと心に留めておいた脱出路だったが、使う機会が早々に訪れたというわけだ。
ロゼリアの、つまり信長の策はこうだ。
館にいる兵士六百のうち五百を夜中に脱出路を使って館の外に出し、敵の本陣に奇襲をかける。これは敵の予想を超える兵数である上、相手は夜襲など警戒していないのだから、効果は絶大なものとなる。敵が本陣をどこに置いたかはまだ確定できていないが、地形的に見て候補地は限定される。レイゼデル配下の物見部隊が探り当ててくれるかもしれないし、陣を訪れた商売女たちからコルテとエーメマインが何か情報を聞き出してくれるかもしれない。最悪、突き止められなくても、当たりはつくのだから、ロゼリアは出撃するつもりだった。脱出用の地下道はかなり長く掘られていて、指揮官がよほど離れた場所に本陣を置かない限り、本陣の背後、あるいは側面を襲える。深夜に五百で奇襲されたら本陣が大混乱を来すのは確実だ。
ロゼリアは、さらなる効果を狙って、もう一つの策を施した。夜襲の準備を進めているときにマッシモ軍が使者を送ってきたので、それを利用しようとしたのである。
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ロゼリアは引見するために使者を本館へ迎え入れたとき、城門から本館に至る小径の周辺と本館内に配置した兵の数を、わざと減らしておいた。そのため、使者が見たのは城門内側にいる十名ほどの兵と本館の出入り口を警備する数名の兵くらいだった。城館に入っても、使者は館に詰める兵士とすれ違うことがなかった。
使者は開城交渉に入る同意を取り付けるのと同時に、城館内の状況を――具体的にはロマネスコの兵がどのくらい残っているのかや、彼らの士気は高いのか低いのかなどを――確認してくることも任務の一つだったので、城門を潜ったときから鵜の目鷹の目で内部の様子を観察していた。そして見事にロゼリアの用意した策に策に嵌まった。
開城交渉についてはロゼリアから、明日の昼まで待ってくれ、と言われたため、使者は特段の駆け引きをせずに退出したのだが、城館内の様子はしっかり探ることができた……と本人は思っていた。しかし、見かける兵の姿が少ないことも、どこか寂しい城館内の雰囲気も、ロゼリアが用意した紛い物だったのだ。
「開城交渉については明日の昼まで待ってくれと言われました」
本陣に戻った使者はそう言った後、続けて城館内の様子を報告した。
一通りの報告が済むと、マシュージは改めて使者に訊いた。
「城内には何名くらいの兵がいた?」
「わたしが見る限り二百足らず、多くても三百はいないのではないでしょうか」
その数字はマシュージの読みと合致していた。
(多くても三百足らずという状況なら、徹底抗戦をしてくるはずがないな)
マシュージだけでなく、副官グレイブダン以下、幹部すべてが同じ考えだった。その残り少ない兵たちがなぜ逃げ出そうとしないのかは謎だったが、戦意の低い兵はすでにあらかた逃げ出していて、忠誠心の高い兵だけが残っているのだろうと推測し、あまり深く追求することはなかった。
このようにロマネスコ本家の城館を巡る攻城戦の序盤は、完全にロゼリアの作戦勝ちに終わることになった。もっともマッシモ家側の誰一人、自分たちが作戦負けに陥っていることなど、露ほども思っていなかったのだが。
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マッシモ家の使者を帰すと、ロゼリアは配下の兵たちに出撃準備を急がせた。この頃には敵の陣営付近で商売女に接触させたコルテとエーメマインから連絡があり、本陣の在処を特定することができた。
(これで勝てるわ!)
その報せにロゼリアが奮い立つ。
「儂の槍を持て!」
「本当にロゼリア様も出撃なさるおつもりですか?」
「無茶にもほどがありますぞ」
「どうか城館にお残りください」
ナイアゴルドやガジェンたちは、なんとかロゼリアを諫めようとしたが、彼らの制止を聞くようなロゼリアではない。最後にはルクルセギアの妻=ロゼリアの母親まで担ぎ出して主君を思い止まらせようとした
「今は儂がロマネスコの当主である。
と母親を睨みつけ、黙らせてしまった。
母を母とも思わないような娘の態度と、以前と余りにも違う娘の言動に恐れをなした母親は早々に退散してしまい、宿老衆の目論見は空を切ったのだった。
(常識に囚われた
今川義元が率いる大軍が尾張に迫ったとき、軍議の席で、籠城するしかありませんと主張した重臣たちを思い出し、ロゼリアは、というか信長は、内心で
(儂は貴様らより、よほど百戦錬磨の男ぞ……いや。今は
思わず笑い出しそうになるのを抑えたロゼリアは、鋭い視線で一同を見回した。
「儂が出ると足手まといになると言いたいのか?」
ロゼリアに睨まれ、宿老たちが上体を引いた。九歳の童女の
「い、いえ、そうは申しませんが、あまりに危険すぎます」
「ロゼリア様にもしものことがあれば……」
「マッシモ家に降伏する際の手土産がなくなるか?」
皮肉の笑みを浮かべたロゼリアが、改めて宿老たちの顔をゆっくりと見回すと、彼らは一様に押し黙った。
(駄目だな、こいつらは。どのように和睦を結べばロマネスコ家が存続できるか、自分たちが生き残れるかということしか考えておらん。いま膝を屈すれば、当面は家が残っても、いずれマッシモ家によって潰される。儂は虜囚となるだろうし、儂に代わる新たな当主は時機を見て殺されるだけよ)
おとな宿老たちは役に立たない、とロゼリアは結論づけざるを得なかった。となれば、頼りにするのは若手の家臣たちだ。実績も発言力もないが、ロゼリアを盛り立て、この苦境から脱しようという意欲の高い家臣たちだ。ロゼリアはその辺りもアルルビアンヌから情報を得ており、何人かの若い家臣とはすでに話をしていた。今回の夜襲でも、これはと目星を付けた若手に部隊の指揮を任せようと思っている。この辺り、たとえ器が違っても中身は織田信長だと言うしかない。出自に拘らず家格に拘らず、譜代の家臣か否かに拘らず、これはと思った人物を取り立てていった信長の面目躍如だった。
ロゼリアが後を継いでから僅かな時間しか経っていないが、今や若い兵たちは彼女に心酔しており、ロマネスコ家の未来のためにも新当主ロゼリアを支えていこうと大いに盛り上がっている。城館内にはそんな熱気が充満していた。そうなると
(こんな夜襲が成功するはずない。失敗して
(痛い敗戦を喰らえば、おとなしく開城交渉に応じる気になるだろう)
(ロゼリア様の無茶な策の巻き添えを喰って怪我をしないように気をつけよう)
というのが、この時点での宿老たちの本音だった。
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