第2章 第六天魔幼女、夜襲す 2

「これを見よ」


 その用意周到さにガジェンは少し驚いた。これを軍議の席に用意させていたということは、ロゼリアはすでに策を練り終えているということだ。


(それに素早い。兵は拙速を尊ぶとはよく言われる。であれば、ロゼリア様には指揮官としての思考力や決断力があるということになるが……いやいや、どうなのだろう)


 ガジェンは、ロゼリアがこれから話そうとする内容に少しだけ興味を持った。


「今から儂の策を伝える。軍議の後、直ちに兵を動かす支度を始めよ」


 地形図を指し示しつつ、ロゼリアは出撃が既定の路線のようにそう断言した。そしてにやりと笑い、こう付け加える。


「儂の策どおりに戦えば、勝利は疑いなしである」


 2


 マッシモ家の側からすると、遠征してきた敵方の大将をまんまと討ち取って大勝利を収めたのだから、その勢いにまかせて敵の本拠地を衝くとういう作戦は、選択肢として「有り」だろう。休む間もなく強行軍を強いられる兵士たちに肉体的な疲労が蓄積されるのは確実だが、それでもここは押すべきだとマッシモ軍の指揮官は判断したわけで、その判断は間違ってはいないとロゼリアも考える。


(もっとも、それが正解、というわけでもないがな)


 マッシモ軍は先の戦いでロマネスコ家の当主を討ち取っているのだ。おまけに跡継ぎは十歳足らずの小娘なのだ。不倶戴天の敵とも言えるロマネスコ本家を討ち滅ぼす絶好の機会が巡ってきたとマッシモ家側が勇み立つのは、むしろ自然な流れだった。だからこうして、二千以上の兵を率いてロマネスコ本家の居城へ押し寄せてきている。


「ここまでは読み筋である」


 居館の食堂に臨時の指揮所を設けたロゼリアは、食卓上に広げた絵地図を睨むように見入っている。


「まず為すべきことは、情報の収集ぞ。敵の兵数を正確に把握せねばならん。敵の指揮官が誰なのかということもだ。その指揮官のマッシモ家における立場も知りたいところだな。敵兵の疲労度や兵の士気の高低なども確認しておきたいところだ」


「そのような悠長なことをしている余裕がございますか?」


 宿老のナイゴアルド以下、みな疑わしそうな顔だが、ロゼリアは諭すように言った。


「敵情の正確な把握こそが勝利のためにもっとも大事なことよ。寡を以て衆に当たるとなればなおさらだ」


 ナイゴアルドたちはわかったようなわからないような曖昧な顔つきで頷いたが、ロゼリアの言葉を理解できた者はいそうになかった。一方、ロゼリアは、いや織田信長は、情報の重要さを誰よりも知っていた男だった。


 尾張まで侵攻してきた今川の大軍を討ち破り、総大将・今川義元を討ち取れたのも、事前の情報収集で義元の本陣がどこにあるかを把握していたおかげなのだ。今川とのおお大いくさ戦の後の論功行賞で信長は、義元に一番槍をつけた兵より、義元の首を取った兵より、情報収集に当たっていた部下に大きな褒賞を与えたという。戦時における情報の価値を信長がどれほど重要視していたかを示す逸話である。そんな経験を積んできた信長だ、情報収集に手を抜くつもりはなかった。たとえ居城が敵勢に包囲されるという危急存亡の事態になっても。いや、危急存亡の戦いだからこそ、勝利するためには情報が必要だと考える。織田信長とは、そういう男なのだ。


 ロゼリアはめぼしい若手の中から選んだ臣下を呼び出し、敵陣の様子を探れとじき直じき々に命じた。情報の価値を今一つ理解していない宿老たち任せていては、お座なりの仕事になるだけだろうと、そこを危惧したのだ。


 ロゼリアは足載せ台から足を離して床に降り立つと、呼びつけた若手の家臣を、睨みつけるような鋭い目で見上げる。


「よいかレイゼデル、物見の兵を五十名、用意させた。貴様が指揮を執れ。物見部隊を率いて敵の兵数、陣立てを探ってくるのだ。敵も物見を配しているだろうが、可能な限り近づいて敵情を探れ。できれば本陣がどこにあるかも突き止めよ。ただし、無茶はするな。貴様の仕事は、集めた情報を持ち帰って儂に報告することだ。敵に見つかりそうになったら、戦おうなどと考えず、一目散に逃げよ」


 レイゼデルは少し意外そうな顔になったが、すぐに頭を下げ、復唱した。


「は! 敵の兵数や陣立てを探り、本陣を突き止め、必ず戻ってロゼリア様にご報告をいたします」


「うむ。五十名はまとまって動くには多すぎる。適当に分割して使え。その辺は貴様の裁量に任せる」


 任せると言われ、レイゼデルは感激の色を露わにした。それはロゼリアが自分を信頼してくれていることを示す言葉だ。


「承知いたしました!」


 レイゼデルが大股で食堂から退出していくと、ロゼリアは侍女のコルテとエーメマインを呼び寄せた。アルルビアンヌから情報収集には適任との推薦を受けている二人だ。


「おぬしらは敵の陣営近くまで出向き、敵陣に出入りする女と話をしてこい」


 侍女服姿の若い二人が要領を得ないという顔でロゼリアを見つめたので、彼女は顔を顰めた。


「これだけではわからんか。つまり敵陣に春をひさぐ女が出入りするかもしれんから、其奴らに同業者を装って近づき、陣中で何かめぼしい話を聞かなかったかということを訊いてこい、ということだ」


「あぁ! なるほど、そういうことでございましたか」


「無理に訊き出そうとすると怪しまれる。あまり強引にならぬよう気をつけよ」


「承知いたしました」


「アルル、二人にそれらしい格好をさせて送り出せ」


「承知してございます。みすぼらしくはなく、華麗でもなく、それでいて艶っぽい感じで見繕っておきます」


(やはりわかっておるな、アルルは)


「うむ。任せたぞ」


 ロゼリアが満足そうに頷くと、深々と低頭したアルルビアンヌが、コルテとエーメマインを連れて退出していった。


 さてと、と言ってロゼリアが椅子に座り直すと、身に着けている鎧が、がちゃりと金属音を立てた。足載せ台に両足を載せたロゼリアは鋭い目つきに戻り、その場に残った宿老や隊長たちの顔をゆっくりと見回した。


「必要な情報がもたらされるまで、少しばかり時間がかかるだろう。それまで戦の準備を怠りなく進めておけ」

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