第2章 第六天魔幼女、夜襲す 1

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 ロゼリアの予想どおり、マッシモ家の手勢はロマネスコ本家の城館にまで押し寄せてきた。その数、ざっと二千四百。ただ、城館に籠もっているロマネスコ側は、その正確な兵数を把握できていない。この時点では、寄せてきたマッシモ軍は二千を超える軍勢、という認識だった。それに対してロマネスコ本家側は六百しかいないから、相手が二千だとしても兵力比は一対三・三、実質的には一対四になる。


 奇襲を受けて当主を失い、ちりぢりに敗走した千五百のうち、城館までたどり着いた者は僅か三百しかいなかったことになるが、では残りの兵はどうなったのか。討ち取られたか、逃げる途中で、あるいは怪我をして動けなくなったところを捕らえられたか、それとも今もどこかに潜んでいるか。もしかすると、主を失ったロマネスコ家を見限り、どこかへ走り去ってしまったかもしれない。いずれにせよ、ロマネスコ本家の総兵力は大きく減じることとなった。


 数字を見れば野戦での勝ち目は薄い。おまけに彼我の勢いの差もある。となると籠城するしかないという結論になる。ここは曲がりなりにもロマネスコ家の本拠地で、城館を囲む立派な城壁もある。六百で籠城すれば、二千を超える相手であっても抵抗できるだろう。並の者ならそう考えるところだ。しかしロゼリアは……というか、彼女の中身である織田信長は、籠城などはな端から考えていなかった。

 城館の食堂に集めた主だった者を前にロゼリアは、討って出る、と断言した。


 集められたのはナイアゴルドとガジェンの他、スメルツァとオゥデリオという遠征に出ていたしゆく宿ろう老が二人、そして部隊長格のマルデッツとキルギステンの六人だが、スメルツァとオゥデリオには当主を討たれたのに自分たちはおめおめ逃げ帰ったという負い目がある。二人にはこの場での発言権など、ないも同然だった。両名ともロゼリアと目が合わないように、終始うつむいたままである。


 ロゼリアは銀色に輝く甲冑を着込んでいたが、ナイアゴルドとガジェンは平服だった。兵士であるマルデッツとキルギステンは常に武装しているから、当然、この軍議の席でも軍務服を着用しているが、戦から戻ったばかりのスメルツァとオゥデリオも平服なのだから、宿老たちの戦闘意欲の低さが見て取れる。


 討って出るというロゼリアの言葉に、六人は驚きのあまり目を剥いた。


「二千以上を相手に六百で討って出るなど、無謀の極みです」


「ルクルセギア様を失った今、ロゼリア様にも万が一のことがあれば、ロマネスコ家はそれでしま終いでございますぞ」


「兵どもの士気は著しく低うございます。城外での決戦など無理な相談。ここは城館に籠もり、守りに徹すべきです。敵は兵糧を持ってきていないはず」


「敵は勝ちに乗じております。勢いに乗っております。一方、我が方は意気消沈しております。ただでさえ兵数は相手の方が多いのに、これでは勝負になりません」


 スメルツァとオゥデリオ以外の四人が次々に反対の声を上げたが、ロゼリアは少しも動じず、甲高い声で、そこよ! と一声上げたので、四人はたちまち口を噤んだ。


「そ、そことは、どこのことでございますか?」


 留守を任されていたナイゴアルドが怪訝そうな顔で訊いてきた。


「こちらの兵は意気消沈しておるのに、城に籠もっていても状況の打開などできまい。どころか、ますます兵の士気は下がり、逃げ出す者が続出するだけよ」


「まさに仰るとおりです。しかし、討って出たからといって……」


 兵の士気が上がるわけではない、と言いかけたナイゴアルドをロゼリアが遮った。


「籠城が下策である理由は他にもある」


 ロゼリアは居並ぶ幹部を睨めつけるように視線を動かした。彼女も大人用の椅子に腰掛けているが、座面の位置が高すぎて足先が床に届かないので、足載せ台を床に置いて、台に足裏を載せている。威厳がないことこの上ない姿だが、それでも彼女の目には力があった。ある者はそっと視線を外し、ある者は小さくため息をつ吐き、別のある者は天を仰いだ。スメルツァとオゥデリオだけはうつむいたまま顔を上げようともしない。臣下の反応を確かめると、ロゼリアはおもむろ徐に言葉を継いだ。


「後詰めの来ない籠城など、しても勝ち目はない」


「ですが、籠城しているあいだに親族衆の援軍が来るやもしれません。配下の小領主どものうち、まだ兵を抱えている者に動員をかければ……」


 ナイアゴルドは必死の形相で食い下がったが、そんな彼をロゼリアは鼻で笑った。


「援軍が来る? 本当にそう思っているのか?」


「あ……それは、その……」


 答えに詰まったナイアゴルドから目を転じると、ロゼリアは他の五人を見やった。


「後詰めが来ると本気で思っている者は手を挙げい」


 手を挙げるどころか、誰も身動ぎ一つしなかった。


「儂の父が健在なら、親族衆も援軍を送ろうと考えるだろう。小領主どももな。だが、後を継いだのは、こんな小娘だからな」


 ロゼリアは自らを指さして、くくく、と嗚咽するように笑った。


「ロマネスコ本家も、もう終わり。今が見限り時だ。自家の生き残りを最優先に考えて行動しよう。それが奴らの本音であろう」


 誰も何も言わなかった。彼らもそう考えていたからだ。いつロマネスコ家を見限ってマッシモ家に寝返るか。手土産は何を用意すればいいか。軍議の出席者たちの腹の中でそんな打算が渦巻いていることを、ロゼリアはよく知っている。何しろ彼女の中身は織田信長、裏切り、離反、打算、弑逆しいぎやく、それらを嫌というほど経験してきている。主君を討たれた家臣が、あるいは非勢に追い込まれた領主の家臣が、腹の中で何を考えているかなどお見通しだ。


 彼らの多くは、自家の存続のために新たな主君を選ぼうとする。誰の下に付けば自家が存続し繁栄するか。それが、彼らが第一に考えることだ。戦国時代には「武士は二君にくんに仕えず」などという儒教的観念など無いも同然だったから、それも当然だ。


ロゼリアの甲高い声だけが、静まりかえった軍議の場に響く。


「兵どもも同じこと。援軍の来る可能性がない籠城戦に耐えられるはずもなかろうて。いずれ逃げ出す者が続出するだけよ。だからこそ討って出て早急に決着をつけることが肝要なのだ。あと一戦なら耐えられよう。兵も、ぬしらもな」


 そう言うと、ロゼリアは薄い皮肉の笑みを浮かべた。ロゼリアの視線を感じ、六人は思わず首をすくめる。今度はガジェンという宿老が訊いてきた。


「ですがロゼリア様、討って出るにしても兵数が違いすぎます。城館を囲んだ敵を押し返すことができましょうか。下手をすれば押し包まれて全滅の憂き目に……」


「兵数の違いはさしたる問題ではない。ルクルセギアが、父が討たれたために我が軍は総崩れになったのだろう? 敵も同じことよ。寄せてきた軍の大将を討ち取れば、それだけで敵は逃げていく」


(話にならん。たったの六百で大将を討ち取ることなど無理な相談。ロゼリア様は頭のいいお子ではあったが、しょせん書物で知識を得ただけ。実戦というものを知らない。けい軽けい々に討って出ても、多大な犠牲を出した挙げ句に押し返されるだけだ。それどころか全滅する虞もあるというに)


 ガジェンの見立ては完全に誤っている。繰り返すが、ロゼリアの中身は天下人、織田信長。誰よりも実戦の経験があり、誰よりも勝利を積み重ねてきている。が、宿老たちにロゼリアの中身を見抜くことなどできっこないから、そこは致し方ない。


 話にならんと思いながらもガジェンが続けて話を聞こうという気になったのは、ロゼリアがあまりにも泰然自若としていたからだ。


(何か秘策があるというのか? それも机上の計算に過ぎないかもしれんが、いちおう聞くだけ聞いてみるか。いざというときは我が配下に取り押さえさせて軟禁しておけば、交渉時の切り札にはなるだろう)


 と思ったガジェンは、ロゼリアがどんな策を用意しているのか確かめようとした。


「こちらは六百、寄せてきたマッシモ兵は二千以上いるように見えます。ロゼリア様はどのようにして敵の大将を討ち取ると仰るのですか」


 そんなガジェンの問いかけに、ロゼリアは内心でせせら笑う。


(六百で二千を超える兵が相手か。ふん、一万八千を率いて尾張には侵い入ってきた今川義元を二千で討ち取ったときに比べれば、どうということはない数字だがや)


 しかし、それをここで言い立てても始まらない。戦国時代以降の人間なら日本の誰もが知っている、あの桶狭間おけはざまの戦いを知る者など、ここには一人もいないのだから。だからロゼリアはこう言った。


「館の見取り図と、館周辺の地形図を用意した。アルル、これへ」


「はい、館様おやかたさま


 アルルビアンヌは、敢えて「お館様」と返事をした。今やロゼリアがロマネスコ家の当主となったことを、軍議に出席している幹部たちに改めて印象づけるためだ。


 アルルビアンヌとヨナが見取り図と地形図を持って進み出てきて、食卓の上に広げ、そして下がっていった。

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