第1章 第六天魔幼女、降臨す 4
5
正門を潜ったところで転がるように馬から降りた急使は、声を限りに絶叫した。
「ルクルセギア・ロマネスコ様、討ち死に――っ! ご当主様、討ち死に――っっ!」
衝撃的な知らせを受け、守衛が館に向かって駆け出した。館に飛び込んだ兵は、怒声のような咆哮を放ちつつ館の中を駆け回る。
「ご当主様、討ち死に――っ!! ご当主様、討ち死に――っっっ!!」
夜中にも拘わらず、館の中は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。寝ていた者が次々と起き出してきたが、誰もが衝撃の報に接して適切な行動を取れないまま右往左往するだけだった。ロゼリアも館内を駆け回る兵の叫び声を耳にしたが、彼女は慌てることも騒ぐこともなく、冷静な口ぶりで侍女長に命を下した。
「使者から詳細を聞いてこい。当主が討ち死にしたとあらば、率いていた兵どもは敗走したのだろうが、其奴らがどこを目指して逃げているのかはしか確と確認しておけ」
実の父親が討ち死にしたという衝撃的な知らせを受けたのに少しも動じることなく、臆することもなく、悲嘆にくれることもなく、平然とそんな命令を下したロゼリアに、アルルビアンヌは内心で舌を巻く。
それも当然、ロゼリアの中身は、天下人、織田信長なのだ。親族の死など何度も経験している。実の弟、
「他の家臣どもがうるさく騒いでいるかもしれんが、儂の、ロゼリアの命令だと言って黙らせよ」
「は!」
アルルビアンヌが勢いよく寝室から駆け出ていくのを見送ると、ロゼリアはヨナに向き直った。
「ヨナよ、儂は自分の鎧兜を持っていたか?」
「ははは、はいっ、お持ちでありました」
「では、それを持参せよ。そして儂に着せよ」
「えっと……?」
「早くせよ。儂は受けた命令を実行しようとせん
ロゼリアに睨まれ、ヨナは跳び上がった。
「たっ直ちにぃっっ!」
そのまま彼女は脱兎の勢いで部屋から飛び出していった。
「よりによって儂が蘇った直後に、儂の父親でロマネスコ家の当主が討ち死にとはの。なかなか笑えん状況よ。儂自身の記憶をゆっくり思い出す暇もないわ」
ロゼリアは正式な跡継ぎ候補だったというから、当主が討ち死にした以上、順当なら彼女が跡を継ぐことになるが……。
(まずは家中の動向を探らんとならんか? 儂の後継に反対するおとな宿老がおれば、何か手を打つ必要があるか? 当主を失った兵や将がどう考え、どう動こうとするかも見極めねばならんし、敵方……マッシモ家だったか? それに通じようとする者がいれば排除せねばならん。敗走してくる兵たちを収容し、まとめる必要もある)
いつの間にか必死で頭を働かせ、対応策を巡らせている自分に気づいて、ロゼリアは苦笑を浮かべた。
(やれやれ。儂はもう死んだというのに、生前と変わらぬ
状況はかなり悪そうだ。すぐに手を打たなくてはならないだろうに、決断するために必要な情報が少ないのが気がかりだ。信長は転生したばかりで、この世界のことを何も知らないのが、なおいっそう状況を厳しくしている。
(が、なんとかなるであろうよ。
6
四半時――三十分ほどでアルルビアンヌが戻ってきた。部下の侍女二人を連れて寝室に戻ったヨナが、ロゼリアに鎧を着せている真っ最中だった。
「かまわん。話せ」
ヨナたちの手を止めることを嫌ったロゼリアに促され、アルルビアンヌが使者から聞いた内容を報告し始めた。
「……ということでありました」
報告の内容は以下の通りだった。
ルクルセギア子爵方の千五百は、配下の者の領地に侵入してきた五百の敵勢を蹴散らした。敗走していく敵勢を壊滅させるべく、子爵は先頭に立って追撃した。ところが、少し追いかけたところで伏兵に急襲され、子爵勢は大混乱に陥った。そこを狙って突進してきたマッシモ家の精鋭に撃破され、乱戦のさなか、子爵は討ち取られてしまった。伏兵は千ほどもいたらしい。最初に逃げた部隊が五百で、さらに突撃してきたのが一千。マッシモ家は二千五百もの兵を動かしていたのだ。周到に用意された罠に、子爵は見事に嵌まってしまったわけだ。子爵討ち死にを知った配下の将兵は算を乱して逃げ惑い、多数が討ち取られた。使者はすでに戦地を離れていたので、その後のことはよくわからない。
「討ち死にした兵の数は?」
「判然としないということでありました」
「敗走した兵はどうしたか」
「それも伝令が陣営を出た後のことですので、把握できていないそうです」
「で、あるか。まぁ当然だな。とはいえ逃げ帰る場所が他になければ、この館を目指して走っているのであろうが……」
ロゼリアは低く唸るように言葉を継いだ。
「何人くらい戻ってくるかは、数日経ってみないとわからんな。最悪、半数以下ということもあり得るか」
そのとき、ヨナが大きな声を上げた。
「ロゼリア様、お鎧、着せ終わりました!」
「うむ、ご苦労」
華奢な身体には重い鎧を、ロゼリアが見下ろした。神々しく銀色に光る金属製のプレートアーマーだ。
(儂が着ていた南蛮鎧に似ているな。これならそれほど違和感はない。まぁ、この身体だから重たく感じるのは致し方ないが。いずれもう少し身体を鍛えた方がいいな。だが、それは後の話だ)
顔を上げたロゼリアは、眼前に片膝をついて頭を垂れているアルルビアンヌに落ち着いた声で言った。
「敵方の敗走は罠だったな。緒戦に勝った子爵は、まんまと欺かれ、危地に誘い込まれたのだろう」
「そ、そのようなことが!?」
目を丸くしてロゼリアを見上げているアルルビアンヌに向かって、ロゼリアは重々しく頷いた。
「間違いあるまい。が、今は我が父の迂闊さを責めている場合ではない。アルルよ、今この館に将と兵は如何ほどいる?」
「
「となると。半数が逃げ戻ってきたとしても、合わせて一千か。もし敵勢が追撃してきたら不味い……いや、二千五百もの兵を用意し、
ごくり、とアルルビアンヌが唾を飲む。
「マッシモ家は攻め寄せて参りますか」
「来るであろうな。このままマッシモ家の軍勢が迫ってきたら、館にいる兵どもは我先にと逃げ出すであろうよ」
ぐ、とアルルビアンヌが唇を噛んだ。
「では、ロゼリア様も脱出のご用意を! ご親族の城館に逃げ込んでしまえば、当面、敵は手を出してこないでしょう」
「親族の城に逃げる? それでは助かっても再起は叶わぬだろうに。むしろ自家の生き残りを優先する親族によって売られる虞があるわ」
親子兄弟が相手でさえ平気で裏切るのが常の戦国時代を生きていた信長には、親族を頼って逃げ延びる気など毛頭なかった。
(事実、武田が滅んだのも、おとな宿老である
親族だろうと古参の忠信だろうと、旗色が悪くなれば裏切る可能性がある。信じられるのは自分だけ。自分の手で苦境を打破し逆境を切り開からない限り、未来などない。信長はそうして戦国の世を生き抜いてきたし、ここでもそうするつもりだった。
「案ずるな、アルルよ。押し寄せてくるマッシモ家の軍勢、儂が打ち破ってやろう」
アルルビアンヌもヨナも顔を輝かせた。
(なんと心強いお言葉。普通なら与太話に思えるところですが、このロゼリア様なら、やってくださるかもしれない)
このロゼリアは以前より切れ味鋭く、以前より迫力があり、以前より落ち着き払い、以前より状況判断に優れ、以前より人を惹きつける力がある。
(それも一度死にかけたおかげ……ということなのかな。いえ、真相はともかく、ロゼリア様がそう仰ってくださったこと、本当に心強い。お館様討ち死にの報を聞いたときはロマネスコ家もこれで終わりかと絶望的な気持ちになったものだけど、絶望どころか、希望はある。大いにある)
アルルビアンヌは感激の面持ちでロゼリアを見やった。
「わたくしもヨナも最後までロゼリア様に付き従います。どんなことでもお命じになってください」
「うむ、期待しておるぞ。まずは」
ロゼリアが一歩を踏み出すと、金属製の鎧がガチャリと鳴った。
「この館におる将と兵をまとめなくてはならん。兵たちはどうしておる?」
「兵の多くは、使者のいる城門前に集まって騒いでおりました」
「統率は取れていたか?」
というロゼリアの問いに、アルルビアンヌの表情が曇る。
「いえ……あまり……」
「ふむ。留守居役のナイゴアルドとガジェンとやらに統率力がないのか、それともすでにやる気をなくしているのか。いずれにせよ、兵どもを掌握しないことには、この先、何もできん。では行くぞ、アルル、ヨナ」
部屋を出て行こうとするロゼリアの背中に、アルルビアンヌが慌てて声をかける。
「ロゼリア様! 行くとはどちらに、でありましょう?」
「決まっておろう。兵の集まっているところに、だ」
「!」
「
「はい、承知いたしました」
「ヨナは儂の刀……剣を持ってつ従いてこい」
「しょ、承知いたしました!」
アルルビアンヌとヨナの二人を従え、鎧姿のロゼリアは颯爽と歩き出した。
7
アルルビアンヌとヨナを引き連れた鎧姿のロゼリアが姿を現し、城門前の広場で騒いでいた兵たちをよく通る甲高い声で一喝すると、彼らは即座に鎮まった。押し黙り、息を呑んで自分を見つめる兵たちに向かってロゼリアは、ロマネスコ家を継ぐことを宣言した。同時に、押し寄せてくるであろうマッシモ家の軍勢を撃退することも宣言した。その落ち着いた態度は九歳の子供と思えなかった。彼女の態度を見ただけで、兵たちは不安が薄れていく気がした。その迫力ある声音は、とても九歳の子供と思えなかった。その声を聞いただけで兵たちは闘志が湧き上がってくるような気がした。
ロゼリアは、意気消沈し、あるいは混乱していた兵たちを、たちまちのうちに掌握し、自らがロマネスコ家の新当主であることを認めさせてしまった。とうてい九歳の童女にできる所業ではなかったが、それもそのはず。肉体は幼くとも、中身は天下人、織田信長なのだ、類い希なる人心掌握術は彼の基本性能の一つである。
遅れて姿を見せた宿老のナイアゴルドとガジェンも、すでに兵たちが認めてしまった以上、異を唱えることなどできなかった。こうしてロマネスコ家の新当主となったロゼリアは、矢継ぎ早に兵たちに命令を下し始めた。やがて勝ちに乗じて押し寄せてくるであろうマッシモ家の軍勢を撃退するために。
ロゼリアに声をかけられたり背中を押されたり腕や肩を叩かれたりした兵たちは奮い立ち、全員一丸となって防衛戦の準備に奔走するのだった。
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