第1章 第六天魔幼女、降臨す 3

 ロゼリアに言われ、侍女長は顔を上げた。


「恐れながら申し上げます。貴方様は重篤な病に罹られ、生死の境をさまよった挙げ句、その……今夜、身罷みまかられたのでございます。しかしながら、こうしてロゼリア様が起き上がっているのですから、医士の見立ては間違いだったわけでございますが」


(なるほどな。この女子おなごは死んだところだったのか。空っぽになった器に、儂の魂が飛び込んだと。魂が……そんなものがあるのなら、だが、入り込みやすい状況ではあったわけか。それでも、なぜこの女子なのかという疑問は残るが)


 そんな思いを巡らせつつ、ロゼリアは小さく口の端をつり上げた。


「医者の見立ては、あながち間違ってもいなかったかもしれんぞ」


「は、はい?」


「つまり、儂は、ロゼリアは、本当に死んだということよ」


「い、いえ、貴方様は今、こうして生きていらっしゃるではありませんか」


「だから、一度死んで蘇ったのではないか、という話よ」


(しかも、蘇った儂は、こうしてぴんしゃんしておる。理由はわからぬが、ロゼリアの死因となった病は、今の儂には影響しておらんようだな。ならば、そこは捨ておいても問題なさそうだ)


 アルルビアンヌは目を白黒させているが、ロゼリアはかまわず話を先に進めていく。


「で。儂がこうして生き返ったことをか家じん人は知っているのか? 儂の父、母は、知っているのか?」


「うっかりしておりました。ご当主様はまだご存じではございません。ご当主様はただいま遠征中でとう当やかた館を留守にしておりまして」


 当主が遠征中なのは、当然、ロゼリアも承知しているはずだが、彼女の記憶に障害が出ているとなると、その事実を忘れているかもしれない。そう考えたアルルビアンヌは、敢えて既知の事実を報告した。


「一刻も早くロゼリア様がご無事であることを、ご当主様にお知らせしなくてはなりません。すぐに急使の手配をしなくては。ご母堂ぼどう様にもお知らせを……」


 そう言って腰を浮かせかけたアルルビアンヌを、ロゼリアが押しとどめた。


「慌てなくともいい。儂は逃げはせん。今のところ、もう一度、死ぬ虞もない」


「は、はい、ロゼリア様がそうおっしゃるのでしたら」


 浮かせかけた腰を戻し、片膝を床に落とし、侍女長はまた低頭した。


「でありますれば、まずはお召し物を着てはいただけないでしょうか」


 というアルルビアンヌの言葉で、ようやくロゼリアは自分が裸のままであることを思い出した。


「それもそうよな。よし、何か着せよ」


「はい、直ちに」


 アルルビアンヌはロゼリアの数ある衣装の中から、比較的地味で動きやすそうな物を選んで、衣装箪笥中か持ち出してきた。ロゼリアは自分で着る気がないようだったが、貴族の子女ともなると普段から服を着るのも脱ぐのも召使いや侍女任せだから、アルルビアンヌはとくに怪しみもせず、主人に下着やら衣装やらを着せ、靴を履かせていった。ロゼリアは着付けが終わるのを待つ間、何をするでもなく、アルルビアンヌに声をかけるでもなく、じっと考え込んでいた。


「ロゼリア様、終わりました」


 というアルルビアンヌの声で、ようやくロゼリアが身じろぎした。


「ふぅむ。この着心地は……いいような悪いような。慣れ親しんでいるような初めてのような。げに不思議な感覚よ」


「はい? 何か仰いましたか?」


「気にするな、ただの独り言だ。それより儂の父親は遠征中だと言ったな。どこで何をしているのか。連れて行った兵力はどれほどか。敵の兵力はどれほどか」


 そんなロゼリアの矢継ぎ早の質問に、アルルビアンヌは即答した。


「ご当主様は与力衆の領地に侵入した敵対勢力を駆逐するために遠征されました。侵入したのはマッシモ家の手の者で、兵力は五百と聞き及んでおります。ご当主様が出陣されたのは三日前でして、自ら千五百の兵を率いてのご出陣でございます。目的の場所までは、兵を率いてとなりますと急いでも二日はかかります故、ちょうど今頃、マッシモ家の軍兵と戦っているかもしれません」


 簡潔で的確な返答を聞き、ロゼリアはアルルビアンヌの有能さを確認した。


(そうでなくては侍女長なぞ務まらんだろうがな。それより気になるのは)


「よくあることか?」


 ロゼリアの質問は必要最小限の言葉だったから、アルルビアンヌは一瞬、返答に詰まったが、すぐに彼女が、今回のような軍事遠征はよくあるのかということを訊いているのだと理解した。


「マッシモ家とは長らく互いの境界を巡って争っております。今回もこれまでと同様、土地を巡っての小競り合いだと思われます」


「どのくらいで戻ってくる?」


「いつもでしたら、侵入した敵勢を追い払った後、マッシモ家の動きを探り、彼の地の守りの手配を済ませた後にお戻りになりますから、そうですね、もう数日……早くても二日、長ければ、あと四日ほどかかると思われます」


「で、あるか」


「ただ、ご母堂様はロゼリア様が身罷られたことを報せる急使を送っておりますから、もしかすると、もっと早くにお戻りになられるやもしれません」


(だとしても、戻りは明日以降だな。ならば、このロゼリアという女児のこと、及びロマネスコ家のこと、そしてロマネスコ家が置かれた状況などを習い覚えるだけの余裕はあるということだ。それまでに必要な情報を入手しておくか。いや、その前に)


「アルルよ、儂と母親の仲はどうか?」


「え? あの、どうか、とは、どういう意味でございますか?」


 頭がよく理解の早いアルルビアンヌも、この問いには目を白黒させるばかりだ。


「つまり、仲はいいのか悪いのか、ということを訊いている」


 ロゼリアがわざわざそんなことを訊いたのは、信長が実母のど土た田ご御ぜん前とは険悪と言ってもいい仲だったからで、もしかするとここでも、と思ったせいなのだが、アルルビアンヌにそんなことがわかるはずもない。


「も、もちろんよろしゅうございます。ロゼリア様が身罷られたとき……身罷られたと思われたとき、ご母堂様のお嘆き具合は尋常ではございませんでした」


「そうか。ならば、とりあえずそこは気にせんでもいいか」


 アルルビアンヌが思い切り怪訝そうな顔で自分を見つめてくるが、ロゼリアは委細かまわず言葉を継いだ。


「アルル、儂は死にかけて蘇ったおかげで、どうも記憶に障害があるというか、思考が錯綜しているというか、いろいろと混乱があるようだ。そこで生前の儂……という言い方も少し変だが、儂が儂であることを取り戻すために協力してくれんか。うしろの侍女もな」


 実際、記憶に障害はあるのだ。未だに霧がかかったような見通せない部分が頭の中にあって、それが信長を少しばかり苛立たせる。


 ちらっと背後に視線を走らせたアルルビアンヌは、すぐに顔を戻して答えた。


「ヨナ、でございます」


 それも初めて聞くにしては馴染みのある名前だった。


「で、あるか。では、アルルとヨナよ。儂が儂であるために協力してくれ」


「ロゼリア様の御ためでありますなら、如何様いかようなことでも」


 そう答えるアルルビアンヌの背中でひたすら床を見つめていたヨナも、かくかくと首を前後に揺らせた。


「では、とりあえず今宵は儂の生い立ちを教えてもらおうか。それとこの家、ロマネスコ家だったか、この家についての詳細と現状、あとはそうだな、ロマネスコ家の主筋や敵対勢力などについても知っておきたいものだな」


 アルルビアンヌは眉をひそめて首を捻ったが、ロゼリアが以前のロゼリアとは明らかに様子が違っているのは彼女にもよくわかる。それは本人が言うとおり、死にかけた際の悪影響が出ているためだろうから、怪訝に思っても疑いはしなかった。アルルビアンヌは、ロゼリアの過去やロマネスコ家が置かれている状況、ロマネスコ一族本家の居館であるこの館などの説明を始めた。


 侍女長の説明にロゼリアは、「で、あるか」「なるほど」「やく益たい体もない」「それは使えそうだな」などと呟いて、頷いたり眉をひそめたり小さく首を振ったりしていた。アルルビアンヌの説明だけでは足りないと思ったときは、適宜、質問を挟んできた。ロゼリアがいちばん引っかかりを見せたのは、アルルビアンヌが「魔法」や「魔法士」といった言葉を使ったときだった。


 彼女に魔法についてざっと一通り説明させたロゼリアは、最後に、


「ここには火縄銃、鉄砲といった類いの武器はあるか?」


 と訊いたが、今度はアルルビアンヌが首を捻る番だった。


「はい? ヒナワジュウ……テッポウでございますか?」


「ないようだな。よし、だいたいわかった」


(火縄銃はない。逆に儂の知らない魔法というものがある。ば伴て天れん連どもが言っておった、デウス神の力、デウス神の秘技などというものを連想させるが。この国は……いや、この世界か? どうやら儂の知っている世界とは成り立ちが根本から異なっているのやもしれん。今さら何があっても、もう驚かぬが……不可解極まりないことではある)


「魔法というものについては、いずれ、より詳しく説明を受けねばならんな。説明だけでなく、実際に我が目で確かめてみる必要もある」


「あ、はい、承知いたしました。その際には、ヨナが役に立つかもしれません」


「ほう?」


 ロゼリアに睨むような視線を向けられ、ヨナが首をすくめた。


「ヨナは、魔法士の資質がございまして、自己流ではございますが、魔法の修練を積んできております」


「ほほう?」


「とはいえ、誰か師についているわけではなく独学での習得でありますので、難易度の高い魔法は使いこなせません。というより、難易度が低くても、現状、使いこなせてはいないのでありますが」


「なるほど。魔法とは誰か特定の師匠の下で修行するものなのか」


 ロゼリア(の中の信長)は、若い頃に橋本一巴はしもといつぱの下で火縄銃の修行をしたことを唐突に思い出した。あの頃はまだ、火縄銃が潜在的に持つ戦闘力に注意を払っている者などほとんどいなかったが、信長は即座に、この武器は使えると判断したのだ。


(懐かしきことよ)


「それが習得の一番の近道でございます」


「どうしてヨナは師につかなかった?」


「あ、あの、わたしの家は貧乏で、師匠に習えるほどのお金がありませんでした」


 冷や汗を掻きながら、ヨナがそう答えると。


「そうか。では、そのうち師を選ぶがいい」


「え? あの、でも」


「そのための金は儂が用立ててやろう」


「いぇえぇぇ?」


 ヨナが驚愕に顔を歪めて仰け反った。


「それほど驚くことか?」


「でっ、ですが、魔法士の師匠の下で修行するとなりますと、その、けっこうなお金が入り用になりますです」


「それはロマネスコ家で出す。あとで返せとは言わん」


「ありがたき幸せ~~」


 ヨナが平伏し、アルルビアンヌも頭を下げた。


「ご配慮、痛み入ります」


「かまわぬ。その代わり魔法を習得したら、儂のために使え」


「しょっ承知してございます~~」


 床に正座したまま額を床に擦りつけるヨナに、ロゼリアは苦笑する。


「もうよい。それよりアルルよ、話を戻そう」


 ロゼリアが視線をアルルビアンヌに戻すと、ヨナは感激の面持ちで顔を上げた。ロゼリアを見つめる彼女の胸に湧き上がったのは、強い感謝の念と熱烈なる忠誠心。ヨナは改めて、このご主人様のためなら命を懸けてご奉公ができる、という思いを強くしたのだった。


「次にロマネスコ家とそれを取り巻く周辺諸勢力について教えてもらおうか。この国についてもな」


 ロゼリアに促され、アルルビアンヌは、ロマネスコ家と周辺諸勢力の関係性や、この国と周辺諸国との関係性などを駆け足で説明していく。適宜、ロゼリアが質問を挟みながら二人の質疑応答が三十分ほど続いた頃のことだ。突然、館に駆け込んできた急使の衝撃的な報せによって質疑応答は中断を余儀なくされた。

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