ノー・イグジスト

稲光颯太/ライト

ノー・イグジスト

 とてもとても嫌いな人ができて、そいつを殺してやりたくなった。

 ある日知人に、

「(僕の嫌いな人)とお前って、何となく似てるよねー。いや、顔つきとかじゃなくて、性格とか、もっと人間的な部分が」

と言われてしまった。

 心臓で鳥肌が立つように不快だった。

 これはもう、あいつを殺してやらなくては。いや、元から存在しなかったことにしなくては、僕は一生、死ぬほど嫌いなあいつに似ていると認識され続けることになる。

 一人の人間を、殺すだけではなくそもそも存在していなかったことにする為にはどうすれば良いのだろう。

 僕は考えた。

 そこで思いついたのは、その存在を知る人(もちろん、本人も含む)をこの世から消し去るのが良いのではないか。僕自身はあいつを心底嫌いなので殺す必要はない。死なずとも、あいつなど存在しなかったと思い込むことができる、と僕が確かに信じることができる唯一の存在が僕であるからだ。屁理屈みたいに聞こえるだろうか。まあいい。

 よし、ではあいつを知っている人間を全員殺そう。時間はかかるだろうけど、このままでは僕が不快で死んでしまうだろう。そうすると僕は果てしなく嫌いなあいつに殺されたということになるのだから、この上なく悔しい。それだけは絶対に回避しなくてはならない。

 そういう風にみんなを殺すには、あいつ本人からでなくあいつを知っている人間から殺していくのがいいだろうな、と僕は考えた。

 僕とあいつが通っている大学はあいつの出身地から結構遠い。そのくらい遠い場所から殺していけば、真の目的があいつであるなんて警察も気付くはずがない。ほら、よくあるではないか。連続殺人事件の発端となる事件に注目すれば、犯人の狙いが何なのかわかるってやつが、ドラマとかで。その逆を行えば僕の真の目的があいつであるなんて気づきもしないだろう。だから僕はあいつを知っている人を、四方から囲うように殺していって最後にあいつを殺してやろうと決めた。

 しかしここにきて僕は二つの問題に思い当たった。

 一つは警察の存在がどうしても邪魔だということ。

 もう一つは、戸籍の問題だった。

 この国で、あいつの存在した証拠を消すには戸籍を消すのが一番早いのかもしれない。逆に言うと戸籍さえ消してしまえば、生きている人間でさえ存在しないことにもできる。しかしそれでは「法律上は」という話にしかならないので実体も殺しておかなければならない。そしてその存在を知る人たちも。そしてまた逆に言えば、殺すだけでは充分でなく戸籍も消してしまわなければならない。

 どうやって戸籍を消してやろうか。

 一番確実で穏便に済ます方法は、僕がこの国の戸籍を管理するような立場の人間となって、裏でこっそり消してしまうことだろうけど、それだとあまりにも気長に待たないといけない。時間をかけてもという決意はあるのだが、あまりにも僕の性に合っていない方法でうんざりする。であるならば、戸籍を管理する人たちを一人残らず殺して戸籍を書き換えるか、脅して書き換えさせて殺すか。まあ、それはどちらでも良いので臨機応変にやるとしよう。

 と、いうような決定をした後に、やっぱり邪魔になるのは警察だった。

 誰か一人でも殺した時点で警察は僕の邪魔になり始めるのは目に見えている。たとえ一番最初にあいつを殺しても、あいつを知る存在を全員殺すなんて夢のまた夢なのだ。と、すると何はともあれ警察官の皆殺しを決行しなくてはならない。そうすれば代わりの警察官が決定されるまでは確実に時間を稼ぐことができる。その間に急いであいつを知る人間を殺していけば何とかなるだろう。

 よし、では最初にすることはなんだろうか。自分の決定したことを順を追って考えていくと、あいつを知る人間のリストアップということになった。

 少し残念なことに僕はもう大学生だ。つまり同級生であるあいつも大学生な訳で、それなりに人付き合いも増えてしまっていた。社会人になってしまっていなかったことが不幸中の幸いかもしれない。


 そういうことで、僕はまず、あいつを知る人間のリストアップを始めた。

 これはかなり苦痛だった。そのリストアップの際にあいつの身辺状況を聞く為にあいつ本人に話しかけなくてはならないし、周囲にもあいつのことを聞かなくてはならない。本当はあいつが笑ったりため息ついたりしているのでさえ僕のストレスになるので、僕の目の前で僕に向かって話しかけるあいつは、何かしらの悪意で徹底的に吐き気を与えてくる機械のようであった。

 気の遠くなるような我慢を続けてようやくリストアップしたあいつの知人は、憶測も含めて三万八千二十四人にも及んだ。何しろ大学の人間は問答無用で殺さなくてはならないし、あいつの親族の知り合いであいつを知っていそうな人物・または実際に知っている人物となると、とりあえずはこの数に落ち着いた。あいつのバイト先に訪れた事のある人も、あいつのツイッターのフォロワーもとにかく可能な限りは殺しておかなくてはならない。そこに無関係な人が含まれてしまったとしても、それはそれであいつを知っている可能性がある人、いや、人であればあいつを知っている可能性があるので、その可能性を一つでも多く潰せるのなら喜ばしいことだと思う。きっとこのリストアップじゃ少ないのだろう。実際はこの十倍はいるのかもしれない。

 何はともあれ、ではいよいよ実行ということで、まずは警察官の皆殺しだった。

 これは比較的楽であったと思う。最初に警察官の一番偉い人を殺し、その人に成り済まして全ての警察官を全ての警察施設にそれぞれ集合させることに成功した。そうすれば全ての施設を爆破させるだけでことは終わるのだった。交番、県警、刑務所、警察学校など思いの外警察施設は多かったが、警察という肩書きを警察関連の施設に集めることはさほど難しくもなく、むしろみんなが同じ肩書きを持っているのでその点においては楽勝だった。そして、警察という肩書きがなければ誰も犯罪者を取り締まることはできない。つまり僕の警官殺しでさえ捜査する人間が一時的に消えるのだった。

 さあここからは時間の問題だ。とりあえずリストアップしていた人間を片っ端から殺していく。ここでも爆弾が役に立った。一回の爆破でリストアップしている中の人間が少なくとも一人でも死ねば及第点なので、リストアップしている人間が複数集まりそうな場所を次々と爆破していき、巻き込まれた人は可能性を潰せた訳なので良しとし、ぎりぎり生きながらえている人には爆弾の第二撃を浴びせることにした。

 気をつけなくてはいけないのは、あいつ自身を殺してしまわないようにすることだった。あいつを殺すのは最後ということだったので、下手に爆弾に巻き込まれても困る。だからあいつの周辺にいる人間は最後の最後にあいつと同じ日に殺してしまうことにしようと決めた。

 ……と、ここまで考えて僕は外を見てみた。世界は同時多発的な爆弾事件及び警察官の皆殺しに大慌てである。さらに一般人も所々で爆弾に巻き込まれて粉々にされているのだ。こうなるとあらゆるものが混乱。カオス、大混沌の闇の中に引きずり込まれている。つまりは、今あいつを殺せば、あいつを殺したという事実もこの混沌の闇の中に引きずり込まれるのだ。そうすれば今後真実は浮かび上がってこない。今はそういう巨大な混沌の渦中にあるのだ。

 僕はすぐさま行動に出た。混沌を止めてはいけない。爆弾の設置を今までの倍以上の速度で行い、今までと変わる事のないペースで爆破を実行した。その中の一つにあいつも巻き込まれるようにして、ちゃんとあいつが死んだことも確認しながら僕の作業は続いた。

 何しろ、絶対にこの作業の手だけは止めてはならない。あいつを知ってる者を一人残らず始末するのだ。よくテレビなんかで、戦死者の遺族や知人に話を聞くドキュメンタリーを見る事はあるが、今回の場合はそのようなことはあってはならない。あいつの周囲の人間を「あの人はいい人だったのに……」と懐かしむのは結構だが、あいつを懐かしむなんてことはあってはならない。

 ちょっと記憶には残せないような、そのくらい長い時間をかけてあいつ・及びあいつを知る者の抹殺は完了した。今の所、僕が考えられる限りではあいつを知る者はいない。あいつを知る、ではなくてあいつの名前を見たことがあるかもしれないという人だけが残るのみだ。つまりは役所の人・戸籍を扱う人だ。あいつに携帯を売ったお店の人なんかはもちろん殺してあるし、携帯状に残ったデータはできる限りまで削除した。クラウド上に残っているデータはあいつの知人が見ない限りただの文字記号の羅列にしかならないのだし、その知人たる者たちはすでにいなくなっているので問題は無い。あいつの写った写真も、僕が口を割らない限りは誰でも無い人物Aで、そもそも僕はもうあいつのことを大分記憶の中から失いつつある。見た目は結構前に思い出せなくなったし、今残っているのは名前と戸籍登録されている住所くらいだ。それも早くなかったことにしたいので、僕は急いで戸籍関連の処分を決行することにした……。


 長い時間がかかった。長くて漠然として無機質で真っ白い時間が流れた。

 僕はようやく『役目』を果たしたのだ。

 あいつ・あいつを知る人物・あいつに関わったであろう人物・あいつの戸籍・あいつの戸籍に関わった人物・僕が計画を実行し始めた時の警察官……。それらに加え爆弾に巻き込まれた人々=あいつを知っていた可能性。また、僕の証言がなくてもあいつという個性の存在を説明できる情報・資料。きっとそれら全てを僕はこの世から消し去ったのだ。

 あいつが海外に行ったことがあることを知って、そこで泊まったホテルや立ち寄った観光地の関連者を殺さなくてはならないと思い当たった時は大変だったが、本当に真実の信念さえあれば人は何でもできるものだ。この様子なら死からの蘇りもできるかもしれないと思い、あいつが蘇る可能性に少し怯えたが、殺される前のあいつに何が何でも蘇るという信念があったとは思えない。もし蘇ったらまた殺すまでだ。それより、僕はもうあいつのことを何も覚えちゃいない。時間が経ちすぎたのだ。あいつが『あいつ』であったこと以外、もう何も覚えていない。きっと蘇っても認識できないだろう。それならそれで、僕の認識する世界からあいつを存在しなかったことにできるのだから良いことだ。『あいつ』というものでさえその内忘れてしまうだろう……。

 さて、久しぶりに大学にでも行ってみるとするか。


 僕が久しぶりに行った大学には人がいなかった。それも当然、僕がみんな殺したのでいるはずがない。

 それどころか、ニュースの報道を信じる限り、世界の人口は僕の行った計画によって八分の一にまで減少したとのことだった。なかなか面白い事実ではあると思ったが、誰か一人の存在を消すためにその存在を知る者をみんな殺したこと、僕自身がそれを決行したこと、僕がそれほどにあいつを嫌いになったこと、その結果人が減ったという事実、エトセトラ……。それら全てを僕は忘れてしまうのだと思う。それが実現された時(僕はその事実を知るすべはないのだが)、本当の意味であいつの存在をなかったことにできるのかもしれない。


 そうこうして、大学を出ると何やら慌てふためいた様子で知らないおじさんたちが僕の元に集まってきた。

「いいですか、君、私は認識できていますか?」

と、意味不明なことを言っている。

 僕は少し戸惑いつつもおじさんたちに構っていたら、半強制的に病院のような研究所のような場所に連れて行かれてしまった。僕は驚くやら呆然とするやら、何もすることができずにただ身を任せていた。


                 ・・・


「……さぁて、つまりはですね、以上のようなことで彼は全世界の八分の一、約十億人もの人を認識できていないと、そういうことになる訳です」

 止まらない汗を拭きながら、研究者Aは重苦しい顔の有識者たちに説明を終えた。しかし、長い話と小説のような非現実的なことに、誰一人として納得している者はいなかった。

「え、えっとですね、平たく言ってしまいますと、彼は一人の人間を本当に嫌いになった。その為にその相手を存在したこともなかった程に殺してしまいたくなった。それを実現する為の計画を本気で考えている内に、彼は嫌いな相手を存在しないことにできる妄想の世界が心底望ましくなって、その妄想を真実だと思い込んでしまい、妄想の中で計画を実行し、十億人もの人間を認識できなくなった、とそういう訳なのですが……」

 有識者たちは渋い顔。研究者Aの言っていることが間違いだとして、または真実だとして、何か問題が解決する訳でもない。ここで下手に発言するよりも、もう少し様子を見た方が良いのかもしれない。みんながそう考えるので、かくして煮た芋のように顔を曇らせるばかりだった。

「え、世界というものはですね、人の脳の認識であるわけです。だから宇宙はそれぞれの人の中にあって、私がここにいるというのも私の脳が認識しているからでありまして。つまりはこの世界の中で誰が存在して誰が存在しないかというのは、私たちと彼の認識の違い、いえ、私たちが私たちと彼の間には認識の違いがあるという認識をしている訳で。はたまた私がみなさんを含めそういう風に認識している、つまりみなさんと私の認識は同じで彼だけが十億人を認識できていないと、そういう風な認識を……。なので一人の人を存在ごと消してしまっている彼の脳はいたって正常で……いや……」


                 ・・・


 僕はとても不快だった。

 僕を無理矢理連行したこの研究者Aは、僕が十億人を認識できていないだとか意味不明なことを抜かして、誰もいない空間を指差しては「あの人は認識できていないのかね?」なんて言っては考え事に耽る。僕はその空間を見ても手を伸ばしても人の存在を確認できないから「誰もいません」と答えると「ふうむ」とか言ってまた考え事に耽る。その繰り返しだった。

 それからは様々な検査をされたり、同じようなことを何十回も聞かれたり、あちらこちらに連れ回されては意味不明な会話を繰り返させられた。何もない空間とのお喋りはこの上なく意味不明だった。

 今もこんな暗いジメジメした部屋でおっさんたちの相手だ。どうせなら若い美女でもいればいいのにとも思う。

 ……ああ、これはあの感覚に似ている。何なのかははっきりと思い出せないが、おそらく子どもの頃にでも感じた衝動なのだろう。僕は前にもきっと、この研究者Aに抱いている気持ちと似たような感情を覚えたことがあるに違いない。

 この人は嫌いだ。殺してやりたいくらいに。

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