第2話
我こそが、大陸に名を轟かせる大剣豪、緋色の剣聖なり。
そんな風に登場したはずの少女は今、完全に出来上がっていた。
「あっははは! もう最高!」
先程の雰囲気はどこへやら。
麦酒の入ったジョッキをテーブルに叩きつけた晄は、酒場にいる他の客の迷惑になるんじゃないかと言う声の大きさで、爆笑していた。
いつの間にか晄は二年前の姿に逆戻りだ。そう、俺をドツキ回していた頃の晄に。
「あぁくそ! いつまで笑ってるんだよ!」
「これを笑わず、なにを笑うっていうのよ。ふふ、あのレイゼルが曲芸師呼ばわりされて追放されるなんて」
久しい顔と再会して舞い上がっていたのか。
それとも晄が緋色の剣聖だと知った時の、リリーナの悔し気な表情を見たからか。
微かに溜飲が下がり、軽い気持ちで色々と話してしまったのが運の尽き。
周りの目を気にせず笑い続ける晄に、もはや怒りさえ湧いてくる。
ただ純粋な殴り合いに発展しても、俺に勝ち目はない。
仕方がなく話の方向を逸らすことにする。
「それはもういいだろ! お前は今までどこに居たんだよ。二年前にお師匠の所を飛び出してったきりだろ」
「それは、その……あ、あはは。もしかして、お父さん、怒ってた?」
「もしかしなくても、キレ散らかして俺に八つ当たりしてたよ。そのお陰で俺の腕は上達したけどな」
「それは、ほんとにごめん。手紙でも残そうかなって思ったんだけど」
「結局黙って出てっただろ。お師匠にも、俺にもな」
「それは決心が鈍ると思ったから。だから、本当にごめんね」
「……いや、いいよ。もう終わったことだからな」
俺のお師匠にして晄の父親は、愛娘が家を飛び出してから狂ったように……いや、狂いながら俺の修練を続けた。
今さら思い返しても身震いする様な修練が続き、なんど死んだと思った事か。
しかし流石は異国の大剣豪。すんでの所で俺と言う弟子を殺さずに正気を取り戻していた。
剣士としては一流でも、娘を持つ子煩悩な父親だったという事か。
不安と怒りを残った弟子で発散するのもどうかとは思ったが。
そして父親が堅物であれば、娘である晄が似るのも必然と言えた。
多くは語らない父と違い晄はよく喋るが、重要な話をはぐらかす癖がある。
ここで俺が家を飛び出した理由を聞いたとしても、彼女はきっと笑って誤魔化すか別の話題にすり替えてしまうだろう。
長年の付き合いがある俺の勘が、そう告げていた。
きっと晄が自分から話すと決めない限り、真相を知る事はできない。
過去を思い出したのか、気まずそうに黙り込む晄を見ていられず、別の話題を提供する。
「それで、なんでお前はここにいるんだよ。俺を笑いに来たって訳じゃないんだろ」
「アタシ? 実はこの街に用事があった訳じゃないんだよね。でも偶然、この近くを通りかかったから、見知った名前が並ぶ冒険者パーティとやらを見に来たってわけ。そしたら……ふふっ」
「よりによってお前にあんな所を見られるなんてな」
「このネタなら死ぬまでレイゼルをいじれるってものよ」
肩を落とした俺を、晄はバシバシと剛腕で叩いてくる。
相も変わらず馬鹿力は健在なようで、叩かれた箇所が軽く痺れていた。
ただ、今の俺には昔の思い出を懐かしむ心の余裕はない。
「まぁ、笑い話で済んでる内はいいだろうな。あのゼントールの親父さんとの契約を反故にしたつけが回ってくるまでは」
「ゼントールのおじさんって……あの傭兵王の? あんまり話を聞き取れてなかったんだけど、あの高圧的な子となにか関係があるの?」
まさに怖いもの知らずの猪武者だ。
詳しい事情も知らずに面白そうだからと首を突っ込んできたのだろう。
なんにでも愚直に突っ込む性格は、二年の月日を経ても変わっていないらしい。
それが晄の良い所でもあり、そしてそのまま短所にもなる。
「あのリリーナは親父さんの娘だよ。親父さんが他国との戦争から帰ってきてすぐ、冒険者になると言い出したらしい」
「ははぁ、なるほど。そこで叔父さんに目を付けられてたレイゼルに白羽の矢が立ったわけね」
「その通りだ。リリーナがゴールド級に昇格するまで面倒を見るって契約だったんだよ。なのにあのじゃじゃ馬娘、昇格試験を目前に俺を追放しやがった」
先ほどの光景が明瞭に浮かび上がり、大きなため息が口を突く。
短くない歳月を費やした契約が、水泡に帰したのだ。
はっきり言えば、全てが無駄になってしまった。
いや、それどころか契約を破った時点で無駄よりもっと状況は悪い。
上手い言い訳も思い浮かばず、思わず頭を抱えた。
そんな俺を見てか、晄は酒で赤くなった顔で軽薄に言った。
「適当にでっち上げればいいじゃない。自分の助力が必要ないぐらい成長した、とかなんとか言っておけば」
「それで通用するかよ。契約次第で隣国の王族とも剣を交える、あの傭兵王だぞ。俺が勝手に契約を違えたと知ったら、どんな事をされるか」
「まあ、ぶっ飛ばされるよね。手加減なしで」
「最悪だ」
これからの事を想像するだけで背筋が凍る。
契約を持ち掛けられた側とは言え、契約は交わされている。加えて、俺は相当に無理を言って、ディエンタール家の宝を報酬としてゼントールに要求した。彼も相当に渋っていたが、絶対に成功させるという俺の言葉を信用して、承諾してくれた。
そこまでしておいて、あっけなくパーティをクビになってしまったのだ。
小言の一つや二つで済むとは、到底思えなかった。
「そこは自業自得ね。いくらおじさんの頼みとは言っても、あの高飛車で傲慢なお嬢様を甘やかしすぎたのよ」
「甘やかしてるのはゼントールの親父さんの方だろ。いくら愛娘のお願いだからって、俺との契約内容まで手紙に書いて寄越すかよ、普通。厳格で恐れられた傭兵王の名が泣くぜ」
「まぁ、いま泣きそうなのはレイゼルの方だけど」
「うるせぇよ!」
百歩譲って、ゼントールにぶっ飛ばされるのは良しとしよう。
この晄に一生笑われることになっても、非常に不本意だが仕方がない。
弟子の不甲斐ない失敗にお師匠が激怒するかもしれないが、殺されない事を祈ろう。
だが、ディエンタール家の宝を手に入れられなかったのは、どうしようもないほどに悔やまれた。
傭兵王ゼントールが隣国での戦争から帰った際に持ち帰った秘宝。
俺にとって、それはまさしく喉から手が出るほどに必要な物だった。
だからこそ長い歳月が必要となる契約を結び、無理を言って宝を報酬にしてもらったのだ。
それをむざむざ、見逃す羽目になるとは。今さらだが悔やんでも悔やみきれない。
これが悪い夢なら覚めてくれと願っても、現実はどこまでも現実だ。
「レイゼルの事だから、自分の実力を隠してあのパーティを支えてたんでしょ。あの子達が成長するように」
いつの間にか酒を飲み終わっていた晄は、ジョッキの縁を撫でながらそんな事を言った。
そして思い出す。
彼女は幼少の頃より共に育った仲間であり、好敵手でもある。
今さらに隠し事などできるはずもないのだと。
数秒の沈黙を経て、やっと口を開く。
「全部、お師匠の真似事だよ。俺にできることと言ったら、その程度だからな」
「一緒に修練を積んできたからわかるよ。影ながら安全を確保したり、実力に見合った相手との戦いに誘導したり、時には失敗を経験させてみたり。今ならどれだけお父さんに守られて来たか、実感できる」
「俺は期間限定のパーティメンバーだったからな。ゴールド級に昇格すれば、あいつらだけの力で戦っていくことになる。そうなった時に、自分達の実力で生き残って欲しかったんだ」
嵐の角笛のメンバーには、ゴールド級へ昇級できるだけの地力はある。
だが圧倒的に経験が足りなかった。勝利や成功、敗北と失敗の。
それらを経験せずに、俺の力に頼り切って階級を上げても意味はない。
どんな危険な状況でも俺がいれば切り抜けられるなんて甘えは、絶対に許されない。
それらは俺が抜けた後に、嵐の角笛を危険にさらす原因となり得る。
ゼントールが俺を指名した理由は、そこにあると考えていた。
傭兵王として数百の傭兵を取りまとめるゼントールなら、腕の立つ傭兵をリリーナに付けることも出来たはずだ。
こんな冒険者ギルドで新人の仲間を集うなんて事をせず、最初から精鋭部隊でパーティを組んでいれば、容易にゴールド級に上れたはずだ。
しかしゼントールは、リリーナの事を俺に一任した。
それも俺の素性や師匠の事をリリーナに打ち明けずに。
なら俺にしかできないやり方で、嵐の角笛をゴールド級へと昇格させる必要があった。
他人の力に頼らずとも、自分達の実力だけでゴールド級へと上り詰めるだけの成長を促す必要があったのだ。
だからこそ俺は陰からパーティを支えて、自力でのゴールド級昇格を促していた。
そこに問題があったとすれば、俺が余りに目立たず、リリーナの反感を買ったということか。
そもそもゼントールが俺をパーティに推薦した時から、リリーナは俺に対していい印象を持っていなかった覚えがある。
なら最初からこの結果を予測できなかった俺の落ち度となるのだろう。
どんなに取り繕っても、結局は俺の責任となるのは避けられない。
それが余計に俺の気を重くしていた。
口数も少なく酒を口に運ぶと、晄が半笑いで声を上げた。
「素直にあのお嬢ちゃんに話しておけばよかったのに。昔からだね、その必要以上に話したがらない性格は。お父さんに影響され過ぎじゃない?」
「お前はもう少しお師匠を見習って、軽口を叩かないよう注意しとけよ」
そんな軽口を叩いている時点で、俺も大概か。
晄に言っておきながらも、俺も苦笑を浮かべる。
ただ内心では、密かに晄に感謝していた。
こんな状況でひとりだったら、さぞ落ち込んでいただろう。
俺の失敗や失態を容赦なく笑ってくれる相手が前にいるからこそ、こうして俺もぎこちないながらに笑えるのだ。
唐突だが久々の再開と、長年の努力が気泡と化した俺の大失態。
それが偶然であったとしても重なったのは、なにか運命めいたものを感じざるおえなかった。
◆
「そうそう! そんな辛気臭い話は置いておいて、アタシの聞いたすごく面白い噂話、聞きたくない?」
「お前の話す噂話なんて尾ひれ背びれが付いてるに決まってる。面白そうだからぜひとも聞かせろ」
やけっぱちで晄の話に乗ると、向こうも興に乗った様子で姿勢を正し、そして咳払いを一つ。
振り回していた空のジョッキをようやくテーブルに戻すと、改めて俺に向き直った。
「おほん! ではここで一つ恐ろしい話を」
「おい、面白い話はどこに消えた」
「ここから東に向かった場所に、大陸有数の銀の産出地があるのを知ってる?」
「知ってるもなにも、そこの魔物を駆除しに現地にいったことがあるな。依頼主の羽振りが良かったから覚えてる」
首が無くなる程に肥えた依頼主の顔を思い出しながら、晄に話の先を促す。
「なら話が早いね。その鉱山が急遽閉鎖されることになったらしいよ」
「別に珍しい話でもないだろ。採算が取れなくなったか、鉱床を取りつくしたんじゃないのか」
今にして思えば、相当に大規模な採掘場を経営していた様に思える。
あの規模で採掘を続けていれば、遠からず銀を取り尽くすのは目に見えていた。
ただ俺の予想は外れた様子で、晄は怪しげな笑みを浮かべた。
「いいや、それが違うらしいわ。ある日を境に、鉱山から銀だけじゃなくて人が誰も出てこなくなったらしいの。それを疑問に思った流通先が確認のために向かったんだけど、そうしたら……。」
「な、なんだよ」
「なんと、ばらばらにされた人間が積み上げられてたんだって!」
晄は大声で叫びながら、テーブルを叩いて身を乗り出した。
あまりの勢いに座っていたイスが派手な音を立てて地面を転がる。
周囲の客達も何事だと視線を向けているが、返すことがは見当たらない。
非常に申し訳ないとは思っている。
しかしこの酔っ払いを止めることは、俺にはできないのだ。
たとえつまらない話を嬉々として聞かされようとも。
ただ俺の反応が気に食わなかったのか、もう一度テーブルを叩こうとする晄を押し宥め、空いているイスに座らせる。
「いや、普通に魔物か賊の仕業だろ。冒険者相手にその手の話で驚かそうって考えが怖いわ」
冒険者をやっていれば、そう言った類の話は嫌と言うほど耳にする。
特に魔物は人間が想像もできない程に残酷なことを平気でやってのける。
人が殺された程度で一々臆していては冒険者などやってはいられないだろう。
ただ話は終わってないと言わんばかりに、晄は指を立てて俺の黙らせた。
「話は最後まで聞くこと! その事件の犯人は魔物ってことで片が付いたんだけれど、確認に向かった内のひとりが坑道の中で動く影を見たっていうのよ」
「ほう。それで?」
「最初はその影を、鉱山の生き残りだと思ったらしいわ。でもすぐに異変に気付いた。暗闇の中でも光る眼光。ぎこちない動き。荒い呼吸。そして何より――」
一呼吸の間が空く。
それは話の溜めと言うより、一瞬の躊躇に見えた。
だが晄は、静かに話の先を続けた。
「その腕には剣のような物が握られていたんだって。それも、特徴的なね」
たったそれだけで、晄の言わんとすることが理解できてしまう。
無慈悲で冷酷な、特徴的な剣を持った亡霊。
それらは否が応でも古い記憶を想起させる。
見れば晄の表情からは、ふざけた笑みが抜け落ちていた。
最初から晄は、これが目的だったとでもいうのか。
「まさかとは思うが……。」
「えぇ、ご明察。アタシはその魔物の正体を一目見るために、この近くを通ったの。レイゼルにも報告した方がいいと思ったし」
まっすぐと見つめてくる晄に対して、俺はすぐには答えを返すことができなかった。
晄が愚直に突き進む性格であるとは知っていた。しかしそれが、ここまでとは。
俺が答えを出せずにいると、晄はまっすぐに見つめながら、言った。
「確かめにいかない? その魔物が、本当にあの種族の成れの果てなのかを」
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