第49話 VTuber祭 一日目 終


 空気が一瞬で張り詰めた。通路を行き交う人々の喧騒が、どこか遠くに感じられるほど、沈黙が重くのしかかる。雹くんは、一歩も動かず、姫を見つめていた。その瞳には怒りも困惑もなかった。ただ、冷静な、それでいてどこか悲しげな光が揺れていた。


 「……ごめんなさい、ちょっと確認なんですけど」


 雹くんが、丁寧な口調で口を開いた。


 「姫さん、でしたっけ。僕たち、一度も配信でご一緒したこと、ありませんよね?」

 

 「え? あ……ええ、そうですけど~、でも私、ずっと雹夜くんの配信見てて~、コメントとかもしてたんですよ~? あの『がんばれ☆』って名前、見たことありませんか~?」

 

 「あー、覚えてますよ。よく睡眠用の配信の時に来てましたよね」


 彼の言葉に姫と名乗る彼女は喜ぶ。


 「え~!覚えててくれたんですか~!?嬉しいです!!私、雹夜くんのこと、ずっと応援してて~。だから、コラボとかできたらって思ってたんですよ~。あ、もちろん今からでも全然――」

 

 「それはごめんなさい。僕、VTuberとしてではなく、“一人のファン”としてなら、話すことはできますけど。そういうお話なら今お断りさせていただきますね。すみません」


 ――グサッと、精神に何かが刺さるような音がサキには聞こえた気がした。丁寧な言葉に隠された拒絶。姫は一瞬、言葉を詰まらせた。


 「えっ……えぇ? あ、あの、コラボとか、そういうのは……」


 「ごめんなさい。僕は、はやて丸を傷つけた人と一緒に、何かを作ろうとは思いません」


 淡々と。けれどその一言には、はっきりとした“線”が引かれていた。姫の顔から、あざとさが少しずつ抜け落ちていく。どこかうろたえるような視線をこちらに向けてきた。


 「……ちょっと言いすぎじゃないですか~? 私、ただちょっと……あの子、感じ悪かったから、ついっていうか……」


 「その“つい”が、人を辞めさせる理由になることもあるんですよ。ファンなら、それくらいは考えてほしいです」


 静かに、でも強く。雹くんの言葉が、しっかりと相手に届いたのを感じた。私は、怒りで口元を引き結びながらも、一歩も動かないでいた。でも心の中では、思わず手を握り締めていた。


 こいつ、絶対に許さない。


 「……っ、もういいです~。なんか雰囲気悪いし~。あ、でも! でもね、私、まだ雹夜くんのこと、嫌いになったわけじゃないんですよ~?」


 強がるような言葉を残して、姫はくるりと踵を返した。背中に漂うのは、香水の香りと、プライドのヒリついた後味。


 「きっとまた会えますよね~? そのときは、ちゃんと“ファン”として、応援してあげますから~♪」


 その言葉には、どこか捨て台詞のような皮肉が混じっていたけれど、雹くんは特に返さず、ただ小さく頭を下げただけだった。


 

 そして――姫は人混みに紛れていった。

 でも私は、その背中を目で追いながら、確信した。

 あの女は、また何かやる。


 

 「……ごめんね、雹くん」


 「ん? 何がですか?」


 「私、あそこで何か言ってたら、絶対怒鳴ってた。……だから、代わりにちゃんと線を引いてくれて、ありがとう」


 「いえ、僕は……ファンを無下にしたくなかっただけです。あの人が何を言おうと、僕のファンとして来てくれたなら、最低限の礼儀は大事だと思ったので」


 「強いわね……」


 「弱いですよ。結局自分の事しか守れなかった。はやて丸に謝れとか、もう何もするなとか、他にもあったのに……はぁー、だめだね」


 もっと上手く返せたはずなのに、結局感情が走ってしまった。

 


 ――そして、どこか離れた場所。


 人混みの中で、姫は顔を伏せ、唇を噛んでいた。


 「……なによ、雹夜くんのくせに……あんな目で見て……!」


 足を止めて、スマホを取り出す。そこには、自分がまだ活動していたころの裏垢が表示されていた。


 「このままじゃ終わらせない。絶対……あんた、使ってやるんだから……!」


 悔しさと嫉妬と、なによりも「自分が選ばれなかった」事実に打ちのめされながら。姫の心に、静かに、暗い影が芽を出した。





  夕暮れの空に、淡いオレンジが広がっている。会場の熱気がまだ体に残る中、私たちは五人で連れ立って、駅近くのオープンテラスのあるレストランに入った。テラス席からは人通りが見え、まだまだイベント帰りの来場者があちこちで笑い合っていた。


 「いや~、やっぱりイベントってのはええもんじゃなぁ。みんなお疲れさん!」


 おっさんの明るい声に、自然と笑いがこぼれる。テーブルには軽く頼んだパスタやピザ、ちょっとしたおつまみが並び、それぞれドリンクを手にして乾杯の合図を交わす。


 「改めて、一日目お疲れ様でした!」


 グラスが軽やかな音を立て、五人の一日が静かに祝福された。


 


 「いやー、サキさんとアカネちゃんのステージ、めっちゃかっこよかったっスね!」


 はやて丸が興奮気味に身を乗り出す。サキさんはちょっと照れたように頬を赤らめながらも、どこか嬉しそうだった。


 「ありがとう。でも正直、緊張で膝が震えてたわ」

 「えーっ、全然そんなふうに見えなかった!」

 「だろうのぅ。あれが“経験”ってやつじゃよ。年季が違うんじゃ」


 おっさんの言葉に、アカネちゃんがうんうんと頷く。


 「わ、私も緊張したけど、サキさんのおかげで頑張れました……!」

 「アカネちゃんもとっても頑張ってたっス!さすがわたしのアカネちゃんでスね!」

 「えへへ……ありがとう」

 「二人共本当すごかったです。次ははやて丸だな」

 「次こそはわたしも出場しますッス!!!」

 「頑張れはやて丸!」


 


 そんな流れで、みんなの視線が自然とこちらに向いた。


 「で、キミはどうだったんじゃ? 初イベントで、しかも個人勢。やっぱ大変だったろ?」

 「うーん……そうだねぇ……」


 私は、空を仰ぎ見て、言葉を探すように息をついた。


 「正直、めっちゃ怖かったし不安だった。誰にも見られなかったらどうしようとか、空回りしたらどうしようとか。でも――楽しかった。本当に」

 「……うん」

 「ファンの人が声をかけてくれたり、反応してくれたり。ああ、自分がちゃんと“ここにいる”って感じられたというか」

 「雹くん……」

 「企業勢じゃなくても、ステージに立たなくても、伝えられることはあるんだって。そう思えた一日だった」


 私の言葉に、みんながゆっくりと頷いた。特にサキさんの表情は、どこか優しく、誇らしげでもあった。


 「ちゃんと、届いてたわよ。君の声も、君の存在も」

 「……今の録音してもいいですかね?」

 「もう」

 「あはは……うん、ありがとうございます」


 


 そんな和やかな時間は、やがて名残惜しさとともに過ぎていき、夜の帳が降り始めるころ、アカネちゃんとはやて丸が先に帰路につくことに。


 「じゃ、また明日でス! 二日目も頑張りましょう!」

 「お、お疲れ様です……!」

 「はやて丸、寝坊するなよ~。アカネちゃん、いっぱい寝るんだよ~」


 二人が去って、少し肌寒くなった夜風を感じながら、私たち三人――雹夜、おっさん、サキ――は、駅の近くの居酒屋に足を向けた。


 



 「で、さっきは言わんかったけど……例の件、気になっとるんじゃが?」


 テーブルには熱燗とお通し。少し肩の力が抜けた空気の中で、おっさんが真剣な顔で問いかけてくる。


 「例の……?」

 「今日出会ったっていうあの“姫”とか名乗っとったやつ。はやて丸ちゃんの話してたんやろ?」

 「あー……うん」


 私は少し黙ってから、ぽつりと話し始めた。


 「突然話しかけられて、僕のことファンだって言ってた。んではやて丸のせいで活動辞めたと」

 「……っ!」


 サキさんが小さく反応したのを感じた。

 けれど、彼女は何も言わずに、じっと私の顔を見つめている。


 「もちろん信じてないよ。はやて丸から聞いたことと全然違ったし、彼女の言葉には裏があるって、すぐわかったよん」

 「で、どうするんじゃ? 関わる気あるんか?」

 「ない。彼女が何を企んでたとしても、“ファン”なら丁寧に接する。それ以上の関係にはならないしなるつもりもナッシング」


 サキさんがふぅっと息を吐く。少しだけ、肩をなで下ろしたようだった。


 「……大丈夫、なのね?」

 「大丈夫、とは言いたいんですけどねぇ。まぁ何かあると考えたほうがいいかも」


 おっさんがしばらくじっと私を見つめ、話す。


 「わしが警戒しておくよ」

 「はぁ……正直頼みたくはないけど、頼む。楽しんでほしかったんだけどね」

 「任せろぃ。可愛い子達を守れるならなんぼのもんじゃい」

 「あたしの事は守ってくれないのね。およよ」

 「やめんかい」

 「あい」

 「ふふ」


 そんな風に軽口を叩き合いながらも、私たちはどこか安心した空気に包まれていた。暗がりの中、居酒屋の暖かい光に包まれて、三人の夜は静かに、しかし確かに絆を深めながら更けていった。

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