第9話 真相 【サキ編】
「お疲れさまです!あの!◯◯さん、最近何か良いことありました?」
最近、こんな事をよく聞かれる。私は決まって「何もない」と答える。無論、嘘だ。もしも「実はそうなの」なんて答えれば「どんなことですか?」と聞かれ、その後は延々と探られるに決まっている。嘘をついて誤魔化したとしても後々バレるだろう。私は他人を上手く騙せるほど賢くはない。だから「何もない」と答える。そうすれば相手も「そうですか」とだけ答え、その後は何も詮索しなくなる。「本当に何もないんですか?」と追求するほど、彼らは私に興味を示してはいない。憧れ、尊敬、そんなもの気を引くだけの言葉だ。現に、私に質問した彼は「そうですか」と言って去っていった。
帰り道、コンビニに立ち寄り夕飯の弁当とお酒を何本か買った。コンビニから出た時、夕暮れが少年とその母親を照らしているのを見た。少年は楽しそうに何か話していて、母親も楽しそうにそれを聞いていた。私はそんな親子の横を通り抜ける。素直で純粋な笑顔だった。私にも、あんな風に笑える子供でいたかった。でも、もう遅い。私は大人になった。自然に笑うことも、共に笑う相手も出来なかった。この歳になってそれが叶うなんて思っていない。……ただ一つ。一つだけ、この歳になって得たものはあった。それが、楽しいという感覚だった。
「皆さんこんばんは。今日も配信を始めていきます。よければお付き合いください」
画面の向こうに居る彼が喋る。声が脳に響いていき、さっきまで活性していた脳はゆっくりと静まっていき、精神が落ち着いていく。重くなっていた頭は徐々に軽くなっていき、仕事で強張っていた身体は自然体へと変わっていった。少し気を抜くと眠ってしまいそうな彼の声。でも今日はまだ寝ない。もう少し、この声を楽しみたい。私は彼の声、そして言葉にただひたすら耳を傾けた。
紅雹夜。新規Vtuber勢の1人。個人勢。登録者は40人。視聴者は25人。その25人の中に私はいる。視聴者はほぼ男性だけで、仕事や生活、精神的に疲れた人達が集まっていた。そして、これは私の推測だが、彼らもまた私と同じように彼、紅雹夜に救われた人達だろう。彼の声は何故か人の心を落ち着かせ、そして睡眠へと誘う特性がある。最初は私も疑心暗鬼だった。だが数日彼の配信を聞いて確信した。今まで寝れなかった日々が彼の声によって眠れる日々に変わり、心を支配していた恐怖の感情が彼の声によって消えていった。支障をもたらしていた仕事も前のように問題なくこなせるようになり、Vtuber配信に対する嫌気も少しずつ克服出来てきた。要するに、私は彼に救われたのだ。
「こんな簡単な事で救われるのか」 きっと、そう思われるだろう。でもいいんだ。私は今まで救われる感覚を知らなかった。誰かが救われる場面を見たことはある。だが、自分が救われる側に行くことはありえなかった。許されなかったからだ。両親はそうならないように私を教育したし、私もそれが正しいと思った。だから彼に救われるまで、そんなものは必要ないと思っていた。「あの人に救われた」なんていうものは誰かに縋りたいだけの甘えであり、そんな彼らを私はくだらないと見下していた。結局のところ、人はそれを体験しないとわからないというわけだ。当たり前のことなのに、その当たり前すら私は知らなかった。いや、理解しようとしなかったんだ。本当にくだらないのは私だったんだ。
大人になったつもりの大きな子供。そんな自分のバカさ加減に呆れつつも、今はただこの時間を楽しむ。初めてなんだ、それの為に仕事を早く終わらせて、それの為に早く家に帰りたい。そんな気持ちを持ったのは。きっとこれが趣味に走る人の気持ちなのだろう。何かに夢中になっている人の気持ちなのだろう。それを思うだけで心がドキドキする。ワクワクする。そのためなら何でも出来そうな気がする。そう思わせる慣れない感情に戸惑いつつも、私はその気持ちを受け入れていく。今日は何をやるんだろう。どんなことを話すんだろう。そんな事を考えながら、彼の配信を聞いて眠る日々が続いていった。
「そろそろ始まるわね。今日はどこまで進むのかしら」
配信が始まる前に用意していた机の上の缶ビールを左手で掴み、右手で開ける。カシュッと音が鳴るとついつい喉がゴクリと唾を飲み込み、音を漏らす。我慢できずゴクゴクと喉に流し込む。アルコールが身体の隅々まで流れていきのを感じる。この瞬間が気持ちいい。
「まさに至福の時間ね……なんて」
最近はついつい独り言を言ってしまう事が多くなった。これも彼の影響なのだろう。というのも、雹くんは日常生活でも独り言が多いと話していたのだ。最初は理解できなかったが、彼の話を聞いている内に気付いたら影響されてしまっていたようだ。最初は日常品の買い忘れで呟いていたが、今では何かに対してすぐ呟いてしまう。外では出さないようにしないと。そんな事を考えながら彼の声を今か今かと待ちつつ再びお酒を飲む。そして今日は2本飲もうかなと考え始めた時だった。家のインターホンが鳴った。時刻は22時。こんな時間に誰かが来るなんてことは一度もなかった。誰かしら?私はリビングに行きドアホンを確認した。そこには、見覚えのある女性が立っていた。……彼女だ。数ヶ月前に会社を辞め連絡も断った彼女が立っていた。彼女は私がドアホンで見ていることに気付いたのか、たまたまなのか、インターホンのカメラに向けて喋りだした。
「◯◯ちゃん見てる?急に来てごめんね!ちょっとお願いがあったの。できたら開けてほしいなぁ……お願い!いや、お願いします!」
「ごめんねー、急に訪ねちゃって。◯◯ちゃんしかお願いできなくてね?」
家に上げリビングまで連れてきた時、彼女はそう言った。そう言いながら、自分の長い髪をくるくる指でいじっている。黒色だった髪は少し派手な茶色になっていた。服も少し派手な気がする。連絡を断った後何かがあったのだろう。そういえば、彼女は今もVtuber活動をしているのだろうか?チャンネルを見ていないからわからない。
「知ってるかもしれないけど、私Vtuber辞めたんだー」
「え?そ、そうだったのね……」
知らなかった。彼女はVtuberを辞めたのか?仕事を辞めてまで追っかけた夢を?確か収益化は出来ていたはず。彼女の言う「夢の生活」の第一歩は踏めたはずだ。なのに辞めてしまった?嫌な予感がする。私は次に出てくるであろう言葉を予測しつつ、リビングの壁に掛けられている時計をチラ見した。あぁ、雹くんのゲーム配信が始まっている。早く彼女の用事を済まさせて視聴に戻らないと。
「……でね、こう言うのはちょっと気が引けるんだけど、あのね……そのぉ……」
「お金でしょう?」
「え?」
私の言葉に彼女は少し驚いている。少し驚いているだけで、その表情は明らかに
「貴方がそうやって言いづらそうにする時は大抵お金に関してでしょう。いくら必要なの?」
「あ、あはは~。恥ずかしいなぁー……えっと、これだけ……」
彼女はそう言って右手の指を何本か立てた状態で私に向ける。私は一瞬ため息をしそうになるも、なんとか抑えつつ「わかったわ」と答えさっきまで配信を見ていた寝室に向かった。彼女も後ろからついてくる。何故入ってくるのか不思議に思いつつ私はバッグを探し財布を取り出そうとする。
「へぇー、相変わらず何もない部屋だね」
「必要が無いものは置かないようにしているのよ」
「変わらないなぁ。……あれ?なにこの配信」
彼女はPCの画面に気づき近づく。私は雹くんの配信を隠すのを忘れていた事に気づき、ドクンドクンと鳴り始める心臓を落ち着かせつつ悟られないように言った。
「……最近新人Vtuberさんの動画を見てはチェックしているの。いつでもコラボできるようにね」
「ふーん………………なんだよコラボって、バカにしてんのかよ」
「え?何か言った?」
「ううん!それより、財布見つかった?」
「それが無いのよ。おかしいわね。……そういえば今日は違うバッグを使ったんだったわ。ちょっと待ってて。すぐ戻るから」
「はーい」
私は彼女を残しもう一つの部屋に向かった。基本私服やスーツしか置いてない部屋だが、今日使ったバッグはスーツと一緒にその部屋に置いたのを忘れていた。早く財布を取って彼女にお金を渡し帰ってもらおう。
「……しっかし本当に何もない部屋ね。つまんない女。まぁでも、お金くれるからそこは大好きだけど」
「……あれ?これ、サキのアカウントじゃない。アイツサブアカウント持ってないの?あ、なんだあるじゃん。びっくりした」
「……いいこと思いついちゃった」
財布を見つけた私はリビングに戻る。同時に、寝室から彼女が出てきた。私は財布から6万円を取り出して彼女に渡す。彼女は驚いた。今回は本当に驚いている。ニヤついていない。
「え……こんなに?」
「貴方急いでいるみたいだから、今すぐ必要なんでしょ?多めに取っておきなさい」
「でもこんなに……」
「あと返さなくていいから。貴方にあげる。だからもう行きなさい」
「……」
彼女は無言で受け取る。今までお金を渡した時は「えへへ、ごめんね?ありがとう!」と半分申し訳無さそうに言ってきていた。それが今回は何も反応しない。それほど切羽詰まっているのか、それともこんなに多く貰えることを予想してなくて笑うのを堪えているのか。どっちでもいい、今は早く帰ってもらいたい。私の時間がこれ以上減ってしまう前に。
玄関まで彼女を送る。ここまで無口なのも珍しい。
「大丈夫?」
私は思わず声をかけてしまった。なんだかんだ、私は彼女の事が心配になっていたのだろうか。
「……うん」
彼女は小さくそう答えた。本当に大丈夫だろうか?何か他に言葉をかけようとするが、言葉が出てこない。
「じゃあ、行くね。ありがとう」
「ええ。気をつけてね」
彼女は玄関のドアを開けて出ていく。ふいに、彼女は振り向いて私に言った。
「……ごめんね」
「……あの子、大丈夫かしら」
見送った後も私は彼女が心配だった。あんなに弱々しい彼女は見たことがない。何か辛いことがあったのだろうか。……まぁ、あんなに楽しそうに話してたVtuberを辞めるほどだ。お金で解決できるならいいが……はぁ、明日になったら一度電話してみよう。幸いまだ電話番号は消していない。あとは、彼女が出てくれればいいんだけど。私はそう考えながら寝室に戻りPCの前の椅子に座った。
「さてと、雹くんの配信…………なにかしら、コメントがすごい流れてるわね。それに視聴者も多くなってる?何かあったのかしら?」
:雹さん!この機会に媚び売りましょ!
:媚びは駄目だぞ。サキさんそういうの嫌いだし。
:とりあえず媚びと下ネタは駄目です!
:雹さんの普段の態度なら大丈夫。
:コラボ!コラボお願いしましょう!!
:お、落ち着け。とりあえず普段通りいきましょう。
:サキさんが居ると聞いて。初見。
:サキさん居るってマジ?
:初見。イラスト可愛い。
:オブリビオォンとか懐かしいな。初見。
:サキさんこんな無名のVtuber見てるのか。とりあえず登録。
:声がめっちゃ低いの草。
:でも良い声だな。
:サキさんと聞いて。
:サキさんと聞いて。
「なにこれ……?」
コメントがサキという名前で騒いでいる。なんで私の名前が?いや待って、これは本当に私なの?もしかしたら別の人の可能性もある。同じ名前で少しビックリしただけ。大丈夫、私が見ているのはバレていないはず。そう自分に言い聞かせながら過去のコメントを辿る。……そこには、見覚えのないコメントがあった。
:そろそろやばい。
:あぁ、遂にこのときが……
:やばい、心臓バクバクしてきた。
:え、なになに?何が起きるの?
:コメントの流れが怖すぎる……。
:《b》こんばんは。最近見てます。このゲーム面白いですよね@サキ《/b》
:ワクワクしてきた。
:そろそろセーブしたほうがいいかもしれないですね。
:おい待て、サキさんいないか?
「……なんで……」
ありえない。私がコメントをしている。しかもサキのアカウントで。違う、こんなことあるはずがない。だって今までちゃんとサブアカウントで見ていたじゃない。毎回毎回ちゃんと確認して……確認……あぁ……なんてこと……変更する前に彼女が来てしまったんだ。完全に忘れていた。まさかこの時間に彼女が来るとは思わなかったんだ。……いや、言い訳してももう遅い。それにちゃんと変更しておかなかった私が悪いんだ。彼女を責めるのはやめよう。……とはいえ、おかしいのはそこじゃない。アカウントを変えていなかったのは私のせいだが、コメントは絶対にしていない。私は彼の配信の空気を壊さないように気をつけながらコメントをしている。だからこんないかにも女性って感じのコメントはしない。それに私は最初の挨拶と最後の挨拶でしかコメントはしない。雹くんの声にできるだけ集中したいから。だからこんな中途半端なところでコメントなんて絶対にありえない。でもなんで?なんでコメントされているの?
「……まさか」
一瞬頭の中に過ったそれを私は否定したかった。でもそれしかない。ありえないんだ。アカウントに関しては完全に私のせいだ。でもコメントだけは違う。誓ってもいい。命だってかける。
「お願い……出て……っ!」
携帯を取り出し電話する。相手はもちろん彼女だ。彼女しかありえない。あのタイミングで、あの部屋に居たのは彼女だけだ。彼女しかできないんだ。
何度目かのコールが鳴り続ける。出ない。一向に出る気配がない。何度も何度も掛け直す。それでも出ない。どうして?どうしてこんな事をするの?
「出てよっ!!」
突然の訪問も出てあげた。お願いにも文句言わず答えてあげた。お金だって多めにあげた。配信は確かに見たかったけど、嫌な顔は一切出さなかった。なのに、なのにどうして?
「あぁもうっ!!……と、とりあえずどうにかしないと……あっ……」
PCの画面を見る。さっきまで配信していた雹くんの配信が終わっている。終わっているのに、コメントは増え続けている。視聴者も同じように増え続けている。自分の配信で見かけたことあるような人達がコメントで彼を罵倒している。違う、彼は何も悪くない。お願いだからやめて。彼を傷つけないで!
頭が混乱しすぎて、自分もコメントをして止めようとする。キーボードに触れようとした時、携帯が鳴りだした。私は彼女だと思ってすぐに出る。しかし聞こえてきたのは違う声だった。女性だけど、彼女の声とは違う。この声は、マネージャーさんだ。
「……はい……はい。わかりました……すみません」
数十分間、私はマネージャーさんと話した。「信じてもらえないかもしれないけど」と言ってマネージャーさんに全て話した。……マネージャーさんは半信半疑で聞いていた。「そういう事情だったんですね。わかりました」とは言っていたが、明らかに私を疑っていた。わかっている。私がそう言っているだけで実際の証拠は何もない。彼女がいればもう少し信用してもらえたかもしれない。でもその彼女はいない。私はマネージャーさんに注意されつつ「とりあえず何も反応しないでください」と言われた。「黙っていろ。そうすればどうにかしてやる」そういう風に聞こえてた。反論したかった。でも従うしかなかった。私にとってVtuberとは仕事だ。そしてマネージャーさんは上司だ。マネージャーさんがそう言うなら黙って従うしか無い。「ハッキリ言う性格」か。笑えてくる。あんなのはサキの設定だ。現実の私はサキとは違う。私は、ただ黙って従うしかできないんだ。
電話を終えた後、私は彼のチャンネルを開いてずっと見ていた。ただずっと、見ていた。何をすればいいのかわからなかった。どうすればいいのかわからなかった。「おとなしくしていろ」と言われた私はその言葉通りただじっとおとなしくしていた。身体を走り回っていたアルコールはすっかり消えている。こういう時、お酒に走れる人が羨ましい。私はそれすら出来なかった。ただずっと、PCの画面を見つめている。彼のチャンネルの、彼のイラストをじっと見つめている。
その間、何度も携帯がブルブルと震えた。電話ではない、通知だ。SNSのDMが何十回と送られてきている。内容はわかりきっている。だから見る気はしなかった。……さっきまでは。
ふと思ったのだ。彼はSNSをやっていないのだろうか?と。もしやっているならDMで謝りたい。「何もするな」とは言われた。しかし、謝るだけでもしたい。駄目な事なのはわかっている。でもそれ以上に、私は彼に謝りたかった。誤解を解きたいわけじゃない。ただ彼に、謝りたい。
SNSを開いて彼の名前で検索する。しかし出てくるのはどれも偽物。どれもこれも彼を馬鹿にしているような文章をプロフィールに書いていた。一つ一つブロックして頭を抱える。駄目だ、彼は恐らくSNSをやっていない。もうどうしようもないのだろうか。
……念の為DMを確認する。もしかしたらメッセージが来ているかもしれない。僅かな希望でも縋りたい。お願い。どうか彼からのメッセージを……
「……そうよね。あるわけ、ないわよね」
ほとんどが私を心配するDMだった。視聴者さんからのDMもあればコラボした人達からのメッセージも届いていた。大抵は「大丈夫ですか?」という内容だったが、一部の男性陣は「よかったら話聞きますよ!」と送ってきている。はは、そこまでして私を堕としたいのか。変な笑いが腹の底から溢れてくる。どうしていいのかわからなかった。ただもう、笑うしかなかった。そこで再度携帯が震えだす。新しいメッセージが届いたとの通知。私は小さく笑いながらメッセージを開いた。
一方通行「こんばんは。急なDMすみません。信じてもらえないかもしれませんが、紅雹夜です」
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