55.アチャンタ




     ♡




「んで、どーすんのよコレ……」


 はてさて、これが徹頭徹尾物語であったとするならば、前項でその一切合切が終わってしまっても良さそうなものであるが、どんどはれ、となった後もしばらく続くのが人の生というものである。


 そして、俺の場合においては……どうやら、その域にすら達していないようだった。


 俺がやったことと言えばシンプルで、ヒロインたち3人と交わした約束──夏の終わりに、誰と付き合うか決めるという、今となっては荒唐無稽な契約、その不履行を謝罪するというものだ。


 全部ぶん投げて、おまけに3人が俺から独立した人格であることすらも否定して……これを謝罪程度で済まそうという時点で俺のエゴが爆発しているような気もするが、他に方法も思いつかず……結局、なんだか有耶無耶になりそうな雰囲気のままに、俺は重大なことに気づいてしまう。


 彼女たちを俺と同定するのであれば、だ。


 結局これは、壮大に手の込んだ自慰だったんじゃないだろうか。


 つまり、左手か、右手か、TEN○A か、彼女らか。そこに決定的な違いなどない。


 そう思っちゃったらもう後は早かった。目の前にいた美少女たちは、音も無くその姿を変え、


「どうって言われてもなぁ」


「見たまんまだし」


「正直見てらんねーけど」


 俺が四人になっていた。




     ♡




 眼前にひろがる面妖な光景を鑑みれば、俺が未だ夢から醒めてなどいないということは、火を見るより明らかであった。


「てかさ、帰る方法のアテとかあんの?」


 数分前まで桃原だったはずの俺は、いかにも子憎らしい感じで俺に訊ねた。


「いや……こうやって関係を清算したら、うまいこと帰れるかなーって思ってたんだけど」


「我ながら甘っちょろい考えだわな」


 先輩だった俺が、呆れかえって俺に非難の目を向ける。


「ハッピーだろうがバッドだろうが、チャプターエンドが全ての終わりにならないことくらい、桃原との初夜の一件で学んだはずだろ。……ていうかそもそも、清算できてねーし」


 そういうと俺は、ギュルンと身を翻し……次の瞬間、そこには島林先輩が立っていた。


「だって、まだ答え、聞いてないしね」


「えぇ……」


「さすが俺、未練たらたらじゃん」


 傍らの俺がそう言いながら、先輩の胸に手を伸ばす。それを全力ではたき落とす先ぱ……じゃなくて俺。「お、喧嘩か?」なんてはやしたてる俺もいるし、もうてんやわんやだ。


「お前らマジさぁ……もうちょっとこう、必死さっていうかさ……協力する素振りを見せろよ」


「んなこと言われても」


「俺に考えつかないことを俺が考えつくわけないじゃん?」


 あげくこの有様である。口を開けば適当な相槌か言い訳か、その上相手が自分なもんだから、遠慮なんてあったもんじゃない。


「やっぱ、いつだかか言われたみたいに、いっぺん死んでみるしかないんじゃね」


「それで本当に死んだらどうすんのよ」


「俺がお前の代わりになってやるって」


「いやいやいや、スワンプマンじゃないんだからさ……」


「じゃあなに、俺のカマ掘るか?」


「それはさすがに救いがなさすぎるでしょ」


 まるで、混乱する俺の脳内を再現したかのような渾沌がひとしきり自室に訪れると、ふと我に返った俺の中の1人が、こんなことを言う。


「やっぱ、未経験は未経験でも……現実感が無いとさ。俺の夢の中じゃ再現できなくて、そんじゃ現実だとどうなの? って感じで戻るわけでしょ」


 一理ある。しかし、俺が俺に諭されている現状こそ、現実感皆無なわけだが。


「とにかく、俺が現実を強く感じるイベントを起こさないと……」


「そりゃ、分かっちゃいるけど」


「こんな状態で現実なんて言われてもね」


 皆、俺なのだから、それくらいまでは考えついているのだ。つまりこれは、論を戦わせているように見えて、思考の整理という名の議論のフリにすぎない。新しいアイデア、何一つ出てないし。


 4人の同じ顔した男が、やがて部屋の中を練り歩き、各々に暇を潰しだす。やってることは完全にコピーロボットを手にしたのび太くんと一緒だった。


「やっぱいいよな、これ」


 そろそろ日も傾き西陽の射し込む部屋で、1人の俺が俺の愛読書である某ハーレムラブコメの単行本を読み漁りながら呟いた。完全に理由も用事もなく友達の家に上がりこんだ時の空気になってる。


「おい、真面目に考えろよ」


「まあまあ、人生には休息も必要だろ」


「あのな……」


「お前、東南西北だったら誰がいい?」


「え? まぁ……誰でもいいかな」


「だよな」


「さすが俺」


「うわキモ」


「仕方ないじゃん、みんなかわいいし」


「そゆとこがダメだってんだろが」


「ま、そんなマインドじゃなかったらハーレムの夢なんて見れねーだろ」


「……なんつーか、客観的にそういうこと言われるとさ」


「?」


「俺、美少女のこと、オカズくらいにしか考えてないのな」


「やめろ」


「やめろマジで」


「結局俺って、"好みのタイプ"すらないわけだもんな……」


「だからそれ以上言うなよ、俺だってわかってるよそんなこと……」


 泣きたくなるくらい虚しい会話の中に、俺はふと、影山さんのことを思い出していた。


 理由は明白だ。


 この世界で桃原が消え、島林先輩が消え、大宮が消え、……俺と関わりのある異性は、最早彼女しか残っていない。消去法だ。


 しかし、そうか。確かに、影山さんだって女性だ。しかもまあまあかわいい。まあまあなんて失礼にもほどがあるし、かわいいなんて本人に言ってもまともに取り合ってくれないか、セクハラですっつって八つ裂きにされるかの二択だろうから俺は沈黙を貫いていたわけだが、とにかくまあまあかわいいのだ。


 彼女のことを好きか嫌いかで言えば、俺としては俄然前者である。一緒にいて楽しいし、なんだかんだ俺に甘いし。性的な目で見るキッカケなんて、瞬き1つで十分だ。しかし果たして、これを恋愛感情と呼ぶべきなのか否かについては……てんでわからなかった。どちらかというと、否寄りではあるが。


 なんたってこちとら、そもそも、恋愛って、なに? って状態なのだ。


「あ」


 いやそうか。すっかり見落としていた。そういうことか。考えてみれば、単純なことだ。


 この世界の存在意義は、俺が恋愛を疑似体験することにある。


「どしたの?」


 堪えきれずに呟いた俺に反応して、俺たちは一様に手を止め、俺を注視する。


「俺、恋愛したことないんだわ」


 沈黙は一瞬だった。


「……それだ!」


「それ以外ないわ」


「お前、天才かよ!」


 直後に起こる、賞賛……いや、自画自賛の嵐。


 やはり、俺も俺も、そして俺も、全員俺なのだ。俺の考えている事は、この一言ですべて伝わっていた。これが何を意味していて、これから何をしようとしているのかも。


「そうと決まれば、行こう!」


「よし……! でも、マジでやんの?」


「四の五の言ってられないっしょ」


「それに、きっと──」


 4人がお互い、顔を見合わせて頷き合う。


 まるで根拠のない、だけど確信に近い閃き。この時俺の思考は、確かに一つに纏まっていた。



 ──影山さんなら多分、謝り倒せば許してくれる。



 ……クズもいいところであった。

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